老人とスチューピッドな洗濯物、3本足の犬
ややこしい名前のベルギー人おじいさんと1週間一緒に過ごした。ボランティアとして同じ宿舎で寝泊まりして共同作業をした。そして私は少しばかり彼に困惑した。
背はあまり高くなく頭部に髪はない彼は80歳前後でリタイヤ生活を送っているのだろうと推測する。短パンにTシャツ、長靴姿。短パンの生地は、もうこれ以上は洗濯に耐えられません勘弁してください、と言わんばかりに破れてお尻が見えそう。
このおじいさんは込み入った名前で、私は何度聞き直しても覚えられなかった。
スペイン人スタッフは彼を「アブエロ!」と呼んでいたので、ここでもアブエロとします。
ちなみに、アブエロはスペイン語で「おじいさん」という意味。容赦ない呼び方だけどせめてそこに敬意が込められていますように。
私が戸惑ったのは彼の名前だけではない。
アブエロと会ったのはスペイン南部アンダルシア地方の犬の保護施設。ここには欧州の各国や米国から、年中ボランティアが来る。
スペインでは犬を使ったレースや狩猟が認められていて、使えなくなった犬は殺されたり捨てられる問題があり、その数は毎年5万頭以上とも言われる。この民間施設には多い時で600頭以上のスパニッシ・グレイハウンド(スペイン語でガルゴ)という犬種が保護されている。
アブエロも私もこの施設に泊まり込みで手伝いに来ていた。
彼は私が初めて接したベルギー人でデフォルトで岩のようにかたい表情をしていた。ボランティア仲間でもう1人ベルギー人女性がいたが、2人とも平常時に口角が下がり続けており、目があっても笑みは浮かばない。私は困惑した。
(↓ もう1人のベルギー人女性の話)
アブエロはフランス語話者だが、英語と少しのスペイン語も話す。しかし、話しかけると眉間にシワを寄せる。私の英語が聞き取りにくいからだろうけど「は?」と険しい表情で何度も聞き返す。
以前にも書いたのだけれど、私は彼に会うまでベルギー人に対して勝手に、ドイツ人より柔らかくて愛想がいい人たちだろうくらいに思っていた。
それは、緑色のソフトクリームを抹茶味だと思って食べたら、鼻に刺激がきてワサビ味だった、くらい見当違いだった。
デフォルト岩顔のアブエロを難解に感じたのは、ニコリもしない表情に加えて、ブツクサ不満そうな態度であった。
施設でボランティアがする作業は掃除や水の補充である。
若いイタリア人女子と私はうんこ拾いとゴシゴシ床掃除をした。これは腕も指の先まで筋肉痛になる力仕事である。
アブエロにはバケツの水換えが職員の人から言い渡されていた。
この施設にはこの時500頭くらい犬が保護されていて、私たち3人は200頭くらいの範囲を任されていた。
バケツは70〜80個あり、たわしで洗い、ホースで水を補充していくのだが、「水圧が弱い」「こんな勢いじゃ明日までかかっても終わらない!」とアブエロは顔をしかめて言う。
しょうがないじゃないと私は思ったけど、言わなくていいことを言ってしまうのが老人の性なのかもしれない。
そんなに不満そうにして、なぜこの人はわざわざボランティアに来るのだろうかと私は不思議だった。
ある日の昼食時間、休憩スペースでアブエロと食事を取っている時、施設内を自由に歩き回っている3本足の大型犬バギラがのっそりとやって来た。食べ物があるから近くに寄ってきたのだろう。
バギラは、牧場で家畜を守るために働く犬種で、頑固だけどゆったりとしている。もちろんバギラも捨てられてここにいる。おとなしいから私はそばに招き入れた。しかし、アブエロは虫の居所が悪かったのか、不快そうにバギラを追い出した。
犬だらけの場所に自ら進んで来ているからといって何でも許容する訳ではないようだ。食事中は誰にも邪魔されたくないのかもしれない。
他にもある。
私たち3人は、夕刻に職員から頼まれた洗濯物を干す作業をした。施設内の動物病院で使われるタオルとかシーツが大型の業務用洗濯機で大量に洗ってあった。
今干されているものを取り入れてたたんで保管場所へ持って行き、次の洗濯物を干すというシンプルなタスクだけど、誰もしたことがない作業だったので場所とかやり方とかわからないこともあり、「たぶんこうだろう」みたいな雰囲気でやっていた。
「洗濯物は家でやったことがない」となぜかアブエロはプンプンしていた。私はつい「全然やったことないの!?」と反応してしまったのだが「妻の聖域なんだ。彼女には彼女のやり方があるから自分はやらないほうがいいんだ」「わからない」「やったことがないから知らない」とブツブツ言いながらアブエロは出ていった。
残されたイタリア人女子と私はひたすら乾いているものをたたみ、山盛りの濡れた布たちがなくなるまで干していた。
しばらくして戻ってきたアブエロは「夕方に洗濯物を干すのはスチューピッドだって妻が言っていた」と私に伝えてきた。「夜露で濡れるから夕方に干すのはスチューピッドなんだ」と。
「今、奥さんに電話してそれを聞いたの?」と私は驚いた。“そんなこと”を聞くためにわざわざ出ていったのかと。
「そうだ、私は知らないけど、彼女はよく知ってる」とアブエロは確信を持って言う。
スチューピッドでも何でもいいから、1日の終わりでみんな疲れてるんだし、はやく干して終わろうよ、夜露に濡れてもまた明日の日中にカリッと乾くよ、ここすごく乾燥してるんだし・・・
と私は口にせず、「そうなんだね」とだけ言って引き続き干した。
そして全ての洗濯物を洗濯ヒモにかけたら、アブエロとイタリア人女子は、夜が明けて幽霊がいなくなるように、スーッと消えていった。
残された私は、風で落ちないように全ての洗濯物を洗濯バサミで挟んでいった。やれやれ、と私は思った。
水圧の弱さも、食事中に来た犬も、スチューピッドな洗濯干しも、アブエロにとって、この世は気に入らないことで溢れていると言わんばかりで。
不機嫌さが、彼のデフォルト設定の一つなのか。ベルギーの風土から育まれる避け難い風味なのか、私にはわからなかった。
アブエロにベルギーについて聞いた時、「わしは自国のファンじゃない。スペイン人は貧乏だけど明るい、お金はないけど太陽があって幸せだ。ベルギー人はお金があっても不幸せそうだ。わしは好きじゃない」と答えた。
スペイン人の経済状況に対して歯に衣着せぬ表現すぎる。それより何より、あなたが好きじゃないと言っている「ベルギー人」はそっくりそのままあなたの特徴じゃないか、と私は今でも思い出すと笑ってしまう。
アブエロのよくわからないブツクサは数々あり、私にそもそも少ししかない忍耐力と機嫌の良さは、プリンをスプーンですくって食べるように徐々に欠けていった。
このままでは7日間も一緒にいるのはつらいと思って、3日目の休憩中に個人的にアブエロに話しかけてみた。「あなたはガルゴ飼ってるの?」と聞いてみた。大体ここに来る人たちは捨て犬を引き取っているからである。
自分の犬の話をするのは、人々が孫の話を嬉しそうに話すのと同じように、思わず笑顔になる話題だろうと思ったからだ。
「8匹いるよ。5匹のメスと3匹のオス」と彼は笑顔ではなかったが答えた。
予想外に多い数字で私は驚いた。アブエロは広い庭付きの家に住んでいると言う。
聞くところによると、アブエロはこの施設に12年間、毎年ボランティアに来ている猛者であった。そして、この施設から引き取った8匹と一緒に暮らしているのだ。
「写真はある?」と私は聞いた。赤ちゃんや孫を持つ人のスマホの写真フォルダがその小さな人間でいっぱいなように、犬を持つ人たちのそれも犬でいっぱいなのが常である。喜んで見せてくれるだろうと私は思ったのだ。
しかしアブエロはしかめ面をして画面をにらみつけてブツクサ言っている。
「写真ないの?」と私が聞くと「ある!だけどクラウドに入ってる」みたいなことを言って、スチューピッド・クラウドと格闘していた。
アブエロは1匹ずつ写真を見せてくれながら「この3本足の子は私たちが引き取った最後の犬だ。まだ3歳で若い。自分達は老いすぎたし、これ以上は無理だ」と言った。
捨てられたガルゴは郊外をさまよう中で交通事故に遭い、ここに持ち込まれることがある。または、怪我して走れない犬を「安楽死させてくれ」と飼い主が持ち込むこともある。そういう犬を獣医たちは見捨てず治療する。そして脚を切断するしかない場合もある。
そんな3本足の若いオス犬を、アブエロは引き取ったのだ。
いつも口をへの字に曲げているアブエロだけど、不満以外の感情だって持ってるのだ。
アブエロには、岩のような顔というパッケージの中に、信念や思いやりやこだわりや愛情など色々詰まっている(たぶん)。付録に庭の広い家も付いている。
思い返せばアブエロにも優しさが垣間見える瞬間があった。
私が施設に到着した初日、アブエロは施設の入り口で私を見て、「ボランティアか!」と言って、私の荷物を台車に乗せてさっさと運んでくれた。職員男性が「僕が運ぶよ・・・」と手を伸ばしていたが、アブエロはそれを振り切り、荷車を引いてズンズンと宿泊施設の方へ向かった。職員の人は苦笑いしていたが、アブエロなりの親切だったのだろう。
別の時、棒状のサラミを小さなナイフで切りながら食べていたアブエロは「食べるか?」と聞いてくれたことがあった。私は切ったのをくれるのかと思って「うん、ありがとう」と言ったら、ホイ、とサラミとナイフが私の前に放り出された。自分で切って食え、というわけだ。アブエロなりの親切だったのだろう。
最終日、空港までタクシーで行こうとしていた私を、「わしが車で送ってやる」と運転してくれた。まぎれもない親切だ。
空港に着いて、私はお礼を言ってアブエロとハグをした。私は胸にちょっと熱いものが込み上げてきて、元気でね、また会おうね、と言おうとしたのだが、「じゃ!」とアブエロはあっさりと去って行った。
立ち話がいつまでも終わらないスペイン人とは大違いである。
出そうだった涙はすっかり引っ込んで、私は吹き出しそうになるのを堪えながら空港に入った。
彼が私の知るベルギー人の1人であり、強烈な1例となっている。