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今でも最愛の人(オハヨウゴザイマスとあいさつする彼の話)
朝に、近所の建設現場を通り過ぎるとき、いつも「オハヨウゴザイマスー」と言ってくれる人がいます。
ヘルメットを被り、重機の操縦席から、メガネの奥に笑顔を示して、彼はあいさつしてくれます。50代くらいに見える優しい雰囲気の男性。
日本の外に住んでいると、通り過がりに知らない人に「ニーハオ」とか「アニョハセヨー」とか「コンニチワ」とか言われることは時々あります。
だけど、「オハヨウゴザイマスー」と時間帯に即した適切な日本語で言われることは、まずなかなかない。
だから私は「ブエノスディアス」とスペイン語の朝のあいさつを言いながら通り過ぎているところ、いつもびっくりして、「お、おはようございます」と言い直す。
この建設現場の男性とは、しょっちゅう朝にあいさつをかわすのだけれど、それ以上の会話はしたことはありませんでした。
彼は重機に乗ってる最中だし、私はいつも小走りで通り過ぎるだけで。
数ヶ月くらいそんなことが続き、ある日、会話をするタイミングがありました。いや、半年以上経っていたかもしれません。
余談ですが、スペインの建設現場は、進捗がとってもゆっくりに見え、これは一体いつまでやってるんだろう?もう一年以上工事中じゃない?という場所がしばしばあります。
なので、ずいぶん長い間、この男性とあいさつだけ交わしていました。
そしてある日、私たちはいつものように「オハヨウゴザイマスー」と言い合って、通り過ぎかけたのですが、その日の男性は重機に乗っておらず、地上で作業していました。
私は思い切って、振り返って「なんで日本語喋れるの?」とスペイン語で聞いてみました。
すると一瞬驚いたように顔を上げて、メガネの奥の目が止まり、彼は「ワタシハ、ニホンニ、スミマシタ」と言いました。
「あ、そうなの、へー!」と私。
「大阪に住んでたんだよ。なんていう駅だったかなー、◯◯駅の近くでね、1年半住んでたんだ」と彼はスペイン語で言いました。
◯◯駅は、彼のプライバシーのために伏せているわけではなく、私が忘れてしまいました。すみません。
「大阪に?へー!何してたの?」と私。
「◯◯の仕事でね、工場で働いてたんだ」と彼。
なんの仕事だったのかは、私のスペイン語力の至らなさゆえ、聞き取れませんでした。すみません。
「毎朝、ボスと一緒にエクササイズしたんだ。そんなことってないよ、ボスとみんなでエクササイズだよ。おもしろかったなー!」と楽しそうに彼は教えてくれます。
朝にボスとエクササイズ、きっとラジオ体操のことでしょう。
そうか、始業時にみんなで体操するとかスペインではないのか。なんだか、あの日本的な、みんなで同じことをする感じも、ボスと一緒にエクササイズと言われると、素敵な感じがする。
彼は続けてスペイン語で「テレモトがあったでしょう」と言う。私はテレモト?terremoto・・・地震のことか、とわかってうなずく。
「神戸の地震があった時、会社のボスと一緒に、駅に募金箱を持って立ったんだよ」と、彼は両手で箱を持つ仕草をする。
「オネガイシマース!って言ってね。人々はたくさんお金を入れてくれたねー。1万円札もあった。すごく感動したよー」と彼。
ああ、彼が大阪に住んでいたというのは90年代のことなんだな、と私は思う。30年前に、彼は大阪で働いていたのだ。
私が「あなたの名前はなんていうの?」と聞いたら「ワタシハ、アントニオデス」と彼。私も「ワタシハ、ハナデス」とゆっくり日本語で答えた。彼の名前は本当は違うのですけど、ここでは仮にアントニオとします。
アントニオはチラッと建設現場を振り返り、立ち話をしているのが職場から見られないように、私を二、三歩ほど誘導して、建物の影に入る。
「オコノミヤキ、ラーメン、私は日本での暮らしが好きだった。ミホチャンって女の子がいたんだ。◯◯ムラミホチャン。好きだったんだよー。ミホチャンは僕のことをトニークンって呼んでね」とスペイン語でトニー(アントニオの略称)は話す。
急な固有名詞の出現に、私の頭はスペイン語を処理しつつ、なんとか展開に追いつこうと必死に回転する。◯◯ムラミホチャンは、念の為、伏せ字にしています。
「みほちゃん、そうなの」と私。
「ミホチャン、すごく好きだったんだー。今でもずっとミアモールだ。でも、簡単じゃないでしょ。日本は遠いし。行くのは高いし。わかるでしょ」とトニー。
「そうだね」と私はうなずく。
なんで1年半でスペインに帰ったのか、元々そういう期間限定だったのか、みほちゃんとはどう出会って、どうなったのか、私にはそれ以上会話できるスペイン語力がなく。ここまでの話も、もしかしたら、私が聞き間違っている部分もあるかもしれません。
「あ、そろそろ戻らなきゃ」とトニーは笑顔で手を振って仕事に戻っていきました。
90年代当時、やりとりする手段が、とっても高い国際電話か、文通かファックスしかなかった時代に、日本で恋に落ちたみほちゃんと、やり取りを続けるのは、現実的ではなかっただろうと想像します。
すごく好きだったんだー。今でもずっとミアモール(最愛の人)だ。わかるでしょ、とトニーは両手を胸の中心にぎゅっと当てて言っていました。
◯◯ムラミホさん。トニー(仮名)は、あなたの話をするとき、とても嬉しそうでした。
幸せそうでした。
彼は、今も、あなたのことを愛しているそうです。