犬のフンで筋肉痛になった話
これから食事という方は、ぜひ時間をずらして読んでいただきたい。タイトルで察せず、食事中なのに開いてしまった好奇心旺盛な方、おめでとうございます。何かのご縁かもしれません。
私はスペインにある捨てられた狩猟犬の保護施設で1週間泊まり込みのボランティアをしたのだが、3日目に、上腕二頭筋が小声で痛みを訴え始めた。
私は20kgのエサ袋を両肩にかついだり、腰にロープを巻き付けてタイヤを引っ張ったり、クマと闘ったり、怪我をした仲間をお姫様抱っこして病院まで走ったりは、全くしていない。
私がしていたのは、うんこ拾いと水の補充、バケツの洗浄だった。とても地味だ。うんこ拾いで筋肉痛になったのは人生初めてだった。
黙々と、時々犬たちを撫で回しながら、コンクリの床と仲良くなっているうんこをこそぎ取る。ただ、その数が、200頭近い犬から生み出されるものだから積み重なるとかなりの量だった(施設全体には600頭いた)。
この保護施設にいる犬はほぼスパニッシュ・グレイハウンド(ガルゴ)ばかりで、彼らはとてもスリムなボディだが25〜29Kgの大型犬で、生み出すものは固形だとそこまで大きく見えないが、液状だと牛か馬かと見紛うなかなかの立派な量だった。
1区画には5匹の犬がいて、私は日により36〜46区画担当し、1箇所ずつ入り、チリトリとホウキでうんこを拾った。金属製のクマデも用意されていたが、拾う相手が固形じゃないとクマデは役に立たない。1区画でチリトリはいっぱいになる。
しっかり固形じゃないうんこは、拾うのに3倍くらい時間がかかる。飼い主がサッとビニール袋でつかめるような、コロコロした理想的な形状ではないから、とにかく拾いづらい。陸上競技の円板投げの円盤みたいな感じだ。
この場所の管理をしている女性職員に、「4区画拾ったら、ゴミ袋をやりかえなさい」と言われた。「必ず新しい袋に変えるのよ。使い続けちゃダメよ」と。
私は「わかった」と言ったものの、なぜ4区画ごとなのかわからなかった。だって、ゴミ袋は20%くらいしか入ってないし、もったいない気がした。まだまだ入るのに、と。
あとになってわかった。ヒアルロン酸配合ばりの保水力抜群しっとりうんこはとても重たいため、4区画、すなわち20匹分で、かなりの重量になるのだ。ゴミ袋の口を結んで、縦長のゴミ箱から引っ張り出して、ゴミ捨て場に放り投げる時、この重みは大変だ、と気がついた。
一度、外の屋根のないドッグラン付きの区画のうんこ拾いをしている時、陽射しの強さ、暑さにやられて、うっかりゴミ袋を変えずに10区画(50匹)分のうんこを1袋にたっぷり集めてしまった。外の区画では、水分たっぷりうんこも、やや乾燥しているので、甘く見ていたのもある。
ゴミ箱から袋を引っ張り出すのが恐ろしく重かった。重量挙げ選手のごとく「んあーー!」と声を出しながら、なんとか引っ張り出した袋を、ゴミ捨て場に投げ入れるのも、黒いビニール袋が、ムンクの叫びのように縦長に伸びて、ちぎれそうだった。
私は体で学んだ。せっかくせっせと集めたうんこを、再びぶちまけたくなければ、ゴミ袋がもったいなく感じても、4区画(20匹)ごとに、変えなければならない。経験豊かな先輩が言うことには、それなりの論理があるのだ。
この施設は約600頭の遺棄された犬が保護されている。食べ物と水が常時与えられ、虐待されることなく、安全に生きられる意味では申し分ないが、5月末でも36度を超える環境で暮らすのは、楽園ではない。
プールサイドでデッキチェアに横たわり、小さな傘が刺さったカクテルを飲んだり、マッサージを予約できたりするようなスパ・リゾート施設のように優雅にはいかない。
当然ふかふかのベッドもなく、プラスチックのタライ桶のような寝床で休む。気が合おうが合わまいが、5匹ワンルームの共同生活である。犬は群れで生きる習性があるとはいえ、狭い区画で食事も排泄も同じ場所、24時間過ごすのは、刑務所のようで、楽しい集団生活ではなさそうだ。
あまりにも水分たっぷりうんこが多いので、掃除をしているときに「なんでこんなにリキッドなんだろうね」と男性職員に言うと、「いろんな複合的な理由だよ」というような意味のことを言われた。
環境変化、暑さ、ストレス、食べ物、水、いろいろあるのだろう。速く走るために育てられ、飼い主から虐待されて遺棄されて、とても混乱している、恐怖で逃げ回る犬もいる。とは言っても、全ての犬がトラウマを抱えて悩んでいるわけではなく、多くの犬は人間が近づけば喜んで撫でてほしがるし、こんな環境下においてもハッピーに振る舞う。
印象では7割くらいのうんこはソリッドではなくリキッドだったが、記憶は歪んでいるかもしれないから、半分以上と控えめに言っておく。
エサを変えたらいいのでは?とあなたは言うかもしれない。それはきっと一理あるに違いない。しかし、600匹分のエサを犬の体調に合わせて変えられるほどのラグジュアリーな時間と予算が、多くの費用が寄付金で成り立っている民間の保護施設にあるだろうか。
病気や怪我をしている犬は獣医の指示で食事が管理されているようだが、それ以外の犬たちは、各部屋に設置された郵便ポストのような四角い餌箱に1週間分くらいのドライフードが入っていて、それを勝手に食べるというシステムだ。
新鮮なエサが入った食器を、決まった時間に人間が配りにきて、「ごはんの時間だー!」と犬たちが喜ぶような、そんな人手はないのだ。水だって、毎日朝夕継ぎ足しはしているが、バケツを洗うのは週2回くらいだ。
それゆえだと思うのだが、もろもろの複合的な状況から、家の中で人間と暮らせる犬のような、幸せなコロコロうんこではない。
一度、獣医のそばで暮らす怪我や病気の犬のエリアのうんこ拾いをしていたら、血便を見つけた。私は慌てて、「血便がある」とそこにいた人に知らせたが、「ああ、それはよくあることだから」と言われて終わった。どの犬がケアが必要なのか、見つけることもなく、他のうんこと一緒に血便を捨てた。ここでは「よくあること」なのだ。
よくあることは、環境が違えば異なるのだ。この土地では使えなくなった狩猟犬が捨てられるのがフツウで、血便が出るのもよくあることなのだ。
ボランティアが去っていくと、残ったボランティアへの負担が増える。ボランティアの人数は、職員のようには常時コントロールできない。私が滞在した1週間の間に、滞在期間を終えた仲間たちがアメリカやイタリアなどそれぞれの国へ帰国して行き、ボランティア用の宿舎には私だけになった。みんなで分担していた作業の多くを、最後の数日は1人で請け負った。
私はより張り切って早朝からうんこを拾い、水を補充した。私の軟弱な上腕二頭筋は悲鳴をあげていたが、何時間もチリトリとホウキで拾い続けた。犬たちが喜んで、うんこを踏んづけた足で私を歓迎してくれた。Tシャツもズボンもうんこがついては、すぐに乾いていった。乾燥した土地で、蚊が出ないことの次に良かったことかもしれない。
それまでボランティア2人でしていた床掃除も1人でした。2人でやると早い。1人が水をまき、もう1人がゴシゴシブラシでこする。しかし、私は1人なので、ゴシゴシブラシを抜きで、水圧だけでこびりついたうんこをきれいに流して、地面中央にある排水溝に落としていく。
女性職員に「この水は掃除用で、飲料用じゃないから、絶対、バケツとエサにかからないように気をつけてね」と言われた。これは見ていたより難しかった。ホースの水圧はかなり強いので、油断するとあちこちへ水が飛ぶ。
ホースの水をしぼって細くしすぎると、強度は増すが、うんこが飛び散ったり、水しぶきが強くなり、犬やエサにかかってしまう。犬たちが迷惑そうにベッドに逃げ込む。
そして排水溝にゴミやうんこが落ちるようにホースづかいで誘導するのがは難易度が高く、簡単にホールインワンとはならない。
ホースづかい初心者の私は、床清掃に相当時間がかかり、次の日には、手の指が筋肉痛になった。腕がだるくなることはこれまであっても、指がきしむような感覚はあまり経験がなかったので、わなわなする手で笑いながら必死に翌日も掃除をした。
何時間もかけて自分が担当した150匹以上が暮らす36区画をきれいにしても、また次の日は同じ量の掃除がある。生きるということは、死ぬまでこういうことの繰り返しなのだな、と思う。
あまりスペイン語ができないから私はとにかく黙々と作業をした。いつもヘッドフォンをして難しそうな顔をしていた職員のおじさんは、ボランティアを見ても通り過ぎるだけだったのだが、「うんこいっぱいだろう。ははは」と、だんだん話しかけてくれるようになった。「俺が飼っている犬は18歳なんだ。もう目が見えないんだけどね」と写真を見せてくれた。「あんたはベストなボランティアだ。冷たいシャワー浴びて、ビール飲みな」と笑ってお世辞も言ってくれた。
私は汗をかくのが好きじゃないからジムにも行かないし、何の運動もしない。怠け者である。でも、30度を超える中で何時間もうんこを拾い、筋肉痛になりながら掃除をしたおかげで、1週間経って家に帰った時には3キロ痩せていた。この筋トレならまた喜んでしたい。
また、うんこがついた足で歓迎される日を心待ちにする。もちろん、この施設がなくなる、すなわち、捨てられる犬がいなくなることが最大の願いではあるが。