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銭湯で知らないおばさんに婉曲的に言われたこと
人は悪気がなくても失礼なことを言ってしまったり、人は相手が悪気はなかったのだろうと分かっているつもりでも古傷として残ることがあると思います。
実家の母と隣町のスーパー銭湯で湯に浸かっていた時、同じ湯船にいたおばさんが「お母さん、あんたは若い頃かわいかっただろう」と声をかけてきた。全く知らないおばさんである(正確にはおばあさんに近い)。
道を歩いていて知らない人に急にそんな声かけをする人はいないだろうけど、公衆浴場では、未知の人も、何か同じものを共有しているような一体感というものが生まれるのかもしれない。丸腰で同じ器に入って同じ液体を共にする仲間意識というか。
とにかく、そのおばさんは私の母に向かって「あんたは若い頃かわいかっただろう」と言った。そしてすかさず横にいる私に「あんたはお父さん似だろう」と言った。
試合に参加してたつもりないのにデッドボールを受けた。痛い。
おばさんは私に「かわいくない」とは言ってない。けど、間接的にそれを表現している。高度な批評だ。
おばさんが私の父を知っていて、おばさん的には私の父を「美しい」と捉えていない限り、やはり「お父さん似」は婉曲表現で「かわいい」の「じゃない方」を示すことになる。
もし、このおばさんが昔私の父と何か関係があって、それを知らない私たちに対して意味深なコメントをしているのなら話はもっと複雑になるが。
私は社交辞令とかお世辞とか、間接的とか、そういったレベルの高い表現を理解するのが苦手で。本気で言われているのか、適当に言われているのか、社交の場の礼儀なのか、冗談なのか、よくわからない。表と裏の意味が違うとか気付けない。
以前、英国人はパッシブ・アグレッシブ(受動攻撃性)の表現を使うというのを、あるコメディアンが言っていて、私はその意味に気づくのに三日くらいかかりそうだな、と思ったことがある。いや、1週間経っても真意に気づかない、きっと。
パッシブ・アグレッシブとは、Wikipediaによると「言葉では賛成するが否定的な態度を取るといった言動不一致」という意味で、表面上は丁寧だけど間接的には別の意味を示すのだそうだ。京都の遠回しな表現に通ずるところがあるかもしれない。
例えば、「おっしゃるとおりです(I hear what you say)」は、表向きの「あなたの見解を受け入れます」ではなく、英国人は「私はそうは思わないし、これ以上議論したくない」を意味するのだそう。
「最大の敬意を表して(with the greatest respect)」も、表向きは「恐縮ですが」「せんえつながら」だけど、英国人に言わせたら「あんたはバカだと思う(I think you are an idiot)」なんだそうだ(参考:yougov.co.uk)。なんてこった。
話が逸れたけど、いずれにせよ、おばさんの言う通り私の母は若い頃かわいかった。誰もが息をのむ絶世の美女というタイプでは全然ないのだが、小柄で、目が七福神にいそうなにっこりとしたカーブを描いており、とっつきやすい顔をしている。「美人」というより「かわいい」という表現が適切だ。
私は完全におばさんがいう通り、父に似ている。少し気を抜くとすぐ、何か気に入らないのかな?というブスッとした顔になるし、そもそも顔がでかい。頭もでかい。とにかく私は父と似ている。
両親の目が黒いうちに、彼らのことを書くのは気が引けるのだけど、父は昔はヘビースモーカーでヘビードリンカーだった。
タバコのせいで口腔内は枯葉剤を撒かれた山のような惨劇だった。大量に酒を飲み、朝から呑むことは無かったけど、でもなんとなく朝でも酒臭い人だった。
しかし彼はタバコをやめた。本当にかなりのヘビースモーカーで、私が子どもの頃は小銭を持たされて、おつかいに、タバコを買いに行かされた記憶もある。
いつ、どうやってやめたか、正確には知らないのだけど、口腔内を森だとすると、木が枯れて倒れ、土地が痩せ、動物たちも逃げ出し、たくさんの植林やらが必要になって、喫煙をやめたのだったと思っている。
障子に空いた小さな穴をのぞいたら、閻魔大王が麻酔なしで歯をガシガシ引っこ抜いている地獄絵が見えて、急いでタバコを投げ捨てて走って逃げる夢を父は見たのかもしれない。
ヘビードリンカーだったのも今はやめたらしい。病におかされ、死神の鎌が鼻先をかすり、健康が絶滅の危機に瀕している深刻さに気づいたようだ。
屋形船で気持ちよく宴会をしていたら、船が遊覧しているのは三途の川だと気づき、慌てて川に飛び込み息継ぎなしのクロールでこの世に戻ってきた夢を父は見たのかもしれない。
ヘビードリンカーをやめるまでは、家族としては正直なところ頭を抱えていた。もともとエキセントリックな人だけど、輪をかけて困難になる。
アルコールの問題は、「ゆるやかな自殺」「見たくないものを見ないようにしている」ということを心理の専門家の人が言っていたのを聞いたことがある。そうか、私の父は目を背けたい何かがあって、避けたい現実があって、ゆるやかに自分の身体を死に近づけているのか、と思った。
我々は生まれた時からもれなく死に向けて前進しているわけだけど、彼はそれを階段2段飛ばしで進んでいるようだ。
私は彼が何から目を背けたかったのかわからないのだけど。
しかし本当に死が目の前に来た時、彼は死にたくなかったようだ。アルコールをやめたのだ。
アルコールをやめた後、彼はアイスクリームを食べることに熱心だと耳にした。いそいそとスーパーへ行き、新商品をチェックし、買い込み、朝からアイスクリームを食べているのだそうだ。
私は耳を疑った。彼が甘いものに興味を持っていたなんて記憶にないし、ましてやアイスクリームを買う姿も食べる姿も見たことがない。
彼は「ゆるやかな自殺」をシュガーに切り替えたようだ。
私は彼に似ている。見たくない現実から目を背けることがある。アルコールは魅惑の液体だ。アイスクリームは食べないけど。知らないおばさんに指摘された通り。おっしゃるとおりです(I hear what you say)。