ああ疲れてるんだな。疲労感という天罰
ある日、歯磨きをしようと歯ブラシを手に取って口の近くに近づけたら、ブラシに乗っているペーストが洗顔クリームであることに気づいた。間一髪だった。
ああ、疲れてるんだな、と思った。
洗顔フォームのチューブを歯磨き粉のチューブだと思って手に取ったのだ。人間は見ているようで全く見ていないのだなとつくづく思った。きっと私はきゅうりとズッキーニの違いも気づかないし、ピスタチオと銀杏の違いも気がつかない。
以前も似たようなことがあった。
長距離フライトの飛行機の中で、トイレに行き歯磨きをした。相方(通称ブッダ)も歯磨きに行くというので、歯ブラシなどが入ったポーチを渡した。
戻ってきたブッダが、「なんか歯磨き粉変じゃない?」と言った。そういえば私も磨きながら、泡立たないなとは思っていた。
席についたブッダがポーチからチューブを取り出しまじまじと見ると「デオドラントクリームって書いてる」と言った。
肌が弱い人(ブッダの父親)用のデオドラントクリームのチューブだった。少し前にブッダの実家に滞在した時、トラベル用の小さな歯磨き粉と、そこにあったデオドラントクリームのチューブを取り違えて持ってきてしまったのだ。
口の中に複雑な気持ちが充満した。正直、味は思い出せないけど、歯磨き粉のような爽やかさはなかった。歯磨き粉とデオドラントクリームの味の違いにも気づかないなんて、私の味覚はどうかしている。繊細じゃないのにも程がある。ワインソムリエにも利き酒士にもミシュランの調査員にも絶対なれない。
ワキという少し秘めた特定の場所ではあるけど、私の口を人のワキにうずめたわけじゃないし。皮膚に塗布するものだし、少々口に入っても毒じゃないだろうし、水でゆすいだのだから、害はないだろう。と考えることにした。きっと私の口はしっかり無臭になっていたことだろう。
ブッダの父親は気の毒なことに、しばらくデオドラントクリームの捜索をしていたようで、申し訳ないことをした。デオドラントクリームの神隠し。
まさか、クリームが拉致され、長距離フライトで移送されていたとは思いもよらなかっただろう。そしてクリームもいきなり連れてこられた上に飛行機のゴミ箱に捨てられる運命となって無惨である。元の主と一緒に宿命を全うしたかったことだろう。
その時の私は疲れていたというより、ただよくある不注意だったと思うのだけど、このところの私は、なぜか猛烈に疲れている。寝ても起きても全身の疲労感が取れない。
ただ温かい布団でずっと寝たい。全く無責任に3日くらい何もせず、仕事も家事も勉強も読書も何もせず、排泄に行き再び寝具に横たわることだけをひたすら繰り返したい。背徳感や罪悪感を靴下のように床に投げ捨てて。
あぁ、寝るのも飽きたな、と思って、冬眠から目覚める熊のようにのっそり起き出して、顔を洗って3日間の寝汗が染み込んだ服を着替えて、スーパーに食料を買いに行く、というのをしたい。しかし、諸々、そうもいかないもので。
夢も私をなんだか精神的にぐったりさせるものが多い。申し訳なかったり、焦ったり。寝起きなのに、終電に乗り遅れて歩いて帰ったような疲れを感じるものが多い。
死んだ祖母が夢に出てきた。彼女はずいぶん前にこの世を去ったのだけど、長年寝たきりだった。その祖母が、夢の中で、口がカラカラに渇いていて水分補給を必要としていた。
私はすぐに水をあげるのではなくて、人からいただいたおいしい緑茶があるから、それを淹れて飲ませてあげようと思う。
おばあちゃんにこのおいしいお茶を飲ませてあげたい。だけど私は気づく。時間がないことを。私はすぐにでも出かけなければならなかった。そして、私はお茶を飲ませることも、水を飲ませることもなく、寝たきりの祖母を離れる。誰かに(たぶん私の母に)「おばあちゃんにお茶を飲ませてあげて」と頼んで。
ひどい話だ。夢とはいえ。祖母は、こいつは孫ランキング最下位に落としてやる、と思ったかもしれない。孫にバチが当たるように、神様仏様に知らせに行ったかもしれない。ああ。だから今私は疲労感という天罰を受けてるのだろうか。
まだその祖母が健在の頃、小学生くらいだった私は、祖父母の家の台所で、コップに入っている透明の液体を飲んだら、びっくりするくらい水じゃなかった。喉に突き刺さる未知の刺激で、思わず流しに吐き出した。祖父の一升瓶から注がれた焼酎だった。
何で私はこんなことを書いているんだろう。やっぱり疲れてるからだろうか。
毎朝会う近所のカフェのおじさん(通称船長)に私は「たくさん寝たのに、疲れている」と言った。船長は「それは難しいことだ」と言った。
私は「そうだね。人生は難しい」と続けたら、船長は「そんなことはない」と返した。そんなことはないんかい。それは難しいことだ、と言うのかと思ったら、意外と人生には前向きなんだね船長。
船長は時々二日酔いでしんどそうな時もあるけど、おおむね、毎朝、淡々としている。機嫌が良いでも悪いでもなく、黙々と作業をしている。
ぜひ見習いたいと思うかというと、二日酔いはゴメンだから見習わないけど、淡々と粛々とやることやって疲れたとかこぼさない人間にはなりたい。