師走といえば吉田先生を思い出す
前田新田から、新浜までの部落
前田新田 鮫島 田子 小須 中丸 新浜の浜通り一帯を、吉田先生のバイクが走る
前田新田には600世帯 鮫島240世帯 田子400世帯 小須240世帯 中丸1000世帯 新浜900世帯があったのだが、
これらの部落に住んでいる子どもたちは、吉田先生のバイクの音から逃げ回っていた。
学校での集団接種がされる前や、集団接種できなかった子どものところに、吉田先生は、往診に回ってくる。
そう、吉田先生は、地域のお医者さんでした。
あの当時のお医者さんは、24時間365日、電話がつながって、何かあればバイクで飛んでくる
小さな内科の先生が、3500世帯の健康を担っていました。
インフルエンザという言葉が一般的ではなく、スペイン風邪とか、毎年の扁桃腺の風邪とか言われていたあの頃、地域医療という言葉がなかったあの頃、地域のお医者さんは、はしりまわっていました。
吉田先生の前には、吹田先生が、田子には、渡辺先生もいた気がするが、私が中学生になる頃には、吉田先生1人が休みなくぐるぐる回っていた気がします。
祖父が亡くなった時も、吉田先生に死亡診断書を書いてもらいました。今は少なくなった総合診療を行う先生。
そんな、地域医療を担っている先生ですが、子どもにとっては悪魔のような先生
バイクの音がすると、注射を打たれるかもしれないという恐怖で、子どもたちのネットワークでの連絡が来ると(携帯は無いからね)、次の部落の子どもたちは逃げ回っていました。
今考えると、先生のお時間をだいぶ無駄にしていたなぁと反省する
医療従事者となっている子どもたちが、浜通りにはたくさんいるんだろうな
吉田先生が亡くなり、浜通りには医院は一軒もなくなってしまいました。
バスもない、歩いて行けない、バイクでの往診もない地域も増えてますね
追悼 吉田先生
子どもの頃の思い出④でした。