ため息を 言葉にしてみよう 〜不在の存在〜
記録的猛暑となった2023年。
東京での64日連続(7月6日から9月7日まで)の真夏日(最高気温が30℃を超えた日)は過去最長に。
あの熱気とともに、薄闇に吸い込まれるように入った帝国劇場を思い出します。
プレビュー公演も含めた期間でなら…… You win!yeah!!(比べてどうする)
9月になっても暑いしうっとおしく日々は何も変わらないのに、『Moulin Rouge! The Musical 』@帝国劇場は終わってしまったのか、そうかー、とわかっているのにため息をついてしまう、そんなころ。望海サティーンのラジオ番組に甲斐クリスチャンがゲスト出演した放送回がありました。
記憶に新しい2人の姿が脳裏に甦り、それとオーバーラップするように、遠ざかるクリスチャンへ全身全霊で歌うサティーンの姿が。
流れてきた曲は公演時になかった英語歌詞での『COME WHAT MAY』。「♪Never knew……」でスイッチが入り、視界は涙で塞がれ、しばらく仕事の手を止め聴き入ってしまいました。
これは「パブロフの犬」実験でいうところのメトロノーム音で、引き金となる刺激やきっかけ(トリガー)で起こる条件反射なのでしょう。
大好きな映画なのに。
当時、購入したサントラにはちょっと不満でした。
「これが『大人の事情』ってやつなんですね」と邪推してみたり。
エンドロール曲が収録されていないことに鼻息荒く憤慨した同志も多かったのでは。翌年にOriginal Film Version を含めた続編版パート2が発売されました。
それからもう一つ。日本盤のみボーナストラックとして『LADY MARMALADE(THUNDERPUSS RADIO MIX)』が追加収録されていますが、そういった特典をそれほど嬉しくは思わなかったのです。
……はーい、正直に言います。
映画のテーマ曲として『LADY MARMALADE』が紹介されていることを僻んでいました。封入されていたPOST CARDは使うに使えず。
うーん、そっちなのか……と。
今はもうモヤっていません。立派なオトナですから。
舞台でジドラーが率いたのは LADY M 。Daiamond Dogs じゃなかった。
ハート型セットを背にし、MVに負けず劣らず不敵な笑みを浮かべ4人が歌うのは『LADY MARMALADE』。
「そうか。あのMV映像はミュージカル版のPVだったのね 」(※個人の感想です)
クリスチャンかわいい❤︎とボーッとしてる場合じゃありませんよ。
「資本主義の権化!」だって!ねぇ聞いた?びっくりして椅子から飛び上がりそうになりました。映画で聞かせてもらえなかったトゥールーズのセリフをおしえてもらえるなんて!劇中劇では真実を語るシタール役。演奏するプレイヤーじゃなくて楽器本体ってどういうことなの。この扮装姿もかわいいんだ、これがまた。
怒濤の最終局面を迎え、公爵が登場。手にしていた花束を見て、一瞬、息が止まりました。MVで気怠そうに寝そべる LIL' KIM 姐さんが、後ろへぶん投げる花束もこんな形状じゃなかったっけ?(びっくりして……)
平面図の説明書(映画)をもとにプラモデルキットに没頭し、パーツがかちっとハマった時のような気持ちよさを味わいました。新しい発見もあり、顕になった立体的な陰影にドキッとしたり。出来上がりは不恰好でも愛着は増すばかり。
この妙な充実感は、観劇によって『Moulin Rouge! 』の世界観を再構築したということなんでしょう。
もちろんテーマ曲についても異論はありません。
老若男女、観劇動機も様々に集った客席を瞬時にナイトクラブに、そして紳士と淑女に変える、そんな時空間を設定する『LADY MARMALADE』から始まります。
享楽、そして reprise 。
「サティーンの物語」は最後もリズムを刻む指パッチン(finger snap)で締めくくられます。その余韻には時間が動き始める、そう予感させる何かがありました。それはクリスチャンのモノローグにも。
映画は「悲愴感(悲しみに心を痛めている様子)」、
舞台は「悲壮感(悲しく辛い出来事に見舞われても力強さを感じる様子)」。
舞台のクリスチャンはこれから世界各地を旅して、きっとまた恋をする。
(で、こてんぱんに失恋しそう)
葬送曲とするには、まあね、ちょっとね、な歌詞だけど、サティーンからジドラーへのリクエスト(遺言)は「お葬式では下品な歌を歌ってね」だもの。はっちゃけるジドラーもかわいい。
来夏、クリスチャンに突然ナンパされる「初恋シート(甲斐クリスチャン命名)」が設置されるなら、全力で歌い踊り盛り上げる「『座持ち』エリア」なんていうのもどうでしょうか。(私はそのエリアも見える席を所望)。
再演が待ち遠しくて仕方がない。
ようやく本題へ。
映画『Moulin Rouge!』きっかけで、「アブサン」って何なん?と思いあぐねている、そんな戯言が続きます。どうぞお含みおきください。
名曲『Your Song』に「グリーンかブルーか忘れたけど、とにかく君の瞳は今まで見た中で一番ステキだ」という歌詞があります。相手は好きな人だよ、えー、そんなことある?おぼつかない記憶をたどってみたけれど、とにかくどっちの色でも君が好き!ってことかな。雑な解釈ゆえ、下記引用から今一度ご確認下さい。
(※「お金はないけど もしあったら 二人で住む大きな家を買う」という歌詞もありまして、舞台で公爵がサティーンに邸宅を見せるシーンで、「こっ、公爵の『Your Song』なのでは!」とびっくりして……。)
映画を繰り返し観ているうちに、クリスチャンやサティーンだけでなく公爵までも、瞳が時にグリーンに、またブルーに変化していることに気づきました。
瞳(目)の色の違いは虹彩の中のメラニン色素量によるもの。太陽光や環境によっても変化すると聞きます。見つめる側の気持ちも影響したりするのでしょうか?
(収拾がつかなくなるので、とりあえずブルーは一旦置いておいて)
映画の chapter:23「♪EL TANGO DE ROXANNE」で爆ぜる激情は、その少し前にある、ニニが揶揄するセリフ「 Don't worry, Shakespeare. ……」が火元です。
劇作家シェイクスピア(William Shakespeare 1564 - 1616)は、嫉妬や妬みに「green」を用いて登場人物に語らせています。どんなトラウマ体験を重ねていたんでしょうね。
「green eyed monster」は「嫉妬深い」という意味。greenを辞書で調べてみると、green with jealousy(めちゃくちゃヤキモチを焼いている)や、green with envy(めちゃくちゃ羨ましい)とあり、嫉妬や妬みを色で表現するなら「green」と英語圏で認知されていることがわかりました。
しかし、ニュアンスまでは教えてくれません。
「緑色」は『ハーゲンダッ◯ グリーンティー』を、「緑色のモンスター」で映画『シュレッ◯』(原題: Shrek)が思い浮かびました(ちなみに「ガチャピ◯」は恐竜の子どもだよ)。「緑色」にまつわるドラマチックな出来事やイカした逸話も知らないし、新緑、風に揺れる竹林など、のどかな風景が広がるだけ。
こんな拙い文章にシェイクスピアを引用すること自体、おこがましい気持ちでいっぱいですが、敢えて言うぞ。
『Moulin Rouge! 』に「green eyed monster」をみつけた(気がする)。
そして「嫉妬、妬み=緑色」を追体験した(と思う)。
今年の舞台なら8月24日(木)マチネ公演、チーム・エレファント(望海さん/井上さん)最終公演の井上クリスチャンは別格の monster 。ご本人がラジオ番組で日によって違っていたと話されていた覚えがあるので、見当違いでもないでしょう。感情の起伏も激しく、クリスチャンを怖いと感じた唯一の日(私が観た中で)です。果てのない暗闇を纏っていたとでも言えばいいのか(コートの内側に、ドラ◯もんの四次元ポケットとつながっているスペアポケットが付いていたりして)。
『CHANDELIER』曲中の :・゚✧:・゚ 𝓒𝓱𝓻𝓲𝓼𝓽𝓲𝓪𝓷 ✮⋆。°✩⋆˙ あの breathy voice が今でも時々耳の奥で聞こえます。私も緑の妖精に取り憑かれてシマッタ。アブサンを飲んだことないのに。
そのアブサン「absinthe」。フランス語の愛称は「 la fée verte 」で緑の妖精を意味するそう。 名前の由来は諸説あり、一つには主原料ニガヨモギの学術名にあるabsinthium(ラテン語)からとのこと。英語の「absence」の語源だと知って以来、映画の視点が変わりました。フランス語でもその意味は「不在」。
映画はオケピの演奏で赤い緞帳が開き、20世紀FOXのロゴに合わせたファンファーレと曲が少しずつ流れ始まります。
トゥールーズがシタールコスで登場。紙芝居の口上でたとえるなら「むかーし、昔、あるところに……」で1900年のパリへ。
散らかった部屋にうなだれたクリスチャン。その自堕落さの理由は早々に明かされます。「不在」の存在があることを踏まえ、前年1899年の夏へ。
理想を捨てず逞ましく生きるボヘミアンに出会い、彼らの前で(後でサティーンにも)有り余るほどの才能から溢れた言葉で「愛」を称賛します。愛は酸素だとも。(『Elephant Love Medley』ほか。原曲はLove is Like Oxygen(1978)/Sweet )後に、死に臨んで在ることを悟ります。理屈で理解できることばかりではないのだよ、クリスチャン(自戒の念も込めて)。
映画でアブサンを飲むのはサティーンに出会う前、景気付けに1杯。緑の妖精と一緒に歌って踊っちゃうんです。
クリスチャンのグラスは見た目は「カラ」でも酸素を含む空気が入っています。
無味無臭、無色透明で定形を持たない気体の存在を日常で実感する機会は少ないけれど、たとえば小学校の理科で行った気体を可視化する燃焼実験なんかは、とてもシンプルに大事なことを教えてくれたんだなと、今となっては思います。酸素はものを燃やす働きがある気体で、燃えると空気中の酸素が使われ、二酸化炭素が増える。空気が入れ替わるように通り道を作れば、ものは燃え続けることができる。
そういえば、生きていく上で大事なものは目に見えないものが多いよね。
(どれだけ言葉を尽くしても見えないものは見えないよ。感受性の違いですと?)
グラスにアブサンが入っているということは、代わりにそこにあった酸素がなくなったということ。酸素(愛)の痕跡を感じさせるアブサン。
アブサンの特徴的な色「グリーン」は、そう、嫉妬や妬みの色。嫉妬は愛の不在ってことね(結構なこじつけですが)。
クリスチャンはアブサンを飲み込み、初めて嫉妬(愛の不在)の味と刺激を経験するわけです。愛を知らなければ嫉妬も生まれなかっただろうに。
さて、体内に匿った green eyed monster を覚醒させるトリガーは何でしょうね。
飲み干したグラスは カラ。消え失せてもそこに「愛」が確かに存在していると実感したくてグラスを満たす、なーんて。トゥールーズがグラスを手にしている時は常に「不在」だ。大事な人の代わりに、隣に、背景に緑色のアブサンが一緒にいる。
宗教的意味合いはないけど、トゥールーズを特定するアトリビュートのような関係にあると言ってもいいのでは。愛おしそうにアブサンを見つめる姿もあり、ただの大酔っぱらい伝説(失礼な!)を表現したいわけじゃないよね。
トゥールーズにとっての「不在」の存在とは。
考えただけで、ちょっと泣きそうです。だから舞台でトゥールーズとサティーンが並んで座り、クリスチャンの才能と未来について語り合うシーンは、椅子から飛び上がりそうになるくらい嬉しかった。「愛」でしょ、これも。慈愛とでもいうのでしょうか。彼の気持ちを知る私のやるせなさまで報われた瞬間でした。