「当たり前」と思うと感謝できなくなる
水道が壊れて水が出なくなった。
壊れたのが夜中だったので
水道屋さんも呼べなかった。
家にあった2Lのペットボトル数本で
その日は過ごした。
次の日の午前に水道屋さんが来て、
修理が始まったけれど、
「もしかしたら今晩は直らないかもしれない。」と
告げられた。
料理もできない。トイレも流せない。
手洗いもできない。お風呂も入れない。
壊れていることがわかっていたのに
無意識に蛇口をひねって
「あ、壊れてるんだ」
トイレに入って無意識に流すけど
「あ、壊れてるから流れない」
どれだけ今まで無意識に水を使ってきたんだろうと
その時初めて気づいた。
今晩も水が出ないなら大変だと、
私は空になってる2Lペットボトルを大量に集めて
近所の公園の水道に汲みに行った。
空のときはいいが、
水を入れたペットボトルはとても重い。
何回も、何回も、くみに行って、
帰って、くみに行く。
ふと、あることを思い出した。
アフリカに住む少女の
ドキュメンタリー番組だった。
彼女は生活のため、ほぼ毎日
家から10km離れた場所へ水を
くみに行く生活をしていた。
その時は「大変そうだ」と
テレビ見ていたけど、実際に自分で経験したら
大変なんてもんじゃなかった。
今回のトラブルで水の他にも、
無意識に特に有り難さも感じず
使っているものが沢山あるのではないかと思った。
当たり前にあるものを当たり前として生活していたらきっとどんな生活をしても満たされないだろう。
水があって、お風呂、料理、洗濯、皿洗い、掃除ができる。水は私の生活を支えているのに、あって当たり前と特に有り難さもわからず使っていたことに恥ずかしくなった。
当たり前を当たり前って思うのは怖いね
色んなことに感謝できなくなる。
これからは、日々の生活で大切なことが
見えなくなったとき、今あるこの当たり前は
「本当に当たり前?」って
自分に問いかけていきたい。
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