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縁起が悪い朝の話

今日は、朝からなにかと縁起が悪い日だった。
ガチャンとコップが割れるような音で目が覚め、慌てて電気を付けると床で家人が悶えながら倒れている。
低血圧のせいで立ち眩みをして、フローリングに頭をぶつけたらしい。
慌てて駆け寄ってソファーに寝かせたが、しばらく様子を見ても吐いたり痛みを訴えてはこなかったのでホッとする。
なんだか生きた心地がしないまま、代官山へ新人研修を受けに行く家人を送り出した。

そんなときに頭を過ったのが北日本文学賞の一次選考の結果で。
時刻は朝5時、嫌な後味を引き摺ったままページにアクセスすると、縁起の悪さを証明するようにブラウザの上から下まで目を皿にして探しても、私の名前はどこにもなかった。

北日本文学賞は門戸の広い賞のため、一次選考は比較的通過率が高いと訊く。
私も、きっと一次くらいは通るだろうと思っていたけれど、考えが甘すぎた。
一次「くらい」なわけがないのである。
今朝の縁起が悪かったのはこの予兆だったのかも、と冷静に受け止められた。

今までの人生で、小説の公募以外にも賞レースで落ちたことは数え切れないほどある。
放送部の全国大会、声優養成所の所属オーディション、地方局のアナウンサー試験。
そのどれもを落ち続けてきたから今の私がいて、ずっと積み上げてきた夢を諦めたときに、親友に勧められたのが小説を書くということだった。
ショコラティエの親友が作ったボンボンショコラの商品名や、キャッチコピーを考えることはとても楽しかった。
きっと、何かを想像したり文字でデザインすることが向いていたのだろう。
だからこそ、書くことに夢中になってRPGのゲームにハマった夏休みの子供のようにのめり込んでいった。

「あのキャラクターのオーディションに落ちたのは、私の声質がアルトで少女役には向いてないから」
「アナウンサー試験に落ちたのは、他の受験者と比べて容姿が劣っていたから」

東京に来てから、何度も負け戦を重ねて自分にとって都合の良い逃げ道になる「から」を繰り返した。
そのたびに「だから、わたしは悪くない」と自分自身を慰めていたけれど、今回は違う。

悔しかった。全然ダメだった。
公募に出した作品は、自分でも気に入った作品だったのでなにがダメだったのか、どこが劣っていたのかと考えることも辛い。
けれど、その「なにか」を自分の作品の中から見つけ出さないと次の作品には進めない。
悔しいという気持ちはきっと消えない。
でも、自分が書いた作品の中に何かしらのヒントがあるんだろう。

救われたことに、お昼に入った学食はランチタイムなので学生の波で溢れかえっていたけれど最後のGランチを買うことができた。
縁起の悪い朝は、長くは続かないみたいだ。

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