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#10.小説「糸」
起
僕には運命の赤い糸が見える。
あれは物心ついた時ぐらいだろうか。お母さんと近くにある山の上まで散歩しに行った時の事だ。
山の上には鳥居が建てられていて、その奥に進むと小さな神社とちょっとした遊具が置いてあった。
鳥居の目の前まで来ると早く遊具で遊びたくて一目散に走りだした。見えるようになったのはその時からだ。
何もない所で何かに躓(つまず)いて転んでしまって僕は大声で泣いた。
「大丈夫?痛かったね~、よしよし。」
そんな事を言いながらお母さんはすぐに駆け寄って僕を抱きかかえて慰(なぐさ)めてくれた。
泣きながら、抱えられながら、母親にしがみついている手を見るといつの間にか僕の右手の小指には赤い糸が結ばれていた。
その糸は風に揺られて遥か遠くへと伸びていた。
そんなことがあってから数年が経った今でも僕の小指からは糸が伸びている。
試しに何度か解こうともした。でも固く結ばれていて解けなかった。
引っ張っても取れる気配がない。
一度、お母さんにも言ってみたことがあった。
「ねぇ、お母さんこれ解いて~」
「どれ?」
「これ。」
「何もないじゃない。」
「えっ...?ほら、これ。小指に巻いてあるこの糸。」
「...もう、何言ってるの。何もついてないわよ。」
「......?」
子どものよくある冗談だと思われて信じてくれなかった。
あぁ、そっか。これはたぶん僕にしか見えない糸なんだ。
その時初めて悟った。
いっその事、ハサミで切ってしまおうかとも思ったことがあった。
でもそれは怖いからやめた。
もしかしたらこの糸は自分の命に係わる何かとても大事なモノかもしれない。
切った瞬間に僕は死んでしまうかもしれない。
そんなことを考えたら怖くて怯(おび)えて切れなかった。
子供の想像力はとても豊かだ。
それ以降、無理して糸をどうにかしようとは思わなくなった。
山の上には今でもよく遊びに行く。
僕は今、神社の横にあるベンチに座って繋がれた糸を見つめている。
この糸は一体どこまで続いているのだろう。
一体何と繋がっているのだろう。
そんなことを考えていると後ろから声を掛けられた。
「こんなところで何してるの?」
振り返るとそこには自分と同い年ぐらいの少女が嬉しそうな顔で僕のことを見ていた。
あれ、この子の小指…
彼女の左手の小指にも自分と同じように赤い糸が結ばれていた。
そして、自分と同じように遥か彼方へと伸びていた。
「ねぇ、聞いてる?」
「…あ、え?」
「だからこんなところで何してるの?って言ってるの。」
「いや、こんなところって言われても…ここ、公園じゃん。」
「だから言ってるんじゃない。遊ぶ所なのに何もしないでベンチに座ってぼーっとして。なんか散歩しに来たおじいちゃんみたい。」
「んなっ!」
「ねぇ!そんな事より暇だったら私と一緒に遊ばない?」
「は!?えっ。ちょっ...!」
そう言うと彼女は無理矢理、僕の手を引っ張って走り出した。
何でもない。子供だったらごくごく普通のありふれた出来事。
それが彼女との出会いだった。
彼女はどうやら親の転勤でこの街に引っ越してきたばかりらしい。
家にいても暇だからと散歩していたところ、ぼーっと遠くを眺めているおじいちゃん(僕)を見つけたから声をかけたということだった。
それからというもの、彼女とよく遊ぶようになった。
朝から神社に集合して遊具で遊んで
お昼になるとどっちかの家に上がり込んでご飯を食べて。
日が暮れるまでまた遊具で遊んだりベンチに座って話をしたり。
いつからかこれが僕らの日課になった。
いつも笑顔で天真爛漫な彼女。そんな彼女に僕は次第に惹かれていった。
承
それはある日のことだった、ベンチに座ると何か落ちているのが目に入った。
「なんだろう、これ。」
落ちていたのは見たことない小さなハサミだった。
「何?どうしたの?」
後ろから彼女の声がした。
「何か落ちてたんだ。ほら、これ。」
「あ!これ私知ってる!握りバサミよ。裁縫で使うやつ!お母さんが使ってるの見たことあるの。」
「へぇ~、詳しいんだね。でも何でこんな所にそんなハサミが落ちてるんだろ。」
「きっと、ここで誰かが編み物でもして忘れていったのよ。あ!そうだ!」
いいこと思いついたと言わんばかりに僕に目を向けてきたが、その顔はどう見ても悪い事を企んでいる顔だった。
「このハサミ、私達だけの秘密の宝物にしようよ!」
「…やっぱりか。」
「なによ、やっぱりって!」
「その顔してる時はロクなこと思いつかないなって。」
「いいじゃん別に。探しに来なかったってことは要らないってことじゃない。」
「いや、たぶん探しに来たけど見つからなかったんじゃないかな。」
「それは…そうかもしれないけど…でも名前も書いてないし誰かに拾われても文句は言えないわ。」
「素直に届けた方が…」
「嫌よ。もう秘密の宝物にするって決めたんだから!」
ここまで来るともう誰の言う事も聞かないだろう。
僕は軽くため息を吐いてから静かに提案した。
「分かった。じゃあこうするのはどう?一週間。一週間ここのベンチに置いておく。それで誰も探しに来なかったり、持って行かれたりしなかったら僕たちのモノ!それでどう?」
彼女はキラキラと目を輝かせた。こんな嬉しそうにする彼女を止めることなんて僕にはできなかった。
ハサミは分かりやすくベンチの真ん中に置いた。
「分かったわ。一週間。それでもここに置いてあったら私達のモノね!」
「じゃあ今からゲーム開始ってことで。」
「オッケー!絶対私たちの宝物を守り抜いて見せるわ!」
「待って!それじゃルールが違うじゃないか!!」
そんな事を言いながら一週間、僕らは毎日のように神社に来ては宝物が奪われていないかを見にやって来た。
たまに、遊んでる最中に何人かの人がベンチに座って冷や冷やしたけど、誰も触ろうとしないどころか誰も見向きもしなかった。
それでも日を追うごとに今日こそはなくなっているんじゃないかと不安と期待が大きくなった。
そして
「やった!一週間たったわ!これでもう私たちのモノね。」
「で、その宝物はどうするの?」
「決まってるじゃない。隠すのよ。」
「え?」
「誰にも見つからない所に隠して、またここに来た時に奪われていないか見に来るの。」
「それってやってる事今と変わらないじゃん。」
「いいじゃない。それが楽しいんだから。ほら、いいから早く隠しに行こ!」
「えっ。ちょっ...!だから待ってって...っ!」
相変わらず彼女は強引に僕の手を引っ張った。
僕の左手には小さなハサミが。右手には彼女の左手が握られていた。
〝これからモこのままずっト一緒ニいらレたラ…〟
結局、一日中探し回ったけど隠せるような場所は見つからなかった。
「なかなかいい場所は見つからないね。」
探し疲れてベンチで話をしていると、彼女はこんな事を言い出した。
「...あっ。じゃあこれはあんたが持っててよ。一番最初に見つけたのもあなただし。今日の二人だけの思い出ってことで机の引き出しにでも隠しておいてよ。」
「えっ。それじゃ隠してることにならないんじゃ。」
「いいの!隠さなくても私達の秘密ってだけで隠してることになるんだから。」
「それはそうだけど。」
「いい?二人だけの思い出だからね。絶対忘れちゃだめよ。約束だからね!」
そう言うと彼女は笑顔で小指を突き立てた。
「...わかった。約束する。」
僕も秘密を守ることを誓い夕日に照らされる中、彼女の小指に自分の小指を絡ませた。
問
「ねぇ!〝運命の赤い糸〟って知ってる?」
それはある日の夕方だった。
いつもの様にベンチに座って話をしていると彼女は突然そんな事を言ってきた。
僕の心臓は跳ね上がった。
「えっ...!?」
「結婚して一生を寄り添う人とはね、出逢う前からその〝運命の赤い糸〟で結ばれているんだって!」
彼女はまたキラキラと目を輝かせてそう言った。
そっか。この糸は運命の人と繋がっているのか。
「そっか...。」
「私も早く出逢いたいな~。そんな運命の人と。」
「...きっとそのうち出逢えるよ。」
「本当に!?」
「うん。」
「それ誰か分かる?私今からその人に会いたい!!」
「いやっ、この近くにはいないんじゃないかな、たぶん。ずっと遠くにいると思う。」
「...ふ~ん。な~んだ。つまんないの。」
「...そのうち逢えるよ。」
「あーあ。すぐ近くにいる人だったら良かったのにな...」
「...」
「...ねぇ。」
「...ん?」
「もし大きくなって、私がまだ運命の人を見つけてなかったらさ、その時は君がその運命の人になってよ。」
「えっ...」
「…ダメ?」
いつも元気な彼女だが、この時ばかりはやけに大人しかった。緊張しているのか、わずかに声が震えていた。潤んだ瞳でまっすぐ僕を見つめてくる。それがあまりにも可愛くて、それがあまりにも恥ずかしくて、僕は視線を落としてしまった。
でも逃げた先には彼女に結ばれた赤い糸が伸びていた。さっきまで舞い上がっていた僕の心は沈んでしまった。
「えっと...それは、その...」
何て返せばいいのか分からなくなった。
何も言えずに口ごもっていると彼女のお母さんが迎えに来た。
「また今度、答えを聞かせてね。じゃあ、またね。」
彼女は少し寂しそうに笑いながら僕に手を振り母親のもとへと駆けていった。
〝こンな糸さエ見えナかッタラ...〟
そうだ。きっとこんな糸なんて見えなかったら素直に頷いていたのだろう。
でも見えている僕がそれをしてしまっては、それはあまりにも無責任だ。
「あのまま迎えが来なかったら僕は何て返事をしていたんだろう...」
夕日に照らされた親子2人、手を繋いで歩く後ろ姿。
そんな絵にかいたような微笑ましい光景を見つめながら僕は後悔と疑問に襲われた。
答
あれから月日が経ち俺も高校生になった。
あの時から彼女への想いは変わっていなかった。
いや、むしろあの頃よりもずっと大きくなっていた。
俺は今でもあの山の上にある神社によく出かけている。
親に叱られた時、テストの点が悪かった時、悲しい時や何か嬉しい事があった時。
何かある度にこの小さな神社を訪れてはベンチに腰掛け、ぼーっと遠くの景色を眺めている。
でも足を運ぶ一番の理由、それは...
神社に着くと遠くの方から子供のはしゃぐ声が聞こえてきた。俺にもあんな小さい頃もあったな。なんて眺めながら歩いていると、ベンチに座ってうずくまっている女子高生を見かけた。ドクンと心臓が高鳴った。俺は必死に隠して声を掛けた。
「こんなところで何してんの?」
俺の声に反応した彼女は顔を上げると一瞬驚いた様子だったが、またすぐに顔を埋めてしまった。
彼女がぽつりと呟いた。
「…こんなところって…ここ、公園じゃん。」
「だから言ってんだろ。遊ぶところなのに何もしないでベンチに座ってうずくまって。なんか迷子になった子供みたいだな。」
「...」
「何かあったのか?」
「...何もないわよ。」
「何もないやつが公園でうずくまる訳ないだろ。」
「…」
「...はぁ。…ったく。お前今暇?」
「…暇じゃない。」
「そっか。じゃあ久しぶりに今から何処か遊びに行くか!」
「は?だから暇じゃない…って、えっ。ちょっ...!」
そう言って俺は無理矢理、彼女の手を引っ張って走り出した。
最初は彼女も乗り気ではなかったが、だんだんといつもの調子を取り戻して、気づいたら二人して笑っていた。
大人びた彼女、でもあの頃と何も変わらない。
やっぱり一緒にいて楽しかった。
〝俺がコノ子ノ運命の相手ダッタラ…〟
そんな気持ちを知ってか知らずか。
チラチラと見え隠れする赤い糸が俺の心に釘を刺した。
ひとしきり遊んで日も落ちかけてきた頃、いつものベンチに腰を掛けた。
「ありがとね。」
「いいよ、別にお礼なんて。誰かと遊びたい気分だったし。」
「…あんたって何も変わってないよね。」
「いや、変わっただろ。いつもは連れ回される側だったし。」
「そうだったね。」
「だろ。」
「うん…」
「…」
「…。」
「私ね、引っ越すことになったの。」
「えっ...」
「また親の転勤が決まっちゃって。ここに残りたいって言ったんだけど、まだ高校生の私じゃどうすることも出来なかった。」
「...行先は?」
「分からない。でもここからずっと遠いところ。」
「...いつ家を出んの?」
「……まだ決まってない。でも近いうちだって。」
「...そっか。急...だな。」
「ごめん。」
「別にいいよ、謝らなくて。仕方ないよ。」
「うん。」
「…」
「...」
遊んでいた子供は家に帰って今は誰もいない。
夕暮れ時の神社に2人。嵐の前の静けさだった。
「ねぇ、あの時の話、憶えてる?」
「...あぁ。」
「〝もし大きくなって、私がまだ運命の人を見つけてなかったら〟ってやつ。」
「...憶えてる。」
「あの時、私は〝その時は君がその運命の人になってよ〟って言ったよね。」
「...うん。」
「あの日から何年も経ったけど、今でも私の答えは変わってない。少女漫画みたいな運命的な出会いをしたわけじゃないけど。あの頃から私は...私は今でもあなたの事が好き。」
「…」
「今、あなたの答えを聞かせて欲しい。」
俺がこの神社に足を運ぶ1番の理由。
その答えを出すのに俺はどれだけの時間、思い悩み、何回ここへ訪れただだろう。
彼女の顔は夕焼けよりも赤く染まっていた。色んな想いが込み上げていたのか
声は震えていて俺を見つめる瞳は今にも涙がこぼれそうだった。
小さかったあの頃と重なって見えた。
同じ時間に、同じ場所で、同じ顔をして、同じ言葉で。
嬉しかった。
だから俺も今度こそ彼女の目をまっすぐ見て答えた。
あの時言えずにずっと抱えていた後悔を__。
「...ごめん。その運命の相手は俺じゃない。俺はお前を幸せにできない。」
これがずっと思い悩んで出した俺の答えだった。
彼女の目から涙がこぼれた。
「...ごめん。」
「別にいいよ。謝らなくて。仕方ないもんね。」
「...ごめん。」
「だから謝らなくていいよ...。」
「...」
「...。」
それからどれだけ時間が経っただろう。
長い沈黙が流れた。それは時間にすればほんの数分だったと思う。
でも、今まで生きてきた人生の中で一番長く感じた数分間だった。
重い沈黙が続いていた中、彼女が口を開いた。
「あ~あ、もしかしたら付き合えるんじゃないかなって思ったんだけどな~。ハハハ。残念。」
「…」
「…ねぇ。もし、あの時。私のお母さんが迎えに来なかったら、なんて答えてくれた?」
「…分かんない。でも、今と同じ答えを出した…と思う。」
「…そっか。」
「…うん。」
「…そうだよね。実はね、私。あの時からあなたはそう答えるんじゃないかなって思ってたんだ。」
「…何で?」
「だって、今日もそうだったけど、あの時も。楽しそうにしているのに…いつも何処か悲しい顔をしていたから。」
「…」
「だけど私は…最初からダメだって分かってたとしても、何もしないで諦めたくなかったの。」
「…」
「じゃあ。私、そろそろ行くね。今までありがと。」
「またね。」
そう言い残して彼女は今できる満面の笑みを浮かべて去っていった。
〝…糸さエ見エナケレバ…こンナ糸サエ…ナケれバ…〟
「そうだ。きっとこんな糸さえなかったら、俺はきっと…」
やるせない想いを糸にぶつけることしかできず、走り去る彼女をただ見つめる事しか出来なかった。
彼女はあの時とは違って俺に手を振ることはしなかった。
転
あの日からどれぐらいの月日が経っただろうか。
なんて言葉を掛ければいいかわからず彼女を見かける度に避けてしまった。
俺は最後まで、彼女に会うことが出来ずに別れてしまった。
何処に行ったのかも知らない。連絡先もあれからすぐに消したから今頃どうしているのかも分からない。
机の引き出しを開けてみる。
大切にハサミがしまってある。
手に取ってみるとあの時の彼女の言葉が浮かんでくる。
「二人だけの思い出…か。」
これで良かったんだ。
だってあいつには運命の人がいるんだから。
そのうち俺の事なんて忘れて幸せになるさ。
「俺の事なんて…」
俺は深いため息をついた。
あいつは今頃運命の人に出逢ったのだろうか。
俺の事なんて忘れて楽しく過ごしているのだろうか。
〝何であの時素直に言葉を言えなかったんだ…〟
後悔していた事を言えた筈なのに俺はあの時とは比べモノにならない程の大きな後悔に襲われていた。
「いや、あの時だけじゃない。子供の時だってそうだ。ずっと、ずっとずっとずっと…っ!」
〝…ナンデ俺ダケ二コンナ糸ガ見エルンダ…!〟
「そうだ。最初からこんな〝糸〟なんて見えなきゃよかったんだ!!」
〝糸ナンテ方ガイイ!コンナ糸ナンテ切ッテシマエバ…ッ!!〟
「そうだ!糸さえなければ今頃あいつと...っ!!!」
溢れだした後悔は怒りへと変わり、行き場のないそれは糸へと向けることしかできなかった。
すべてが嫌になった俺は持っていた握りバサミでをとうとう糸を切ってしまった。
プツン―――ッ。
切った瞬間、頭に閃光が突き抜けた様な衝撃を受けて身体に力が入らなくなった。
意識が遠のいていく。糸が解れて消えていく様を見ながら目の前がだんだんと真っ暗になった。
縁
ここは…?
目を覚ますとそこは妙に神聖な場所だった。
何十メートルもある大きな鳥居がそびえ立っていてあとは真っ暗で何も見えない。
地面からは霧が出ていて空気が少しひんやりしていた。
「…あれ?俺何してたっけ。…確かハサミを手に取ってから…そうだ糸!!」
小指を見ると今まで結んであったはずの糸が消えていた。
気付けば握りしめていた筈のハサミもなくなっていた。
暗闇の中、ここがどこなのかも分からない。とりあえず出口でも探そうかと歩き出したら誰かに足を引っ掛けられた。
咄嗟のことに反応できず俺は転んでしまった。
「…ッ痛!」
「カハハハ。やっと目ぇ覚めたかい?」
そう言いながら突然目の前に子供が現れた。赤い髪をした長髪の男の子だった。
「やあ。お前さんとこーして会うのは初めてだね。」
「…誰?」
「僕は、まぁヒトの言うところの神様ってやつだ。」
「神様...?」
「そう、お前さんが小さい頃から通っていた神社があるだろ。あそこは人との縁を結ぶ神社でね。僕はそこに住まう神様さ。」
「…。」
「急にこんな場所に連れて来られてるんだから信じてくれたっていいとは思うんだが。じゃあ、あれだ。今さっき僕が足を引っ掛けただろ?それでお前さん何か思いださないかい?ほら、今みたいに鳥居の前で、何かに躓(つまず)いて転んだあの日のことを!」
「...あぁっ!」
「そう!あの時!何もない所で転んだのは何かに躓いたからじゃない。僕が足を引っかけたから転んだのさ。それを思い出して欲しくて今もやったって訳さ。まぁ、あの時はすまなかったねぇ。お前さんに赤い糸を見せるようにしたかったんだ。ケガもしとらんし許しておくれ。」
「じゃあ、あんたは本当にあそこの神様って言うのかよ。」
「まぁね。これで信じてもらえたかい?」
「仮にもし、本当にあんたが神様って言うなら、やっぱり俺は死んだのか。...ハハハあんだけ糸に振り回されたのに、結局は子供の頃に描いていた想像通りだったって訳か。」
「おいおい。ちょっと、待った待った。そんなに早まらないでおくれよ。大丈夫、お前さんはまだ死んではいないさ。ここは現世と天界の狭間みたいなところでね。ここに呼んだのはお前さんと話がしたかったからさ。ちょっとここで待ってておくれよ。」
そう言うと神と名乗る子供は暗闇の奥へと消えていった。
程なくして、ちゃぶ台の上にせんべいやら急須やらを乗せて戻ってきた。
「ささ、久しぶりの来客だ。まぁ何もないが、この茶菓子でも食べてくつろいでっておくれよ。」
そう言いながら神様はズルズルとお茶を飲み始めた。
これに付き合わなきゃ帰らせてもらえそうにない。
諦めて俺も茶菓子に手を付けようとした時、神様はちゃぶ台の上にハサミを置いて話を切り出した。
「お前さん、これで縁結びの糸切っただろ。」
「…!そのハサミ。」
「お前さんが持ってたこのハサミはね。本来、人の手には決して渡ってはいけない危険なハサミなもんでね。寝ているときに回収させてもらったよ」。
神様は話し始めた。
「これは神が持つ神器の一つ。人の縁を切る〝縁切り鋏〟ってんだ。
この鋏で切っちまったら、繋がっていた筈の人との〝縁の糸〟はもう二度と戻すことが出来ない、なんて言われてんだ。
お前さん、この鋏を手にしてから誰かの声が聞こえていたんじゃないのかい?
そいつはね。自分の〝心の聲〟さ。
このハサミを手にした人間は自分の心の奥底でこだまする〝聲〟が聞こえるんだ。
自分の意志が弱いと…まぁお前さんみたいに聲に吞み込まれる。」
「本来、僕たちは下界には干渉してはいけないんだが...神にも中には悪い神もいるもんでねぇ。たぶんここいらのどっかから持ち出してあそこに落としたんだろ。そ~ゆ~人の不幸を楽しむ輩もいるもんだから困ったもんさ。」
神はお茶をすすってため息を吐いた。
「で、なんで糸を切りたかったんだい?」
「そんな事あんたには関係ないだろ。あんな糸があったから俺は…」
「あの子と付き合えなかった?」
「………そうだよ。」
「いやいや、それは違うだろ。あの糸がなくても付き合えた筈さ。」
「…あんたに何が分かる。」
「何だって分かる。僕は神様だ。だってそうだろ?別にあの糸があってもなくてもお互いに想い合っていたんだ。素直になれば付き合えた筈さ。お前さんは自分のことがただ可愛いかっただけさ。」
「違う。」
「いーや、違わないね。お前さんはあいつの為になるって勝手に自己完結して振っただけだ。こんだけあいつのことを想って考えてる俺。悩んでる俺。そ~やって悲劇のヒロインを気取ってただけさ。あの子はただただ可哀そうだったねぇ。」
「…でも、付き合ったとしても。どーせすぐに別れてた。」
「全く、どうしてお前さんはそうやって決めつけるんだい?そんなことは誰にも分からないじゃないか。」
「分かるだろ!だって。あの糸は...糸は俺たちを結んでいなかったじゃないか。」
「お前さん本当にそう思っているのかい?」
「事実そうだろ。…俺たちは繋がっていなかった…」
「じゃあ一つ聞くが、何であの子もこのハサミが見えたんだい?」
「…何が言いたい。」
「もう一度言うがこれは神器の一つだ。そんな神器なんて大層なモノ。本来、普通の人間には触れるどころか見えもしないのさ。」
「…っ!!」
鋏を見つけたあの日のことを思い返す…確かに、自分たち以外の人には見えていないようだった。
俺とあいつにしか見えていなかった…?!
「お前さん、聞きたいかい?」
〝何故、お前さんに赤い糸を見えるようにしたのか?〟
少し考えた後、俺は黙って頷いた。
「これは誰も知らない、と或る男女の話さね。
或る時、ここに男と女がいた。
いつか近い将来、結婚してこの人を幸せにしようと男は固く誓っていた。
二人は互いに想い愛し合っていた。
こんな幸せがずっと続くと思っていた。
でもそれは叶わなかった。
女は突然倒れたんだ。
治ることはない不治の病に侵されてしまってね。
やがて女はこの世を去った。
「私の事なんて忘れて前を向いて生きて欲しい。私以外の人を好きになってどうか幸せになって欲しい。」女から最期まで言われ続けた。
でも男はそれをしなかった。ずっと女の事を想い続けたんだ。
結局その子の事を忘れずに、生涯、その女性だけを愛して生きる道を選んで死んで逝った。
それを見て僕は感動した。そんな一途に想い続けることなんて到底出来る事ではないと。
だから前世のお前さんが死んだ時、魂が天に昇っちまう前にここに呼んでその子との運命を結んでやったのさ。
〝生まれ変わった時、また二人が出逢い、今度はちゃんと幸せに暮らせますように〟と。
それがお前さんの小指に赤い糸を宿した理由さ。」
「そんな理由が...でもだからって俺とあいつが運命の相手だって証拠には…」
「ここまで言ってもまだ僕の言いたい事が分からないのかい?」
「…っ!」
「仕方ない、じゃあ大ヒントをくれてやろう。お前さんには決めつけていることが二つある。一つはあの子と付き合っても分かれると思っている事。もう一つは、赤い糸が自分だけにしか見えないと思っていることだ。」
「えっ?」
「まぁ実際、母親には見えていなかったんだから自分だけにしか見えていないと思っても仕方がないが。でもこうは考えられないかい?自分はあの子の赤い糸が見えた。だったら、あの子だってお前さんの糸がもしかしたら?」
「まさか…っ!?」
〝見えてるかも知れない〟
「言動を思い出してごらん。僕が見ていた限りでは、彼女は最後まで諦めていなかったと思うよ。いや、もしかしたら…」
俺は彼女と出会ってからの事を思い返した。
出逢った時に嬉しそうな顔で俺を見ていたこと。
二人だけの思い出と言って、忘れないでと約束したこと。
俺が振った後に彼女が言ってた言葉。
あの時も、あの時も…あの時もそうだ。
「あいつも俺の糸が見えていたって言うのか。もし本当にそうだとしたら…あいつは…っ!可能性があるかもしれないって…信じて諦めずに抗っていたのに…俺は…っ!!」
「もう一度やり直したいかい?」
「…えっ?」
「お前さんにもう一度チャンスをあげるって言ってるのさ。でもそれは〝イチか、バチか〟の賭けみたいなモノだけどね。」
「…どういうことだ?」
「簡単な話さね。もう一度お前さんとあの子との縁を結ぶのさ。」
「そんな事…できるのか?」
「普通の神ならできないが、でも今、お前さんの目の前にいる神様は何の神様だい?」
〝 縁結び 〟
「そうさ。僕は何百年、何千年と人と人との縁を結んできた神様だ。また縁を結び直せばいいだけの話さね。
とは言っても、一度切っちまった〝縁の糸〟はたとえ僕でも、もう二度と戻すことは出来やしない。
だから今度結ぶのは〝糸〟じゃなくて…これさ。」
そう言うと神様は自分の髪の毛を一本引っ張った。
「僕の髪には魂が宿る。〝お前さんがいつまでもあの子のことを想い続けます〟って誓いを立てて小指に結ぶのさ。
でも、結んだからといって再び縁が結ばれる訳じゃない。あの子の方がこの糸に気づいて、また自分の小指に結んでくれない限り、縁はずっと切られたままだ。こればっかりは彼女を信じるしかないね。」
「一か八かってそういう事か…」
「それもそうだが。この誓いの髪は裏切るようなことをすればすぐにでも切れるし、彼女への想いが弱くなればすぐにでも解ける。そうなったら神を裏切った行為とみなされて、もう二度と彼女には会えないどころか、今までに遭ったこともない不幸が一生訪れると思っておきな。〝幸〟せを掴むか〝辛〟い目に合うか。それが本当の意味での〝一か、罰か〟さ。」
「言っておくが、お前さんは一度彼女との縁を自ら切っちまっている。
これでまた結んだからと言ってすぐにあの子に会えるとは限らない。何十年も先になるやもしれん。
いや、それ以前に彼女を傷つけているんだ。結んでくれなくて、一生逢えないかも知れない。
それでもお前さん。彼女を想い続ける覚悟はあるかい?」
俺は顔を上げて真っすぐ神様を見つめた。
なんの曇りもなかった。
そんな顔を見て神様は笑った。
「カハハハ。何だいその顔は。そんなにキラキラと目を輝かせて。
まるで親が見つかって安心した時の迷子の子供みたいじゃないか。」
「なっ!!そんな顔絶対してなかっただろ!」
「カハハハ!…いや〜すまない。面白くてつい、許しておくれよ。…杞憂だったね。前世で半世紀以上も想い続けたんだ。今世のお前さんにも出来ない筈がなかったね。」
そう言って優しく微笑むと赤い髪を俺の小指に巻き付けた。
結び終わると結んだ毛先から赤い光の線がスーッと暗闇の中へと伸びていった。
「なぁ。最後に一つだけ教えてくれないか。」
「なんだい?」
「糸の先があいつだったんなら、どうしてあんな遥か遠くまで伸びてたんだ?」
暗闇にゆらゆらと光る綺麗な赤い線を見つめて俺はずっと気になっていたことを神様に問いかけた。
「…残念ながら神も万能じゃないのさ。二人ともここの場所で出逢えていたら、なにもあんな長い糸で結ばなくてもよかったんだが、前世のお前さんをここに呼んだ時にはもうあの子の魂は天に昇っちまってたんだ。だからあの子の処(ところ)まで届くように長い糸を使って繋がるようにしたのさね。」
「そっか。」
「…すまなかったね。」
「…何が?」
「良かれと思ってした事だったんだが、返ってよくない方向へ転んでしまったね。これじゃ結果的に本当に見えない方がよかったのかもしれないねぇ…。」
「…いや、今思えばむしろ良かったさ。俺の運命の相手はあいつだったんだ。それが知れた。嬉しかった。まぁ、とは言っても今はもう繋がってないからこの先どうなるか分からないけど。」
「大丈夫さ。髪が結ばれている限り、また彼女に逢える日はきっとやって来るさ。だからお前さんもめげずに彼女を探しな。」
「ありがとう。俺…ここに来て、神様と出会えてよかったよ。」
「…カハハハ!さて、そろそろ終いだ。もし次にまた縁なんか切ってここに戻って来やがったら、そん時は針千本飲ますからね!
さっさと彼女に謝ってバシッと決めてきな!」
視界がまたぼやけてきた。
〝あの子がまた、あの時みたいに結んでくれるよう僕も願っておくよ〟
そう笑顔で小指を立てて見送ってくれた神様に感謝し俺は意識を失った。