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巣立った息子との穏やかな会話にしみじみ思うこと。

ガスコンロを買わなくちゃいけなくなり、運んだり取り付けたりを自分1人でやるのが自信なくて、近くで一人暮らしをしている息子にヘルプをお願いしました。

家電店やホームセンターを一緒に回ったり、ついでに息子の買い物にも付き合ったり。

結局、ガスコンロは買わずに済んだのですが(試しにセンサーなどを拭き掃除したら直ったので)、息子と2人きりで行動するのって、考えたらものすごく久しぶりで新鮮に感じました。

思春期の頃は全く話してくれない時期があったり、話すようになればなったでたくさん口喧嘩もしましたが、気づけば今は随分穏やかに会話出来るようになりました。

少し前にも息子を呼んで親子3人(息子、ムスメ、わたし)でお鍋をしまして。みんなでドラマを見ていたんです。ドラマの中で“母親が育児ノイローゼになって家を出てしまう”といういきさつがあり、息子がふと「育児って、そりゃ大変だよな。お母さんはノイローゼにならなかった?」と聞いてきました。

わたしは「んー、ノイローゼにまではならなかったかな」と答えたあとに、冗談っぽく「今思えばストレス溜まった時は、あんたらやお父さんにぶつけて上手く発散してたのかもね。いいお母さんじゃなかったよね。」とも。

2人から「ほんとだよー、機嫌悪いお母さん、うるさかったわー!」と、総攻撃を受けるんだろうと思いきや(度々ある流れ…)、息子が呟いたんです。

「あー、まあ、それが家族だよな…」と。

ん?なんかいつもと違う流れだ…、わたしは思わず息子の顔を見ました。

息子はしんみりと、納得したかのようにうんうんと頷いていました。

わたしはその時、息子が“それで良かった”“お母さんがノイローゼにならなくて良かった”と思ってくれてるように感じました。そして、大人になったんだなあ、ととても温かい気持ちになりました。

親の未熟さ、不完全さを許容することが出来るのは、精神的な自立をしたからこそだと思うのです。

いいお母さんじゃなかった、と言ったのはわたしの本心です。いつもいっぱいいっぱいでゆとりがなくて、駆け抜けるように育児をしてしまったので反省点ばかりです。

でも、あの頃には2度と戻れない。戻ったところで正解なんてわからないしね。

その時その時、そして今も、子ども達が思い切り笑っている姿を見て、「あー、大丈夫だな」と思うことの積み重ねです(^^)

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