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黒いボタンには神が宿っている

26歳にもなって母親が作った洋服を着ているのは、世の中広しといえど私くらいではないだろうか。

服飾の専門学校を卒業した母は、よく洋服を作る。
最近では、着物や古着をリフォームした洋服をインスピレーションの赴くままに生み出している。そして、私は娘という権利を強力に行使して服をただでもらう。売っている服に興味を持たなくなるくらい、母の作る服は魅力的だからだ。

私が映画だったとしたら、衣装協力:母 とクレジットされるに違いない。


表と裏

いつものように母親制作のシャツを着ていたある日、暇を持て余した私は袖口を凝視して、ふと気づいた。

袖口の縫い糸の色が、表と裏で違っている。

ミシン縫いは、針に通された上糸と、針の下にボビンというものに巻かれてスタンバイしている下糸という2本の糸が絡まることで縫い付けられる仕組みになっている。(説明難しい)

どうやら母は、上糸を黒、下糸を濃紺にセットして縫っていたらしい。

母の名誉のためにお伝えすると、糸は、黒と(限りなく黒に近い)濃紺だったから、暇を持て余して凝視しない限りは誰も気付かないだろう。

母は上下の糸の色が違っていることに気付いてそのまま縫うことはおそらくない。気付かなかったか、どうしても黒い糸が足りなかったか、そんなところだと思う。

縫い目を通して、200㎞先の母を想った。


黒と白

黒い布は黒い糸で縫う。
白い布は白い糸で縫う。

じゃあ、黒と白のギンガムチェックの布は、何色の糸で縫う?

黒地に白の小さい花柄、とかだったら黒を選ぶ人が多いと思うけれど、ギンガムチェックにおいて黒と白の占める面積はだいたい同じくらい。


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「黒の方がなじむし、見えてもしっくりくるから」と言う母は黒派。
私も黒の方が縫い目が見えてもおしゃれに思えるから、黒派だ。


これは母の専門学校時代のエピソードだが、黒と白のギンガムチェックの布を縫うときに選ぶ糸の色は、黒派、白派、グレー派に分かれたらしい。

「グレーは思いつきもしなかったから、なるほどって感じだよね。こういうところにこそ、それぞれの美意識が出るよ」

母はそう言った。
確かに、そういう小さい、一見どうでもよさそうなところにこそ、野暮と粋の境目があらわれるのかもしれない。


ライオンとオウム

これは、私が愛してやまない古着の柄シャツだ。写実的なライオンや象と、線画風のオウムや犬が共存している意味不明な世界観を表現している。
親戚の人からのいただきものだったような気がするが、愛用して10年ほどたつので記憶があいまいになっている。

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もともとこの柄シャツはバブルの香り漂う金×黒のボタンだったのだが、あまりにも古めかしく主張が激しかったため、黒いボタンに付け替えて着ている。

「今」この服を着ても違和感がないようにするために、私はボタンを選んでかき集め、7つのボタンを付け替えた。似たようなボタンはたくさんあるけれど、大きさや厚さがちょうどよく、かつ7つそろっているボタンを選ぶのは意外と手間だ。

バブリーなボタンのままだったら、10年着続けることはなかったかもしれない。


実家には、母が集めたボタンがパンパンにつまった缶があった。不要になった服から外したボタンや余ったボタンを取っておくためのものだ。

母は、その缶の中から、布の色、素材、服の雰囲気、すべてを考慮して「ちょうどいい感じ」のボタンをいつも選ぶ。だから私は、母が服を作っている姿を見なくても、付けたボタンに込められたこだわりを嗅ぎ付ける。

神は細部に宿ると言われるが、付け替えた黒いボタンには、母から受け継いだ私の美意識が宿っている。


記事トップの画像は冒頭に書いた表と裏で糸の色が違う服。もしこの服を着ている私を見かけたら、ああ、糸の色が違うんだなと暖かく見守っていただきたい。



ボタンに神を宿す母がどんな人か知りたくなったら、こちらのインタビューもぜひどうぞ。


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