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リアルに落ち込んだから、「そんな時はこうやって自分を支えたらいいよ」って書きたかったのに、結局力量が足りなくて自分を支えれなかった私の話。

どうしようもなく、感情がぐちゃぐちゃだ。

動きたいのに動かない体。
寒いからとコタツから出れない体。
もっとゴロゴロしてたいけどゴロゴロしていたら、さらにしんどくなる。

動きたいのに動けない。


いや、「動かない」んだ。


そんな自分を責める声がしだしたら、もうアウト。

ひたすら自分を攻め続ける。

「動かない自分が悪いんやん」
「子供達にちゃんとご飯作ってあげなよ」
「部屋片付けなよ」
「天気いいのに洗濯せんの、もったいない!」

そして、それを旦那からも言われる。

「動きなよーー」
「人になりなよーー」
「部屋片付けとってよ」
「犬、掃除してくれるの待ってるで」


やりたいのにできない。

したくない。

なにもしたくないのに、そんな自分が許せなくて
必死に体を起こそうとする。


頭ぐちゃぐちゃなくせに、ネットで「もっと輝くには」みたいな情報をあさり、「あー私はまだまだ努力足りないんだなー」とか「もっと頑張らないと駄目だよね」とか、「世の中やっぱり甘くないよね」とか。

「結局、旦那の言う通りだ」とか思ってしまう自分を、
必死に「そんな事ない!」って守ろうとしてるのに、

“そんな自分”はほんとに弱くて小さくて、
元の負の世界に負けてしまう。


戻りたくないし、
もっと自分の思うがまま自由に生きる事で輝いてたいし、
そう思うのに、どうしても「人からの評価」を求めてしまう自分が嫌になる。



「もう大丈夫!」って思ってたのに、自分で自分をコントロールできていなくて、

その矛先は、宿題せずゲームしてた娘となり、「宿題してからゲームしなよ!」って怒ってしまって、家事せずスマホ触ってた私が言う資格もないのに、ほんと自分は嫌な母親だ。


そんな中、おもちゃの電池を変えてと言う息子。
電池がないと答えると二世帯住宅の特権、隣の母屋に行き、母屋の完璧主義で教育熱心な義父とその義祖母に助けて貰ってる。


そして「家にいるのに何もしない母親」ときっと思われてるんだろうと悪い妄想が始まり、家なのに自分の居場所がなく、思考の悪循環が始まり、どんどん落ちて人生の終わりまでふと頭を過ぎるほどに落ちる。



そして、


今、


そんな自分をどうにか持ち直そうと、
娘を習い事に送った帰りに、近くの池で珈琲飲みながらプロテインバー食べながらnote書いてる。




noteがあって良かった。



ほんと、
まだまだだな。私。。



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これが、もし自分の友達が書いていたnoteだったら私は何と言うだろうか?


「しんどかったね」
「今週仕事も忙しかったから、どっと疲れが出たんだよ」
「今日はダメな日だねぇー。そんな日もあるよ」
「頑張れない時に、頑張ろうとしないこと」
「満たされてないんだね。」
「愛情不足だね。」
「いろんなことがあったから急に感情の浮き沈みがあって、その反動に体がついてきてないよね」
「今は落ち込む時。落ち込んで大丈夫。今はできなくて大丈夫。」
「とりあえず、栄養のあるもの食べよう!昨日からまともに食べてないよーー」
「また視野が狭くなってるよ。貴女が信じれるのは旦那さんだけじゃないよー。友達もいるよー。大丈夫大丈夫」
「大丈夫。焦らない。」
「とりあえず家から出よう。今は家にいるべきじゃない」
「大丈夫。また復活できる。大丈夫、大丈夫。」
「はなさんなら大丈夫。」


だめだーー。
少しは落ち着くけど、復活まではいけない。
よほど「現実」と「理想」を比べてしまったんだ。


そして、
旦那の「ちゃんとしなよ」の声が聞こえてきて、今、家にいない自分に恐怖を感じる。
早く帰らなきゃ怒られる..とか思ってしまう。



どこ行ったんだろ、元気な私...。





読んでくださる方のために、「こんな風に悩んだら、こうしたら元気になれたよ」って解決策を書きたかったのに、それさえも書けない自分が悔しい...




三幸製菓のチーズアーモンドが好きです。