見出し画像

遺書を書くはずが愛を綴っていた

突然ですが、私は強迫性障害を抱えています。
大学院に入り、コロナ禍でオンライン授業を強いられる中、慣れない学会運営を行い、その中で人間関係の悩みを抱えていくうちに元々もろかった私の心は壊れてしまいました。
ずっと通っていたカウンセラーの先生から「このままじゃ鬱になるよ?」と心配されつつもその環境から逃げようもなく、ただただ黙って耐えていたのですが、日常に支障が出るほどの強迫行動が出ました。メールを送るのに確認を何回も押して、怯えながら送信ボタンを押し、「〜してしまったけど、大丈夫かな?」と周りに確認しないといられないほどでした。

そんな強迫性障害1年生だった当時から、さかのぼれば小学生の頃から、私は希死念慮を抱いていました。そんな深刻なものではありません。何か失敗をすれば、何か怒られれば、何か上手くいかなければ、その都度「死にたい」と死を望んでいました。正確には「死ぬ」ことではなく「リセット」を求めていたのかと思います。そんな私ですので、毎日死にたい思いと死ぬとしたら葬式はどう取り行ってもらうか、どんなメッセージを残せば残された人の迷惑にならないか、明確な死への段取りを考え自分の心の落ち着きを保っていたのです。
将来自分は37歳くらいで死ぬのだろう、と漠然と思い始めたのも小学生の頃。自分の生命線が短いことを知って、なんとなくそう思っていました。どうせ早く死ぬのだから、とあまり将来のことを考えずその場しのぎで勉強して、受験して、過ごしてきました。

そして24歳になった現在。自分が設けたリミットまで残り13年。暗雲が立ち込めました。「あれ、なんだか死にそうにないぞ。」あれだけ死にたがっていたし、いるのに、自ら死ぬのは怖くて自然死を待つも持病も何もない人間が突然死ぬことはあまりないようで、気がつけば死にたくても死ねない不安に襲われ始めました。
そんな折に、「これだけ毎日死にたいと思っているのなら、日記がわりに遺書でも書こうか。そしてそれを出版して印税で暮らそう」なんてバカなことを考え始めました。そしてちょうど手元にあったノートを遺書を書くノートにしようと考え、半年が過ぎたのです。

半年後、「遺書を書く」という役割を任されたノートは「好きな人へのファンレターを書くための記録・下書き」という新たな役割を担わされていました。

その半年の間にずっと好きだったスポーツ選手を間近で見る機会があり、直接ファンサービスをいただくことができた。ずっと好きだった人のプレーを見て興奮して、はしゃいで、悔しくなって、時に人気を集める彼を見ては
胸が苦しくなり、まさに「生きている」状態を授けられたようでした。今まで、ずっとお顔が好きでうすーく応援していたものの、実際にお見かけした時の人柄が素敵で、どんな時でも逃げない姿勢に憧れて、尊敬して、気がついたら溢れ出るこの気持ちを内に抑えきれなくなっていて。そうしてその気持ちを綴るためにノートを開きました。
「遺書を書く」と決めてから半年間肝心の遺書は一文字も書かれることはなかったのに、彼への想いはすらすらと紡がれて行きました。まるで堰を切ったかのように、ただただ言葉が出てくるのです。

そうしてノートに書かれた言葉を見返して、あの日のこのプレーが好きだった、すごかった、と思い出しては相手に向けるにふさわしい言葉へと変え、手紙にしたためるようにもなりました。

今でも遺書を書きたくなるし、死にたい気持ちとの同居は続いています。
でも、一度彼の活躍を見ればそんな気持ちはどこかへ浄化され、ただただ、彼の幸せと成功と何より活躍を祈る気持ちばかりが湧いて出ます。
「死にたい」という気持ちがアイデンティティにまでなり得た私が、初めて誰かの成功を祈った時でした。

ここまで書いて、なんて重い女だろう、気持ちが悪い、そう思う方もいらっしゃるだろうし、こんな文章を彼に見られたらそれこそ私は死ぬしかありません。
でも、どうか、迷惑はかけないように心がけます。だから、どうか、まだ貴方を応援させてください。
そう心に秘めながら今日もノートを開くのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?