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その愛おしい字を忘れずにいたい

デジタルの渦の中から出ることの難しいこの時代に、手書きの文字でやりとりをする機会が増えた。遠い場所に住む友人と文通を始めたこと、そしてあたらすう仕事で大人から子どもまでいろんな人の書く、書いた文字をひたすら見つめている。「手書きの文字」には書き手の癖やその時のその人の感情が映る。あ、この人はこうやって略字を書くのか、お、右上がりの文字、随分と小さい字を書く人だな、ペンの走りが滑らかだということはご機嫌なときに書いたのかな?、と思い巡らせながら文字を見つめる時間が好きだ。

先日、大学院を修了して以来4ヶ月ぶりに後輩から手紙が届いた。彼女とは学部時代のサークルから6年の付き合いになる。6年間の間で飽きるほど彼女の字を見てきた。サークルで使うホワイトボードや同じ講義のノートにきっちり丁寧に字を書く子だった。おっとりしていて、でも軸のしっかりしている彼女を表すような筆圧の少し強めなしっかりとした字だった。
そんな彼女から届いた手紙を見て、見慣れていた字があまりにも懐かしく感じた。6年間見続けてきて、つい4ヶ月前にも見ていたのに。20歳を超えたあたりから時間の流れが早くなってきたが4ヶ月はさほど大きな時間ではないと信じて疑っていなかった。しかし、ふんわりとした文面に反した彼女のしっかりとした文字を見て、思わず懐かしさに呑み込まれた。いつから彼女の書く字を忘れてしまっていたのだろうか。

現在、私は大人から子どもまで様々な人が書く字を毎日見ている。それぞれの名前も、顔も、人となりも、それなりに知っている。字を見ればなんとなく誰が書いたか当てられる。子どもなんてのは正直の塊だ。やる気がない時の文字なんかミミズがはったような時が並ぶ。かと思えば内容の理解より可愛くてきれいなノートを作りたい一心で几帳面な字を書く子もいる。一方で大人もなかなかに分かりやすい。文字数を稼ぐために丁寧に、とにかく大きい文字で書く人、字こそきれいではないものの細かく最後まで書き込む人、それぞれである。

私が見ている間も瞳を真っ直ぐノートに向けて、文字を書く。ひらがなにカタカナ、数式や漢字、アルファベット、かりかりと連なっていく文字を見てその子の調子を何となく察する。今日は集中できているな、あ、手が止まった、相変わらずミミズのような字だな。でもどれも愛おしくて仕方ない。
まだ少しの幼さを残す膨れた頬、その一方で此方の知らぬ先の未来を見つめる瞳、そしてそんな瞳の先に連なる文字。その文字は他の誰にも真似できない。

人の書く字には人それぞれのクセがあり、人となり、その時の状態、感情が映し出される。だからこそ、とても愛おしくどれも美しい。叶うのならば、今目の前で書いているこの子の字を忘れずにいたい。そう思う日々を過ごせたこの一夏は、私にとって忘れられないものになる。パソコンのキーボードを叩きながら、そんな思いが強い一本の光のように立っている。


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