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『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』を読みました。

なんでこの本を読もうと思ったかというと、
Twitterに広告が出ているのを見て興味を持ったというのが一つ。
なんで興味を持ったのかというと、
自分がボランティアで朗読や音訳をしていて、目の見えない方に対して画像や写真・グラフや漫画の説明にけっこう悩むことが多く、
よりにもよってアートかい!美術館かい!どうすんのこれ?
と思わざるを得なかったからです。


図の説明というのは、写真や絵やグラフなどさまざまありますが、
【事実を正確に伝える】
というのが朗読していてまず目指すところです。
もう一つ個人的に強く思っているのが
【主観を入れない】
そのために、美しいや大きいなどといった形容詞を入れない
お祭りの屋台で人が大勢いる写真なんかで、
「皆さん楽しそうな表情をして歩いています」
「大勢の人でにぎわっています」
という言い方はしません。
(ただ、朗読者にも個性があるのでこの表現が絶対ダメという気はありません。)

この本に登場する白鳥さんは私の考え方と真逆なものを求めていて、それがとても新鮮で驚きでした。
解釈が間違っていてもいいし、付き添い(本文中ではアテンド)の人の主観がバンバン入り込んでいてもいい。むしろ入っているほうがいい。
1人ではなく2,3人で観ていると解釈の違いも出てくる。それがいい。

そういう楽しみ方ってあるんだ…
これは説明するほうも大変だななんて思いながら読みました。

作品に対しての印象を伝える時って伝える人の内面もさらけ出すことになるんではないかなと。
自分の本棚見られるのって嫌じゃないですか?
どちらかというと私は苦手なほうです。
内面を出すということは、自分の脳みその本棚を見せるような感じになるんじゃないかと。うおーこわいー。

白鳥さんは「何が見えるか教えてください」と一言聞いてから作品の話に触れていくことになります。
白鳥さんに作品の説明をした人達は、
「自分は本当にこの作品を隅々まで見ていたのだろうか」と思うことがあるそうです。
見ることで、説明することで、自分もその作品に対してより深く触れていく。
ある絵画の一部分で何年も湖だと思っていたところが、白鳥さんに説明している途中で草原だったと気がついて衝撃を受けている学芸員さんがいました。ほんとびっくりしただろうなあ。。

その人の生き方で見え方(観え方)も変わる。
そしてそれを受け止めていく白鳥さんの懐の深い鑑賞の仕方が面白かったです。