そして恐れていた事が起こります。 私が家に帰ると父が家に入っていたのです。 私はすぐ母に父に聞こえない声で問いただしました。 「なんで?なんで家に居るの?前に言ってた事は嘘やったん?」 「嘘じゃ無いけどお金がなくて食べ物が無いって、ご近所さんの目もあるしご飯だけって約束やから」 私はこいつを少しでも信用したことを心底後悔しました。 そうだこういう奴だった。 子供の気持ちなんて、これっぽっちも考えていない。 私が母に対して心を固く閉ざした瞬間でした。 そして私
母が帰宅し兄はその日起こった事を話しました。 すると母からとんでもない事実が語られ始め 「兄の為にも家は絶対に教え無い方がいいことは分かっていたんだけど 父から電話でお金が無いからご飯食べさせてくれ、お前のせいで再就職できないからお金が無いって言われて住所を教えてしまった」 (再就職が難しいのは警察に突き出されSNSにも取り上げれたからだと思います) 私は開いた口が塞がりませんでした。 全ては父と母が原因なのにまた私たちはこいつ達のせいで父に怯えないといけないのかと
そしてまた母と子ども5人との生活がスタートしました。 妹が帰って来て、父とは縁が切れたとわたしは思っていました。 とある日 兄が1人で家で休んでいる時のことでした。 ピンポーン インターホンが鳴り 荷物が届いたと思った兄は覗き穴を覗きました そこには父がいました。 心臓が跳ね上がり、兄は頭を瞬時に考えを巡らせました。 なぜ家の場所を知っているのか。 私達は虐待から逃げて来た事になっているので 父に住所は教えていません。 私と兄は携帯を所持していましたが
そして、 父Bは遂に妹に手を出してしまいます 原因は煙草の吸い殻をタバコの自販機の周りで探して来いという命令を妹が嫌がったから。 殴る蹴るで自分の欲求が満たされないと 暴力に走りました。 妹は耐えきれなくなり以前父Bが逮捕された時にその後お世話になった福祉関係の方の家へ走りました。 靴も履かず逃げたいその気持ちだけで 走りました。 そしてすぐに母のもとへ電話が。 「妹さんが父Bさんに暴力を受けて避難しています。わたしとしてはお母様のもとへ帰す方が安全だと思うので
そして妹は父Bのもとへ 義実家では働いていない義母ともちろん働く気の無い父B。 お金が無いのでご飯もまともに食べさせてもらえず 小学校でもいじめられていたと連絡が入った時はわざわざ会いに行っていじめているやつに睨みを効かしに行ったこともあります。 私の代わりに辛い思いをしている妹を少しでも生きやすくしてあげたかったんです。 優しい義祖父も居ないので誰も妹を守ってくれません。 そしてついに義母Bが亡くなりました。 第一発見者は妹だと母から聞かされました。 警察や
引越してからは新しい小学校に6年生で転校する事になりました。 6年生と言う学年だったのであまり親しい友達もできずでした。 そしてこの頃の父Bは刑務所から出所し 保護観察処分がつきました。 戻る家は義母Bがいる義実家です。 そしてこの頭がぶっ飛んでる父Bが 母にとんでもないことを連絡してくるのです。 母が私たち兄弟を集め 「お父さんが(私)か(妹)をほしいって言ってる」 父Bのどの口がそんな事言えるんやと思いましたがそれを断らずに子どもに伝えてくる母も相当頭がぶ
2人とも大きめのリュックを背負い 電車で家へと向かいました。 鍵はもちろん閉まっているので 私があの夜持って出た鍵で開け 先に母が入ると 「うわ、これは暴れたな…」 とその後ろから私が見たものは 床が見えないほどタンスから出された衣類や荷物 それだけでは無く家具もそこら中に投げられ 虫の居所が悪くて暴れたのだろうなーと言うのが見て取れました。 そこから自分達の服や貴重品、学校の物を探し出し片付けはこの日しか日程が無かったので 諦め帰ることにしました。 帰り道
死に物狂いの夜が明けて 私たちは女性シェルターへ DVなどで行き場を無くした女性が一時保護される場所です。 そこで次の行き先が決まるまで少しの間過ごします。 父Bのいない生活は心から安心できるなと改めて気づきました。 あんな人要らないなと。 この間は私たちは学校に行けません。 なので勉強も自分達でしなくてはならないので学校に行けるようになった時すごく苦労しました。 周りのみんなは授業で習った事が私はシェルターに居たので分からず置いて行かれました。 母は何も持た
そして母が事あるごとに 地方の田舎に里帰りするようになりました。 しかも兄と私を置いて。 父Bに好かれていない子どもを置いて帰って 学校から帰宅するとリビングで 無職なのでずーっと過ごしているんです。 母も1週間は帰ってこないので 兄と私がどんな扱いを受けようと 助けてくれる人も居ない。 家族なのに一緒に居るのに 孤独で辛かったです。 そして平気で子どもを置いていける母が憎かったです。 そして私が小学校高学年の時に とうとう事件が起こるです。
そしてお金も底をつき 光熱費が払えないと ガス、電気、水道が止まります。 もちろん家賃も滞納していました。 電気だけ払ってホットプレートで 小麦粉と水を練ってクレープみたいなものを作ってソースだけ塗って食べたり 卵と水溶いて味が薄い卵焼きもどきを食べたり。 惨めな生活でした。 こう言う時って周りが本当に羨ましく見えて 小学校の雑費とかみんなと同じ絵の具が買えないとかそういうのでいじめられたり 親を何度も恨みました。 なのに親はタバコ吸ってるんですよ。 どこからそ
そして疑問に思うのが 母親なにしてた? ですよね。 本当に何してた?なんですよ。 母は深夜に兄が起こされていることも 私達が下の兄弟の代わりに殴られている事も 近くで見ていて知っているんですよね。 1番タチが悪いと思いませんか? 父は直接手を下す身体的虐待かもしれませんが 母も心理的虐待ですよね? しかも自分はDVとかは何もされてないです。 虐待されているのは兄と私だけです。 なぜ子どもが目の前でそんな事をさせられているのに 自分の子を助けてあげないのか
深夜兄を起こして身の回りの世話をさせたり デリケートな部分をマッサージさせたり 本当に最低な父Bでした。 兄が伸ばしていた髪の毛を泣いて嫌がっているのに無理矢理切ったり 反抗すれば暴力で抑えてくる人間で 兄と私のことは可愛くなかったのは一目瞭然でした。 私から下の兄弟が何か悪い事をすると 「お前らなんできちんと面倒みないんや! 罰としてここに座れ!歯食いしばれ!」 とその場にいなかった私達が呼び出され 正座をさせられ殴られました。 体の小さい子どもにとって大
そして、私が小学2年生の時 大好きだった義祖父が亡くなりました。 私にとっては唯一の存在だった義祖父 私にとても優しくしてくれて 義祖父が亡くなったらわたしはどうすれば良いのかとパニックになりました。 初めて見た死が義祖父だったので すごくショックでお葬式は涙を流していた事しか覚えていません。 棺桶に花を入れるときに見た義祖父のまだ生きていそうな顔になんで死んでしまったのか わたしを置いていかないでほしいと何度も思いました。 実の親より一緒に居てくれた義祖父に 今で
そしてこの結婚でなにより強烈だったのは 父Bの母親(義母Bと呼びます) 父Bと私の母の間に子どもが3人生まれます。 この時点で子ども8人なんです。 (連れ子含めると) そのうち父Bと血が繋がっていない兄と私の2人だけ義母Bに差別されます。 おもちゃ屋さんに行っても兄と私には 「あなた達には買わないからね 下の子ちゃん達好きなの選んできていいよ」 と孫の目の前で普通にこんな事言うんですね。 子どもながらにこの人おかしい。 って気づくんです。 父Bも母も義実家に金
そして離婚から1年後 見た目は良さそうな口だけの男に 騙されて母は2度目の結婚をしました。 この時は親戚中大反対されたそうですが 駆け落ちして地方から上京したそうです。 この男との出会いが地獄への入り口です。 私の上の兄弟がこの結婚をする事で 精神的に狂い始めます。 当時 兄4歳 私2歳 兄は当然もう父親が誰なのか分かっているので 再婚相手に全く懐かなかったそうです。 私はまだ幼く記憶もあやふやなので すぐに懐いたそうですが この兄の態度に再婚相手(以降父B)
数週間見つからなかったみたいで (その間ホテルか友達の家を渡り歩いていたと思われます) 私も親になって当時の母のストレスは計り知れなかったものがあると思いますが それよりも子どもを置いて数週間も音沙汰無く過ごせる母って精神的に何かあったのでは? と今では思ってしまいます。 母と連絡が取れた時には 母は実家に帰っていたそうです。 程なくして父と母は離婚。 1番目の子どもは父に引き取られ 2番目と私は母の所へ引き取られます。 母は本当は全員引き取りたかったと言っています