子育てはしんどい!

声を大にして言いたい。

子育てはしんどい。


元々、子どもは好きなつもりであった。

年下のいとこのわがままに振り回されたりするのは確かに嫌であったが、そんなの誰でも一緒であると思う。

今日はそんな子育てしんどい思いを書き連ねてみようと思う。

我が家には2人の子どもがいるわけだが、長女は魔の2歳児真っ只中。
毎日が戦争。
毎日がポケモンバトル。(友人がそう表現していたのが妙に頭に残っているので使わせてもらう)

何かをすればイヤイヤ。
自分を優先しろ。
この世は私が中心よと言わんばかりである。
まあそりゃ君の世界は君が中心だけど、パパとママにも自分の世界があるんだぜと思ってもいるが…

先月、そんなしんどさのあまり

「このままでは虐待をするのではないか」

と一抹の不安に駆られ、児童相談所に電話をかけた私。

しかし、結局いつも大爆発。

「またやってしまった…」

と自己嫌悪のパターン…

学んでいないわけではないのだが、私の中にある心の余裕のバケツは9割を常にキープしている状態であり、残り1割に達するか否かのチキンレースを日々繰り広げているわけだ。

感情労働をしていたこともあり、そんな心の余裕バケツの水抜きは得意だった。
いつも笑顔で、プライベートで何があろうと相手に自分の感情を悟らせないのはお手の物だった。それがプロフェッショナルのやるべきことだと思っていたから。

アンガーマネジメントも学んでいるし、うまくやっていけるとそう思っていた。


そう、思っていただけである。

実際はどうにもうまくいかないのだ。

一呼吸おくことを意識する。

一呼吸している間にさらに大惨事になることもしばしば…

いつもいつも爆発してしまう。

自分のバケツの水を抜くことがこんなに難しかったとは…


以前はどうやってバケツの水を抜いていたっけ?と考えると

・思う存分読書をする
・思う存分買い物をする
・時間をかけて料理をする
・美味しいものを食べに行く

どうにも1人の時間がたくさん取れる前提である。

そりゃDINKS時代のガス抜き…いや水抜きか、それが通用するはずはない。
環境が大幅に変わっているわけだし。

それに加えてこのコロナ禍である。

元々フットワークは軽く、子ども2人を連れて歩く体力はある。

出かけてリフレッシュも本来であればできるはずなのに、感染したら家庭の全てが詰む。

我が夫は訪問医療従事者であるので夫が罹るわけにはいかないのである。

近隣に子育て支援センターもあるが、時間制限に加え入場制限もあり満足に遊ばせることもできない。

思い切り遊べないストレスを家で爆発させる長女。

それを閉塞的な環境で相手しなければならない。


何もかも、できない尽くしの生活に加えて他者優先の生活になっているのだ。

冷静に見てみるとそりゃストレスも溜まる。

自分のやりたいことができない。

自分のペースが乱される。

私の人権は何処に。

そんなことが続けばストレスが溜まるのも頷ける。
これが育児の現実なのだ。
これは私だけが感じていることではない。今育児をしている人の多くが同じことを感じているのではないか。
ただでさえ閉塞感のある育児に、コロナ禍による行動範囲の狭小化を余儀なくされる。

どこを調べても誰かに訴えても

1人の時間を作るとか

家事は適当にとか

そんなことしかアドバイスとして出てこない。

そんなことはもう実践していて、その上でしんどい場合はどうしろと言うんだろうと私は常々思っているのだ。


友人と自由に会える育児休暇を楽しみにしていた。
思いついた時に遠方の実家に遊びに行ける日々を心待ちにしていた。
そんな思いばかり心の中で渦巻いているのである。


今しんどいと思いながら子育てをしている人がいたら
ここに子育てしんどい仲間がいるよと伝えたい。
そして私もそんな仲間がいるのではないかと思ってこの文章を打っているのだ。

解決策も先も見えない中で、私たちは頑張っているのだ。
だからこそ声を大にして言おうと思う。

『子育てはしんどい!!!!!』

当事者以外、周りは無責任な世の中だ。

あの人ができたから君もできる。なんて言葉が飛び交うが

あの人と私は違う人間なのだ。


同じ人間などいないと語っておきながら

同じ対応を全員に求める理不尽な世の中なのだ。


しんどければしんどいと表現しよう。

周りの雑音など聞き流そう。

助けてくれる人の声だけ聞けばよい。


子育てをしんどいと思う心は

子どもに真剣に向き合ってる証拠なのだから。


そんな私は先日、全てが限界だと察知して、心療内科のドアを叩いた。
その話はまた後日。


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