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メルボルン残りの生活。寂しさと楽しみ

メルボルン生活が、残り1.5ヶ月くらい。

私は最近、迫り来る寂しさと闘っている。

メルボルンに対する寂しさではない。あえて言うなら、自分に対する寂しさだ。

これは、ホームシックなの?それとも、ホルモン的な何かなの?

答えは薄々見えていて、「暇」なのだと思う。

仕事もしていない。

特にやりたいことも無い。

毎日予定も無く、1日を消費するのにやっと。

この時間の有り余り具合が、私を謎の寂しさに突き落としている原因だと思う。

ただ、この寂しさに関しては以前から感じることもあった。

特に1人で旅行に行ったとき。

他のグループ観光客や生活している人を見ると自分が1人であるということが強調されて、綺麗なものや美味しい物に巡り会うほど、

(これを共有できる人が誰も居ない・・・)

と思ってしまうことが、何度かあった。

今はたぶんその絶頂期で、こっちで出来た友達には別の友達がいて、私よりもその人達と遊んでいる(ように見える)し、毎日予定があって充実している(ように見える)し、メルボルンを楽しんでるんだなあって思ってしまって・・・それに比べて私は・・・と思うことが増えた気がする。

たぶん、ホームシックもあるんだろうなあ。

1人行動が嫌いなわけでは無い。むしろ好き。

でもこう、毎日1人じゃなくても良いよな~。

そして、別に好きで1人ってわけでもないんだよな~誰か一緒に居てくれたら、そりゃそれが良いよ。

とは言いつつ、心の底ではうっすら分かっているのだ。

私は誰かと居ても孤独を感じるし、なんならそっちの孤独感の方がしんどいことも。

隣にいる人が自分を理解してくれないと感じたり、その人の1番でないことにショックを受けるのはめちゃくちゃしんどい。

そしてそれは自分の思い込みや過度な期待が作り出した感情で、相手に否が無いことも分かっているから、自分でなんとかしないといけなくてそれもしんどい。

結局、ずっとしんどいじゃねーかー!!笑

ただこれ、一応自分なりの解決策を持っているんですよ。

それは、「暇じゃなくなること」。

この寂しい気持ちを人間関係で癒やそうとすると、絶対もっと寂しくなるし大抵上手くいかない。

隣に居てくれる人を作ろうとして誰かに縋り付くよりも、まず自分がフラフラにならないように暇を埋めれば良いんですけど・・・

それが・・・なかなか出来ないッッ!!笑

というか、「毎日暇」という、明らかに空きスペース過多なわけだよね!これを埋めろって方が難しい。

ではまた仕事を探すかと言われると、帰国日も決まってるしなあ~と思っちゃうし、じゃあ友達作りのサークル行く?と言われると、ここから会わなくなるって分かってる人と仲良くするために頑張れるかなあ~と思ってしまって・・・もう・・・私、何がしたいの笑

ここ最近は気になっていたカフェに行ったりしてなんとか時間を潰しているけど、本当はカフェもそれほど気になるってわけでも無いんだな。あえて深く考えないけど。

メルボルンといえばツアー観光もある。

フィリップ島やグレートオーシャンロードだ。せっかくだし行ってみても良いかな、と一瞬思ったけど、これもまたそれほど興味が無いのだ。なんか、行った記録の為に適当に写真だけ撮って帰る自分が想像できる。

この、何にも興味が無い感じがうっすら続いているのが結構辛いのだ。

なんでこんな、人生初海外で無感動な日々を送っているの!?と思ってしまう。

”ワーホリに来たんだからアクティブに楽しまないと(そしてそれを周囲の人に見せないと)いけない”

なんか、そんな思いが自分の中にあるのだろうな。

それもそうだ、と思う気持ちと、無意味な感情だ、という思いもある。

毎日忙しそうな友人達に、

昨日はどこに行ったの?

明日はなにをするの?

と聞かれると、大きな声で、

なーーーーんもない!!!!

と叫びたくなる。
なんか無いといけないですか!?とキレそうになる(逆ギレ)

今日なんて、街中を歩いていて偶然友達と遭遇した。

彼女は買い物帰りで、私は「散歩をしてる」と言ったが、本当は街を漂流しているだけの気分だった。

彼女は夕方から友達に誘われた日本人サークルの集まりに出かけると言い、事前予約してたから、と付け加えた。私のことは誘えませんよ、ということだ。

誘って貰っても、行くかどうかは怪しい。
というか、誘ってもこいつはどうせ行かないだろうと彼女は踏んでいたのかもしれない。

そして、

「お散歩良いね!楽しんでるね!」

と言われた。

無理に言ってる?それとも本当に楽しんでいるように見える?

それほど楽しくないです(真顔)

とも言えなくて、「あは~」みたいな返事をした。


こんな毎日を送っているが、楽しみが2つある。

読書と自炊(スーパーでの買いだし)である。

ただこれ、完全に日本でもできることなんですよどう考えても。笑

そもそも旅行先でスーパーに行くのが好きで、そこで自由に買い物ができること。

実家住みで料理をすることが無かったこと。

英語の勉強のために長期間読書をセーブしていたこと。

これらのことがあって、私は今とんでもインドア人間になっているのだ。

外出だって、カフェに行くとか言っているが実際カフェの3倍の時間を図書館で過ごしている。

以前書いた日本語の本がある図書館に通い詰め、日々本を大量にピックアップしているのだ。

一度ブレイディみかこさんの本の感想を書いたが、1冊ずつというよりまとめて軽くお話ししていきたい。

ところでみなさん、運命は信じますか?(狂ったのか?)

狂ってないです。

狂ってないけど、私はたまに運命を信じたりしている。

というか、運命はあるッッ!というよりも、これは運命ちゃうか?運命ってことにしよ~♪と思うことがある。

良い偶然=運命である。軽い。

とはいえ、例えばYoutubeやアマプラのお勧めが自分の興味にドンピシャなことは運命とは言わない。あれはインターネットが私の趣味を色んなところから高度に推測しているからだ。

たまに怖いくらい推測してくる時あるね、あれ。

それは置いといて、つまり、インターネットを除いた偶然的な何かや、能動的なアクションが起こした先の何かを運命だな~と感じたりする。

そしてこれが、ここメルボルンでの読書!!!!

1冊目。

”神坐す山の物語 浅田次郎”

これはもう、「神・山」という単語と美しい緑の表紙に惹かれた。

解説のところを読むと、浅田次郎さんって「鉄道員(ぽっぽや)」を書かれた方なんですね!なんだかとても昔の小説と勘違いしてたけど、全然生まれてる年だったわ。

で、この本がもう最高だった・・・!

舞台は東京奥多摩。武蔵御嶽山の神社にまつわるお話。

本全体を通じて、鬱蒼と茂った暗い森や、土の香りが漂う雰囲気。

ホラーといえばホラーなのかもしれないけど、民話系のお話が好きであり、更にメルボルンで日本を欲している私に刺さった一冊だった。

これはもう、帰国したら購入確定。

あと、絶対武蔵御嶽山の神社に行く。確定!!!

次に良かったのが、

”おひとりさま日和”

これは短編集で、1話ずつ作者の方が違うもの。

「お、今絶賛おひとり様の私にぴったしやんけ」

と思って手に取りました。

おひとり様って良いよねって気分にさせてくれ~と願いを込めてページを開くと、それがちょっと違ったのです。

おひとり様とはいえ、この短編集で書かれていたのは基本的に年齢を召されたマダムの方々が中心。結婚してパートナーに先立たれたり、独身を貫いていたり・・・色んな人生の途中のおひとり様が描かれている。

私が想像した、強く1人で生きていく!という感じでもなくて、誰かに頼ったり、道を見つけたり、自分の心を見つめていたり・・・。

とっても素敵な、温かい気持ちになれる短編集だった。

そしてこの本の何が運命かって、私が帰国後にしたいことと繋がる気がしたのだ。

私はここに来る前、ケアマネージャーの資格を取得した。

ハードな仕事だとか、稼げないとか離職率が高いとか、散々言われている職種だ。

そんなことは承知の上で、やってみたい!と思う仕事でもある。

この本はマダム達の心情をとても細やかに表現していて、

「そうか。子供に同居したいって言われても、嬉しい反面抵抗感があるよな。でも全く気に掛けて貰えないのも寂しいよなあ。やりたいことだってある一方、不安もある。こういうところをサポート出来れば良いなあ」

と思えた。

メルボルン生活のことや、自分のワーホリは失敗だったのではないか、仕事を3日で辞めるなんて根性無しなのではとか、今現在や過去について考えていた私を、この本は帰国後の未来のことに目を向けさせてくれた。

ケアマネの研修でも、私は医療畑出身なのでそちらの方ばかり目を向けてしまいがちだった。

実際に仕事をし出したら、もっと大きな視野で考えられるようになりたいな。

そう思うと、これからの道が少し見えてきたようで心が軽くなる。

この本を手に取って読めたのは、運命だ~!と思えた。

そして最後。

ちょっと話を脱線させますと。

私の読書(選書)スタイルは、日々気になった本をスマホに画像として残しておき、それを古い順から図書館で探して読む。というもの。

基本的には図書館を利用する。

そして、めっちゃくちゃ気に入った本だけ買う。

だが、このやり方はここメルボルンでは通用しない。

そうは思いつつ、つい積ん読リストを見返していると、ちょうど目の前にあった本がスマホの画面に表示された。

”赤と青とエスキース 青山美智子”

どうしてこの本が私の積ん読リストにあるのか、全然記憶にない。たぶんどこかで評判を聞いたのだと思うが、とにかくリスト消化になるかと思って借りてみた。

これがなんと、舞台がメルボルンから始まるのだ。

好きな小説の舞台を巡るために旅行に行くことはある。

けど、えっ、今この場所が、舞台なんですか!?

運命じゃんッッ!!!

そして、内容も最高に良かった。

こんだけ読書しといて批評の語彙がゴミなのだが、もう最高に良かった。

運命ポイントは他にもいくつかあって、まずこの本が小説であるということ。

私、小説をあまり読まない。

いや、小説をどうやって選べば良いのかよく分からない、が正しい。

教養本と違って題名で選ぶことが難しいし、かと言って表紙で選ぶのも違う気がする。(それで成功することもある)

だから、もし私がこれを積ん読リストに追加していなければ、まずもってこの本を読むことは無かっただろう。

作者の方も、すみませんが存じ上げないし。

それが読んでみると自分は舞台にいるし、話は面白いし、そして何より芸術や物作りに関わるお話しであったことも大きい。

実は帰国して英語の勉強を辞めたら、芸術や物作りのことを知っていきたいなと思っているところだった。

私自身に美的才能は全くないが、私は職人や物作りに対して尊敬の念というか、憧れがある。ケアマネージャーの他にもそういう仕事も面白そうだと思っていたところだし、仕事にならなくても趣味の範囲で色々と勉強していきたいと思っていた矢先にこの本に出会えたのだった。

教養本は自分の欲しい情報を得られる。

でも小説は、思いも掛けぬところから私の世界を少し広げてくれるんだなあ。

メルボルンにいて本ばっかり読んで・・・と思うこともあるが、読んだ本に全くの憂い無し!

ここに来なかったらこれらの本に出会えなかったのでは?と思うと、これはこれで良い巡り合わせであり、来るべくしてここに来て、読むべくして読んでいるのだと思ったりした。

さて、今日も1日家から出ませんでした。笑

でもお昼に自分で作ったサンドイッチがもの凄く美味しかった。

近くにあるスーパーのパンが美味しい。

あと、サンドイッチにはレタスよりベビースピナッチ(ほうれん草)が美味しいことも発見した。

これもまあ、経験ということで・・・笑

そんな感じで、読書と自炊三昧のメルボルン生活が続いております。


外出するか・・・と1人でナイトマーケットへ。おひとり様なんて居ませんでした。そりゃそうか。ただ絶対に何か食べたくて、しかも味の想像できないものが食べたくて、アフリカ料理の屋台に並び、しかも普段食べないラム肉を乗せて貰った。炭火で焼いた臭みの全くないラム肉と、思ったより優しいトマトベースのご飯がとても美味しかった。


この勢いでデザートも食べちゃうぞ!と意気込み、バクラヴァの乗ったアイスクリームを購入。これがもうめーーーっちゃ美味しかった。正直もう1回食べたい。これを食べてると目の前で二人組のグループの音楽演奏が始まった。私の大好きなアイリッシュ音楽(ケルト音楽)を楽しそうに演奏する女性は日本人で、素敵だなあと思いながら聴いていた。子供も大人も踊ったりしていた。私もつい、体を揺らしてしまう。ルンルンしちゃうよね、アイリッシュ音楽って!
人生初、音楽を聴いて目の前のギターケースにコインを投げ入れた。私は未だにオーストラリアの貨幣がよく分からなかいので、とりあえず財布の中にあったコインを全部投げてみた。


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