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人生に無駄なことなんて起こらない。
私は比較的、引っ越しが多い人生だと思う。
その中で、今はそこまでしないけれど、内覧に行くときは必ずコンベックス(メジャー)を持参して、不動産屋の担当者さんが印刷してくれた間取り図に大体の寸法をメモし、部屋が決まったらそれをさらに1/10スケールくらいで方眼ノートに落とし込み、手持ちの家具が入るかどうかを毎回検証していた。
コンセントの位置や個数、ドアの開閉の向きまですべてメモし、家具の配置まで考えてから引っ越していた。そのほうがやれ冷蔵庫が通路を通らないだのというトラブルにならないし、当日になって引っ越し業者の方に「ここに、こういう向きで置いてください」とテキパキと伝えられるから、自分が安心なのである。
絵を描くのは苦手だけど、図面なら引ける。引っ越しでここまでする人は建築出身でもいないように思うけれど、私はこれがこれで役に立ったと思っているし、意外と楽しいのでそうしていた。
また、私には兄弟姉妹がいるのだけれど、私以外は全員、家を建てている。
ライターになる前は、建築でも法令関係に特化した部署に勤めていたこともあるので、建築関連の法令には人より少しだけ詳しい…と思っている。もう何年も経っているので忘れていることも多いけれど、敷地の選定から結構相談に乗った。
どうしてこんなことを経験しているんだろう?
辞めてしまったら何の役にも立たないよね?
建築を辞めたとき、そう思った。
資格までとって働いて、建築業界しか知らないのに、他の業界でどうやっていくんだろうとか、いろんなこと考えた。
でも、結果的にどうにかなっているし、自分の経験してきたことは必ずどこかで生かされるんだなと今になってわかるし、真理だと思っている。
引っ越しや家を建てるときに相談に乗った話はわかりやすいから書いたのだけれど、自分ではどうってことないと思っている些細なことだって、誰かにとってはありがたいことだったりする。それは、人より少しだけ手先が器用だとか、文章を書くのが得意だとか、人と話すのが好きだとか、寝たらすぐ忘れる、とかも入るかもしれない。
「そんなことで」と思ってしまうようなことが、誰かにとって救いになることってたくさんある。
どうしてこんなことを経験しているんだろう?
こんなこと何の意味もないよね?
生きていたら、そんなふうに思うことってたくさんある。
それは、最初から無駄に見えることもあるし、自ら終止符を打ったことで無駄に思えてくることもある。
志高く打ち込んできた仕事、愛し合うために向き合ってきた人間関係。エネルギーを注いできた何かが大きければ大きいほど、「終わってしまったら今までの苦労は?努力は?一体何になるの?」と思ってしまう。
「私のこれまでの人生って、何だったんだろう?」
そう思ってしまっても、いつかどこかで、役に立つ日が来る。報われる日が来る。
仕事で得た経験やスキルももちろんそうなんだけれど、ひたむきに向き合い考えたことも、誰かを想って伝えようとした言葉も、大切な何かを守るために闘った時間も、そのすべてが報われる日が来るって、本氣で思っている。
そうだよ、人生に無駄なものなんて何一つないんだよ。
「私のこれまでの人生って、何だったんだろう?」
そんなふうに思ったとき。
「あの出来事にはどんな学びがあったんだろう」
「あの出来事は私に何を教えていたんだろう」
そう自分に問いかけて、意味を見出したらいい。
そうやって、自分にとって全部必要な出来事だったんだと、氣づいていくのが生きるってことだ。
私の人生は素晴らしい。そう思いながら生きている人が、増えたらいいなと思う。だってそれは、シンプルに幸せなことだから。
私の人生は、素晴らしいんだよ。
あなたの人生も。
言葉の海 hana