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認知症について考えた🌱


今日は民生委員の研修会で、認知症について考えた事を

書きたいと思います。

講義の内容は、『認知症の人と家族を地域で支えるために』。

講師の先生方の御了承をいただくのを忘れてしまったので、

お名前は載せないで、書かせていただきます。

認知症の方の行方不明者数は、年々増えているとのことです。

K先生が、認知症の方とご家族を孤立させないことの

大切さや、そのために民生委員がどのようなことができるのか

をお話しくださいました。

二人目のM先生は、ご自分の奥様が若年性認知症だったこと、

ご両親も認知症だった経験を踏まえて、私たちに自らの

体験談と、思いを伝えてくださいました。

認知症という病気は、偏見や(何も分からなくなってしまうとか、

何もできなくなってしまって大変、などの)誤解が多いため、

家族が表に言わないことが多く、引きこもりのような

状態になりやすいのですが、このM先生は地域の集まりの時に

奥様の状態を伝えて、地域の皆さんに大きな力をいただいた

ということです。

周りを巻き込んで、皆さんが応援してくれる、という

とても良い形ができていたのですね。

奥様が一人で出掛けてしまった際の、発見や連絡、

見守り、行政や専門機関へつなげるなど。

地域の見守りや家族会、デイサービス事業所などの方々の

支えに助けられたと感謝しておられました。

認知症は、誰でもなる可能性がある。

そして、認知症になってもできることはたくさんある。

生き生きと活動されている方もいる。

お互い様の社会なので、支援ではなくて、

共に生きるために。

私たち民生委員ができることは、孤立しそうな人や

困っている家族を発見したら行政や専門機関につなぐ

こと、おせっかいをし易い立場なので、声をかけること、

普通の付き合いをすること、あなたの味方という

メッセージ、地域につなげる場に引き出す、などの

関わり方を教えていただきました。

ほんのちょっとのことですが、重要な役割だと思いました。

あと、認知症は、何も分からなくなってしまう病気ではなく、

豊かな感情、優しい気持ち、感謝する心はしっかりと

残っていて、周りの人に喜びと愛情を振りまいてくれる。

優しい気持ちで接すれば、鏡のように返してくれる、

という話が印象的でした。

忘れても、大事な心は生きている。今のことを思い出せ

なくても、昔のことを細かく覚えているということは

よくあるそうです。

そういえば私の祖母も、認知症であったことを思い出し

ました。

ふと祖母に挨拶に行った時に、「ここは自分の家じゃない

から、自分の家に帰るんだ。」と荷物をまとめていることが

ありました。

そうか、ここは嫁ぎ先であって、昔の自分の生まれた家は

実家と覚えていて、そこに帰りたいのかしら?

と思ったことがあります。

それほど、幼い頃過ごした家は忘れられなくて、大切なのだ

と思います。

認知症の方の行動には、必ず理由がある、といいます。

それは、人として心があるからなのだと思います。

共生の気持ちを持って、(自分もならないとは断言できないので)

認知症の方ともこれからじっくり接していこう、と思いました。


今日も読んでくださり、ありがとうございました☺️🍀✨




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