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このnoteで残すこと(亡き父と、これから成長する息子へ)

2023年10月11日の夜、父が亡くなった。いつも笑顔で、怒ったことなどほとんど見たことがない優しい父親だった。とにかく山が好きで、日本中の山に登り、定年後は世界中を旅して写真を撮っていた自由な人だった。

父親の遺品で、欲しいものが2つあった。小さい頃にワクワクしながら見続けた『山の写真集』と手書きの『山行記録』。おそらく一生で500回以上の登山を詳細に記録してある、父の生きた証。私が子どものとき、こっそり棚からとって、その詳細な山行記録を除き見ては、ここの山のこのコースを登ってみたいなど想像したものだった。

目当ての遺品を貰おうとして母に聞くと、すでに欲しかった山の写真集は実家にはなく、詳細にコースと時間まで記録してあったあの手書きの大量の山行記録は、訪れた山の名前と日付だけのエクセルにまとめ直している簡単なものだけだった。なんとも味気ないものに変わり果てていた。

母親に「本当にあの写真集や山行記録は無いの?どこかにあるんじゃない?」と何度も聞いても、もう無いとのこと。

「欲しいなら、生きているうちにちゃんと貰っておけばよかったのに…入院する前に、本人がもう要らないからって全部捨ててたよ…」

もっと元気なうちに話しておけばよかったけど、入院前とはいえ、もっと生きようとしている人に遺品で欲しいとも言えず、そんなことを言えるタイミングでもなかった。あらためて、父にそんな話をするのも恥ずかしいような気もあった。

かろうじて残った遺品であるエクセルの山行記録を画面に映し、自分のスプレッドシートを開いてコピー。遺品の相続は一瞬で完了。

なんとも言えない気分だったが、そのファイルを何となく眺めていたら………父の足跡がどんどん蘇って来た。父のアルバムと照らし合わせてみる。


父が登山を始めたのは、21歳のとき。1957年(昭和32年)9月1日。場所は奥多摩の御岳山。おそらく学生時代の友人の小林さんと2人で登っている。

最初の日本百名山の登頂は、3回目の登山。1958年(昭和33年)の赤岳(八ヶ岳)。登山3回目にして八ヶ岳の最高峰とは、この時はまだ慣れないのにずいぶん頑張って登ったんだなぁ。

1958年 八ヶ岳(左が父、右が小林さん)

24歳のときに、ハイカークラブ『ころぼっくる』に入会し、その年には北アルプスの奥穂高を登っている。登山3年目にして、たぶん山男の雰囲気が出ていたのかも。

1960年 ハイカークラブ『ころぼっくる』大菩薩峠にて

あれ、母と結婚してからは極端に登山回数が減っているのは、子育てが忙しかったのかな。私が生まれる1年前の昭和47年には、ついに1年間で1回も山登りをしていない。この時期は仕事に家庭に育児に疲労困憊だったのかも。

1970年奥多摩 本仁田山(カラー写真になっている)

その後、高円寺から山に近い八王子に引っ越してからは、手軽に登山に行けるようになったのか、回数がだんだんと増えてきて、昭和53年には、当時5歳になった息子である私と一緒の登山が増えている。その後は、私とよく山を登っているなぁ。

1982年本仁田山(姉と)
1981年10月25日妙義山にて(左父・左から2番目私)

私が社会人になるまで、毎年のように一緒に登山していたなぁ。あの頃の父の年齢に追いついたんだ。

1985年8月南アルプス北岳
1988年8月 甲斐駒ヶ岳にて(登りがすごかった)
1993年9月12日 野口五郎岳の途中にて(背が超えた)

定年退職してからの登山数は飛躍的に伸びている!!この頃はまだ足腰も元気だったんだな…。

2001年10月16日 奥秩父国師岳の山頂にて
2013年5月20日 高千穂峰(白髪になってる…)

こう見て行くと、父の足跡がどんどん蘇ってきて、これはこれで想像すること自体が楽しくなってくる。

そうだ!この『遺品である山行記録ファイル』をもとに、私自身も山登りを再開して、父の足跡をトレースしながら、これからの自分の記録も残してみたら面白い!

もともと、小さい頃は父と一緒に登山をするのが好きだったので、いつか再開したと思っていた(再開する前に父は亡くなってしまったが)。

そして、これから作る父から引き継ぐ私の山行記録は、そのまま自分の息子にも継がせて行けたら面白いかも。親子三代の記録にもなるし、自分が死んだ後に残せるものになる。

2023年12月24日 景信山にて(息子)

そして、このnoteにまとめて行くのは、これからの時代により多くのテキスト・動画・写真をできるだけ残しておくのが良さそうだから。

このnoteでは、登山だけではなく、日常のことやその他の趣味、そしてこれまでのビジネス人生で感じたことなど、雑記形式でまとめていくことにする。

最終的には、これらのデータをすべてAIに勉強させたら、父親のコピーを息子に残せるかもしれない。そうなれば、私の死後も息子は寂しくないかもしれない(この遺品は一瞬で消されるかもしれないけど…)

いつか、息子がこれらの記事を読んで面白がり、残しておいてくれてよかったと思ってもらえる日が来るかもしれないことを願って…。

登山の最新情報はヤマレコのページへ


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