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できることがないのは辛い話

昨日は一日中メールなどで連絡調整をしていて 
翌朝の今、このページを開けたら、反射的に
「お世話になっております」と手が動き
苦笑いしました。
毎日書くnoteのおかげで
人間らしさを保っているのかも知れません。

人生の最終段階の在宅介護の現場

ケアマネジャーという仕事柄
お看取りの時期に関わることもあり
わたし自身も親の看取り経験があります。
介護負担は、喪失と緊張の連続からうまれる
と言われていますが、お看取りの現場では
介護者さん(主にご家族)の
負担感のフェーズが変わる時がきます。

それは、やることが多い負担、から
できることがなくなっていく負担感、です。
例えば、食事は摂れていますか?という話題で
ご家族が
「〇〇を食べて"くれる"」と話された時に
フェーズが変わったな、と認識します。
ご本人に受け取ってもらえないものが
増えてきている時期だと思うからです。
こういう場面に出会う多くの
介護を受けている側の方は
家族が用意してくれたものを食べられないことを
申し訳なく、情け無くすら感じておられます。
自分が用意した物を召し上がる様子を見て
まだ大丈夫、と安心したい。
ご本人も、食べられた、と安心したいし
家族を安心させたい、けれどできないのです。
特に、介護者さんが奥様の場合
好物だったご自分で作ったものを食べて欲しい
というようなお気持ちが強く
「アイスクリームが食べやすいし高カロリー」
などという、市販品の提案も
受け入れてもらえないことがあります。

起きていることの核をみる

お釈迦さまの話しで
「Aさんが贈り物をして
Bさんが受け取らなかったら
贈り物はAさんのもの」という
悪口を無視するというテーマのものがあります。

先に書いた食事の場面でも近いことが起きていて
受け取ってもらえない善意が
介護者さんの方に戻って 
積もっていってるのです。

このような時には
食事の内容が話の核心、ととらえると
対応を誤ります。
他にも、どこかに連れて行きたい
というパターンもよくあります。
ケアマネジャーとしては
安心したい、安心させてあげたい、けれど
それが叶わないフェーズ、ととらえて
できれば何か代わりになるものごとを
用意できるのが一番良いのだと思います。
なかなか難しいのですが。

人生のゴールテープが目前、という方は特に
残りの大切な時間は穏やかに、と思います。
誰でも残り時間は有限、ということが
頭から抜けていると
後悔が大きいような気がします。
もちろんそれも、やれることをやった上では
個々の選択ではあります。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。
※画像は通勤路の海。
水平線近くに漁船が並んでいるのが見えます。


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