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嫌いなことと、意味がないことは別なんじゃないかと思う話

先日
事業所を運営する上で必須の調査があり
お正月休みも早々に切り上げて
準備をしていました。
正直、その調査も
その準備に要した膨大な作業も
スムーズに終えるためにプリントアウトした紙も
その調査が誰の何のためになってるのか
全くわからない不毛さに
すっかり嫌気がさしていました。
やらないという選択肢がないので
淡々とやりましたが。

少し話は変わって。
研修を受ける側も時々お伝えする側も
経験します。
受ける方は
必須のものは数年に1回(と言っても数十時間)で
それ以外は自分で選んで受けるものが多く
お金や時間をかけたいと思うものばかりです。
必須のものは
「今カリキュラムや進行のガイドラインこうなってるのね」みたいな情報収集やディスカッション
出会いにウエイトを置いています。
お伝えする方で行く時は
内容に意見できる立場にはなく
受講生にとっては必須なので
少しでも何か持ち帰ってもらえたら
という気持ちでのぞみます。

ケアマネジャー界隈の研修には
いろいろな意見があって
特に現場サイドからは
その時間と費用負担
資格更新と紐づいた融通の効かない仕組みに
見直しを求める声が上がっています。
わたしも、このままで良い、とは
思っていません。
見直しを求めるアクションとは別に
現実の制度がある以上
その中で最善を尽くす、という姿勢でいます。

前提が長くなりすぎました。

お伝えする場面に限らず
(むしろその場面ではほぼお目にかからない)
何にしても、経験しないうちから
「こんなことやっても意味がない」で
思考停止して望むのは勿体無いし
態度に出すのはちょっと違うんじゃないか、と
思うこともあります。 
みんなが意味ないって言ってるから
そういう態度でいい、とでも言うんでしょうか。

研修に限らずですが
自分の知りたかったことを教えてくれない 
思ったような成果が得られない
コスパが見合っていない、などで
残念な気持ちになり、どっと疲れて
「わたしの大切な時間(お金)返して〜」と
言いたいことはよくあります。
実際言ってたりもします(苦笑

ただ、それも経験ではあるんですよね。
内容とか関わった人の態度やスキルとか。
学ぶこともあるし
反面教師にすることも多々あります。
だから
「こんなのヤダー、嫌いー、なんでー」
があらかじめ脳を占めてしまっていると
受け取れるはずのものも受け取れず
ますます 「あんなの意味ないよネー」のループに入っていってしまいます。
(自戒を込めて言ってます)

それと
ちょっと毒を吐きますが
何につけ全面拒否の態度を
毛穴からムンムンに出している場合
こちらの依頼の意味を理解してもらえていない
(課題をクリアできない)パターンがままあり
意識か無意識かわかりませんが
嫌いなことを意味がない、と言って
思考停止して拒絶していると
成長がストップしたまま年を重ねてしまうなあ、と思います。

年始に「意味ないー!」とやっていた作業にも
その調査のあり方は別として
作業の中で知ったことに意味はあったし
経験としての意味づけは自分でするものだった、と、終わった今は思っています。

嫌いなことは嫌い、で良いけれど
それを安易に意味ない、に変換して
思考停止しないようにしよう、と
反省したのでした。

お読みいただきありがとうございます。
画像は新しい冬用スリッパ。
仕事中、かわいいわんこに足も心も
温めてもらっています。

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