自己紹介
はじめまして!華と申します。
「御用聞きではなく、伴走者になる」がモットーです。
私がどんな人間なのか、これまでどんな仕事をしてきたのか、お話したいと思います。
1◆ 経歴
山梨県出身、東京在住。
元営業職からのたたき上げです。
以下3つの仕事を経て、いまは広報代行をしています。
私の強みは、徹底した顧客理解をベースにした企画提案力と営業力です。
新しい切り口の提案をするためには、無関係とも思える業界・地域の知見も必要 と確信し、幅広いジャンルの広報に取り組んでいます。
2◆ 具体的に何をしていたの?
3つのお仕事で「具体的に何をしたのか?」をお話します。
「業界の垣根を越えたコラボ企画・営業戦略を考えるの楽しい!コンペも楽しい!」と、やりがい・悩み・刺激に毎日あふれていました。
コンペで負けたら「採用に至らない理由は何ですか?」と顧客に聞き、
ライバル社に「弊社のプレゼンどう思ったか教えていただけませんか?」と教えを乞い、次回に向けて即動き出し、切り口を変えて提案し…と、
ライバル社・顧客からも貪欲に学ぼうと仕事に没頭。
コーヒーはコーヒー売り場で売るものだ、という固定概念が消え「売り方は自分の発想次第でいくらでも増やせる」「三方良しは実現できる」と実感しました。
また、横浜、大宮、高知、大阪、神戸を転々とし多くの顧客に出会うことで、初見の方ともすぐ打ち解けるコミュニケーション力、業界の垣根を越えた企画提案力が身につきました。
4年間、旧東証一部上場企業を担当。手がけた求人原稿は、名刺サイズの新聞広告欄から10,000文字以上のWEB記事まで大小さまざまです。
顧客の潜在的な強みを言語化する中で「言葉を削ぎ落とすこと、ターゲットを狙いうちすることが重要」「YESマンな御用聞きだと顧客のためにならない」と学びました。
限られたスペースで想いを伝えきる力、読者を記事から離脱させない文章力を伸ばすべく、執筆し続ける日々。
ライティングの鉄則と言われる「3つのNOT(人は読まない・信じない・行動しない)」を乗り越えるには、共感・数字・人間味あふれるストーリー性が必要と学びました。
▶▶▶ 営業と広報は「根本は同じ」と気がついた
営業時代、日々 営業資料(コンペ資料・企画書)を作っていましたが
「営業資料とプレスリリースって、根本は同じだ!」と常々思います。
私は、営業資料が「押し売りのチラシ」にならないよう
を書くようにしていました。まさに、広報のプレスリリースと同じ。
営業の経験則が そのまま広報にも活かせるシーンが多々あり、前職のスパルタ上司にただただ感謝です。
▶▶▶ 頭の中でポップコーンが弾ける
営業時代から「どうやって売り出そう?どんなコラボを提案しよう?」と企画を考えるのが好きでした。
今でも勝手に、仕事でもないのに「B社は他業界A社とコラボすれば、ミドル世代にもアプローチできる…」「こんなイベント企画したらМ社も巻き込める…」と妄想するのが好きです。
頭の中でポップコーンが弾けるように企画がぽんぽん浮かび、一人でひっそりと消化して…ということが多かったのですが、この妄想癖も広報で活かせることに喜びを感じています。
3◆ なぜ、広報をするのか?
営業畑出身の私が、なぜ広報を選んだのか?
「地域活性化、社会貢献に挑戦している人を後押ししたい。いずれは全国の食や農・山梨のために尽力したい」という想いが、根本にあります。
祖母が農家だったため、私にとって畑は身近なものでした。(私の実家は農家ではありません。父は建築設計士で自営業でした)
農家が不可欠で尊い存在であることに感動すると同時に、離農・食料自給率など「問題が山積み!このままだと、おばあちゃんも山梨もあぶないんじゃないの?」と幼い頃から感じてました。
中学生になり、農業だけでなく全国の地方そのものが危ういことに気づき “まちおこし・地域貢献” “国産”というワードに興味を持ち始めました。
大学3年の就活時、「いずれは全国の食や農、山梨のために動きたい」と考えていたものの、それが実現できる職業がわかりませんでした。
市役所、NPO、企業…
あちこち説明会に参加し「局地的でも一時的でもなく、幅広く影響を与えられる仕事ってなに?」と探し続けましたが、当時は「これだ!」という仕事を見つけられなかったのです。
悩んだ結果、ビビビときた全国転勤ありの大手メーカーで営業企画を学ぶことを決意。
その理由は、
「自分の中のスキルの引き出しをたくさん作りたい。きっと近い将来、いまは存在しない仕事がどんどん生まれる。『これだ!』という仕事と出会えたとき、大企業の看板や肩書きがなくても新しい仕事に飛びこめるくらい力をつけた人になりたい」
「どんな仕事であれ、もの・サービス・自分自身を売り込む営業力は必須だろう」という、単純な考えがあったからです。
コーヒーという農作物ひとつで、世界を舞台にして業界をひっぱってきた強さにも惹かれました。
あとは…弱冠二十歳の私は
「コーヒーと農作物。嗜好品と必需品だったら、無くても生きていける “嗜好品” のほうが売るのが難しいよね?だから嗜好品の最大手で自分を鍛えよう!」という、これまた安直な考えがありました。
(この考えは入社後、間違いだったと気づきます。日本人にとって、嗜好品は必需品でした。)
学生時代の思いは今でも変わらず、いずれ全国の食や農、
山梨をはじめ「地方に活気を」と頑張っている日本各地のひとにとって頼れる存在になることを目指しています。
就活時から、「社会貢献してる中小企業ってたくさんある!なのに知られてない、もったいない」と思うことが多々ありました。
「いくら素晴らしいものを作っても、伝えなければ無いのと同じ」という有名な言葉がありますが、まさにその通りだなと。何かできないか模索していたとき、出会ったのが広報でした。
UCCにいた頃、「ディズニーや宝塚歌劇団とコラボ!俳優さん起用CM!」とどんどん広告費をつぎ込む様子を当たり前のように見ていた私にとって、「広報」の在り方は目から鱗でした。
広報は、組織の規模に関係なくできる。
広報は、局地的でも一時的でもなく、幅広く影響を与えられる。
地域活性化・社会貢献に尽力してる人を後押しできるうえ、これまで培ってきた企画力・営業力も活かせる!と直感。
しかし、やる気は満タンでも広報経験はゼロ。「育児が落ち着いたら勉強しよう… なんて待ってられない、今すぐ動こう!」と心に火がつき
0歳抱っこしながら+4歳児の全力の登園しぶりをなだめながら、広報でトライ&エラーを繰り返してきました。
(私に広報を任せてくださった方々、本当に感謝しています)
4◆ ママでも転勤族でも、仕事したい!
私の人生の中で一番もがいてた時期、20代後半のお話をします。それは「出産や転勤のたびにキャリア分断」という現実にぶつかったときです。
1社目も2社目も、夫の転勤についていくため退職しました。上司や後輩に囲まれてバリバリ仕事に向き合う日々が好きだったので、ぽつーん…と専業主婦になった私は 虚しさを感じました。
大笑いしたり涙が流れたりと心を揺さぶる映画を見ていたのに、バツン!と停電で急に暗闇になったような、そんな心境でした。
2社目を退職したときは、産後すぐだったので「また仕事を探したい!でも育児の時間は減らしたくない、でも仕事したい…」と堂々巡りで、身動きが取れない状態でした。
育児ノイローゼなのか産後鬱なのか、精神的に参ってしまった時期もありました。
「育児 or 仕事の2択じゃなくて『こどもと一緒にいながら仕事もする働き方、転勤に左右されない生き方』を考えなきゃ」ともがいている中、フリーライターという選択肢に出会います。
こどもが寝ている時間に執筆し、仕事の幅も広がり、やっと前を向けました。
当日目標にしていたことが3つありました。
「①クライアント様から、無期限契約と報酬UPを提案していただく。編集を任せていただく」
「②上場企業から継続して指名していただく」
「③月に何本書いてもいい、すべて買い取る、とクライアント様に言っていただく」この状態まで自分をレベルアップさせることです。
この3つをすべて実現しました。
そして「ライティングスキルも営業スキルも活かせる仕事ってなんだろうか」と考えているときに広報に出会い、私がやりたいのは まさにこれだと確信し、今に至ります。
5◆ 3つの夢とは?
夢をここで宣言したいと思います。
【1】地域活性化、社会貢献を頑張ってるひとを後押ししたい
日本各地の地方で頑張っている企業や
全国の食や農・国産・山梨のために尽力し、
人と人を繋げる存在にもなりたいです。
「困った、こんなときは!彼女に相談してみよう」と思える駆け込み寺のような存在を目指します。
【2】「仕事をしたいけど、育児・転勤で八方塞がりなママ」を応援したい
育児中の女性に「保育園に預けずに、いつ仕事するの?どうやって仕事獲得したの?家事と両立できる?」「私も転勤で思うように働けなくて…」と、相談されることが多いです。
自分のケースをお話すると「希望が持てた」「自分も挑戦したくなった、今の状況を抜け出せそう」など嬉しい反応があります。
(ちなみに家事とは、両立できてません。こどもが笑顔ならそれでよし…!と言い聞かせてます🍺)
どんな形で応援できるか分かりませんが、「昔の自分のように八方塞がりなママに対して、何かできることがないか」ゆっくり考えていきたいです。
【3】「挑戦も努力も、環境に関係なくできるし楽しい」と背中で教えられる親でありたい
幼稚園児のこどもと話していると、私の行動や考えが “こどもの中の常識” に大きく影響してるなと感じます。
いろんな生き方があって良い世の中なんだ、 どんな環境でも志ある仕事はできる、と感じてもらえるよう、何歳になっても夢を堂々と語れる親でありたいです。
6◆ すきなことは?
語りだすと止まらないので、今回は登山の話だけ…
大学では登山サークルに所属。テント・食料・ガス缶をガッツリ背負い、7日間山から山へ登り続けるような、本格的な登山に夢中になりました。
非現実的な山の美しさ、恵まれた日常には無い辛さ、極寒のテントで仲間と肩寄せ合って食べるご飯のおいしさはお金で買えるものではないな、と今でも思います。
同じ登山ザックを背負い、ひとり旅で海外バックパッカーも行きました。往復の飛行機チケットだけ持ちバンコクへ行き、宿が見つからず半泣きになった経験。一泊300円鍵ナシの安宿で人生観が変わる大先輩に出会えた経験。大地震の影響で飛行機が飛ぶか分からず途方に暮れた経験。
いろんな経験ができました。あれ、登山の話だけのつもりがやっぱり長くなってる…
7◆ 今後、noteに何を書く?
自分のことをSNSで語ろうとすると、熱くなって長くなる。
長くなると「短くまとめてから投稿しなきゃ!」と悩み、なかなか文章が完成せずお蔵入り…。私の悪い癖です。
なので、noteでは「短くキレイにまとまった文章を完成させること」より
「ヘタな文章でも、いまの想いが熱いうちに心の外に出すこと」を優先していきます。
想いをライトにフランクに綴って、私の人柄が伝わると嬉しいです。ここまで読んでくださったあなた様、ありがとうございました。
これから、どうぞよろしくお願いします。