今さら、旧ユーゴスラビアの内戦についての読書案内
去年、安武塔馬『シリア内戦』を読んだときに、ふと、「どっちかが一方的な正義で、どっちかが一方的な悪だなんていう単純な図式は、本当に少ないんだよなぁ」という考えが頭をよぎった。
もちろん、争いの渦中で翻弄される人々の中にはたくさんの無謬の人がいるわけで、そういう人たちが悪であるかと言えば一切そんなことはない。
だけど、争っている当事者集団については、どちらかが一方的に悪いというような勧善懲悪論で割り切れないものがある。
紛争当事者はいずれもが自身の正義を疑っていないだろうし、それでいて、ハタから見ればどちらも悪にしか見えないことだってある。
そんなことをツラツラと考えているうちに、90年代におこなわれていた旧ユーゴスラビアの内戦を思い出した。
たしか、欧米諸国が勧善懲悪的に介入して都市部に空爆してたよなぁ、と。
ただ、僕は実際にその内戦がどんなものだったのかをよく知らなかった。
90年代、僕はとにかく生きるのに必死で、とてもじゃないけれど旧共産圏で行われている遠い内戦に関心を寄せる余裕など無かったのだ。
そうは言っても、こんな大事をよく知らないというのはどうにも気持ちが悪いので、半ニートの暇にあかして関係書籍を当たることにしたのである。
本記事は、その振り返りと、旧ユーゴ内戦関連書籍に今後当たってみようという奇特な方へのガイドになればと思って書いてみることにした。
そもそも旧ユーゴ内戦とは
僕みたいなオッサンからすると、90年代はつい最近のように感じる。
が、実際はもう20〜30年前なのだ。今の未成年たちは、90年代にカスってもいない。
旧ユーゴ内戦はそんな時代の話なので、ここで簡単に(非常に簡単に)概要を述べておきたい。
* * *
東欧の国ユーゴスラビアは6つの共和国からなる連邦国家だった。
その6つとは、
・マケドニア社会主義共和国
・セルビア社会主義共和国
・ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国
・クロアチア社会主義共和国
・スロベニア社会主義共和国
・モンテネグロ社会主義共和国
である。
第二次世界大戦後、ユーゴスラビアはチトーというカリスマ的政治リーダーの豪腕で統率されてきた。
その豪腕で以って、「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と表現されるような、多様な(それ故に軋轢の生じやすい)状態をゴリゴリに統治して、東欧の中では比較的裕福な国家であったとされている。
その豪腕チトーが亡くなったのが1980年。
圧倒的な豪腕カリスマリーダーの死去により統治機構が求心力を失っていく中で、連邦内部のいくつかの民族で民族主義的リーダーが共和国の大統領に就任することが相次いだ。
民族主義は当然、他民族の排斥と自民族の優位を主張するものなので、軋轢が強くなっていく。
また、軋轢には経済的な要因もあった。
ユーゴスラビアは連邦内で、富める共和国と貧しい共和国の差が激しかった。
北部(スロベニアやクロアチア)は裕福で、南部に行くほど貧しくなるという構造を抱えていたため、クロアチアやスロベニアは南部の貧しい共和国を支えるのを嫌い、経済的な理由でも独立(連邦からの離脱)をしたがっていたのだ。(財政が豊かなスコットランドがイギリスから独立したがっているのと同じである。)
そんななか、1991年6月、ついにスロベニアとクロアチアが独立(連邦離脱)を宣言。
スロベニアは10日間の戦闘を経て独立を達成した(十日間戦争)。
もともとスロベニアは独立宣言以前から周到に準備を進めており、また、国内におけるスロベニア人の人口的優位が圧倒的であったことから、このようにすんなり事が運んだとされている。
他方、クロアチアは、スロベニアとは対象的に泥沼の戦争を1995年までユーゴ連邦(実質的にセルビア共和国)と繰り広げることになる(クロアチア紛争)。
というのも、クロアチア国内はクロアチア人の他にセルビア人勢力も大きく、独立によってクロアチア人に有利な国家運営がなされることを懸念したセルビア人勢力が独立に反対していたため、国内が泥沼化したのである。
続いて、ボスニア・ヘルツェゴビナが1992年に独立を宣言。こちらもクロアチア同様、国内のセルビア人勢力が独立に反対してユーゴ連邦(実質的にセルビア共和国)と共謀。1995年まで泥沼の内戦がおこなわれた(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争)。
「民族浄化」という言葉が使われるようになったのはこの紛争からだという。
さらに、もともと揉めていたセルビア共和国内コソボ自治州で、1996年、セルビアからの離脱を求めて紛争が勃発(コソボ紛争)。断続的に1999年まで続いた。
圧倒的セルビア人優位のセルビア共和国にあって、コソボ自治州はアルバニア人による自治が行われていた地区だったが、セルビア大統領であるミロシェビッチの大セルビア主義(セルビア人を中心とした南スラブ国家の樹立を旨とする主義)による圧迫のために、アルバニア人との衝突が発生したことに端を発するとされている。
NATOによるユーゴスラビア首都ベオグラードへの空爆などは、この紛争に関するもの。その空爆の際にアメリカの爆撃機が在ベオグラードの中国大使館を誤爆(!)してしまうなどの問題も生じていた。
さらには、2001年、すでに紛争を経ずに独立を果たしていたマケドニアにコソボ紛争が飛び火した(マケドニア紛争)。
マケドニアにもアルバニア人が多数在住していたが、マケドニア人優位の政策がしかれており、それに対する不満と、コソボ紛争によるアルバニア人難民流入とが結びついて紛争化した。
* * *
ひとくちに「旧ユーゴ内戦」と言っても、これだけ多彩な紛争があちこちでおこなわれていたため、きちんと丁寧に経緯を追わないとどこで何が起きていたのか分からなくなってしまう。
ざっくり言ってしまえば、
1.各共和国ごとに一番人口の多い民族主導で連邦からの独立を画策。
2.セルビア人勢力が一定以上いる共和国では、セルビア人の国であるセルビア共和国と共謀して独立を阻止しようとする。
というのが共通の流れである。
その中で、これまで同じ国、同じ町で暮らしてきた者同士(たとえばクロアチア共和国であれば、クロアチア人とクロアチア共和国在住セルビア人と)が、民族が異なることを理由に互いに凄惨な殺し合いをおこなったのである。
日本語で読める一般書籍はけっこう少ない
旧ユーゴ内戦に関しては前述したとおりなのだが、たったこれだけのことを理解するのに、非常に手こずったというのが実情だ。
なぜなら、日本語で読める文献が意外に少ないからである。
一般書に関しては、1996年までの紛争に関しては多少あるのだが、コソボ紛争となると非常に少なく、マケドニア紛争となるとほとんど無い。
専門書(研究者の論文など)も有るには有るのだが、そもそも経緯がある程度頭に入っている前提で書かれているので、読んでもよく分からない。
ネット上の情報も、簡素に過ぎるか、断片的に過ぎるか、といったところで、大局が全く掴めない。
というわけで、全体像を掴むやめに僕が読んだ書籍を紹介していきたいのだが、読む順番によっても頭が混乱すること必至なので、紹介の順に読んでいくのがお勧めだ。
1.当事国について知る
そもそもユーゴスラビアという国について、多くの日本人がどれだけのことを知っているだろうか。
ちなみに僕は、この内戦について勉強を始めるまで、恥ずかしながらチェコスロバキアとあまり区別がついていなかった(「あー、あの、兵器生産で有名な国だよね」みたいな)。
このように前提となる知識を欠いたままでは、民族紛争の色が濃いこの内戦を全く理解できないのである。
というわけで、まずは、内戦前のマクロな歴史を追うところから始めるのが良いと思う。
マーク・マゾワー『バルカン 「ヨーロッパの火薬庫」の歴史』(中公新書)
なにはともあれ、困ったときの中公新書である。
本書は、旧ユーゴスラビアを含む周辺地域について、オスマン帝国統治時代から20世紀に至るまでを詳らかにしている。原書は2000年に発刊されているので、その直前までの歴史が描かれているが、旧ユーゴ内戦そのものについてはそれほど紙幅を割いていない。
その分、旧ユーゴの地政的位置付けなどが分かりやすく書かれているので、最初の一冊として非常に優れている。
柴 宣浩『ユーゴスラヴィア現代史』(岩波新書)
なにはともあれ、信頼の岩波新書である。
著者はオーセンティックなユーゴスラヴィア研究者。前述のマーク・マゾワー本がバルカン全体であるのに対し、本書はユーゴスラビア特化である。
本書もオスマン帝国の頃から追っているが、「現代史」を銘打っているだけあって、20世紀の話に紙幅が大きく割かれている。
なぜユーゴスラビア連邦が崩れて内戦に突入していったのかについて理解するには手堅い一冊。
ただし、発刊が1996年なので、クロアチア紛争やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が終わった直後。まだコソボ紛争前である。
「エリア・スタディーズ」シリーズ
柴 宣浩、石田信一(編著)『クロアチアを知るための60章』
柴 宣浩、山崎信一(編著)『ボスニア・ヘルツェゴヴィナを知るための60章』
柴 宣浩、山崎信一(編著)『セルビアを知るための60章』
柴 宣浩、アンドレイ・べケシュ、山崎信一(編著)『スロベニアを知るための60章』
海外旅行に行く前につい読んでしまう「エリア・スタディーズ」シリーズだが、その国や地域の細かい歴史や文化、街並みや郷土料理など、様々な角度からきめ細やかに紹介してくれている良書。
今回のように「内戦」にスポットを当てて当事国を理解しようとすると、どうしても理解が偏る。そこには元々人々の暮らしがあり、日常があったわけで、本書のような多面的な現地紹介があると理解の厚みが増すので、是非読むべき。
すべて近年の刊行だが、特に『ボスニア・ヘルツェゴヴィナを知るための60章』は2019年に発刊されたばかりの出来たてホヤホヤである。
アマエル・カッタルッツァ、ピエール・サンテス『地図で見る バルカン半島ハンドブック』
本書は「地図で見る」を標榜しているだけあって、地図が豊富だ。それも、現在の地図だけでなく、19世紀からの勢力圏や国境の移り変わりについても豊富な地図で指し示してくれているので、前述した書籍を読む際に傍らに置いておくと、理解が捗る。
柴 宣浩『図説 バルカンの歴史』
必携の書とは言わないが、図説なので写真が豊富。目に楽しい。
本記事のラインナップの中ではほとんどフォローできていないマケドニア問題などにも触れられていて、写真ばかりでなく文章も貴重。
2.紛争で何があったのか
ここからが、いよいよ紛争そのものを主題に扱った書籍である。
高木徹『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』(講談社文庫)
旧ユーゴ内戦前半で最も酸鼻を極めたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において、武力で優勢なセルビアに対してボスニア・ヘルツェゴビナ側はPR活動で国際世論を味方につけた。そのPR戦略の舞台裏を取材したNHKスペシャルの書籍化。
本書のタイトルでは「広告代理店」とされているが、本文にも書いてあるとおり、広告代理店ではなくPR会社による戦略の話なので、タイトルは失当(著者でなく出版社の仕業だろう)。
日本で旧ユーゴ内戦に関する一般書というと、第一に本書が挙げられるだろう。
ピーター・ブロック『戦争報道 メディアの大罪』
旧ユーゴ内戦全般において、アメリカのジャーナリズムによる報道がいかに杜撰なものであったか、その結果どんな悲惨な結果を生んでしまったのか、という批判の書。
ボスニア・ヘルツェゴビナによるPR戦略についてもより批判的に論じているので、『戦争広告代理店』と読み比べるのがお勧め。
FAMA(編集)『サラエボ旅行案内 史上初の戦場都市ガイド』
サラエボはボスニア・ヘルツェゴビナの首都で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の際には都市の周囲をセルビア人勢力に包囲され、道を歩く市民は狙撃された。そのような状況下にあるサラエボでの生活について、旅行案内の呈で生々しく綴った本。
梅原季哉『戦火のサラエボ100年史 「民族浄化」もう一つの真実』(朝日選書)
著者は朝日新聞ヨーロッパ総局長(当時)。
サラエボの包囲戦を中心に、その前後や周辺で何が起こっていたのか、戦後処理まで含めてのレポート。
月村太郎『ユーゴ内戦 政治リーダーと民族主義』
本記事のラインナップの中で唯一の専門書。
当事国の政治がいつ何を決断したのか、1990年から1995年までを時系列で細かく追っている。
全体像を把握しないままに読んでも冗長に感じるため、上記の本を一通り読んでから着手するのがお勧め。
(本書では1995年までの経緯しか追っていないため、以下の本は事前に読んでいなくても理解に差し支えることは無い。)
多谷千香子『「民族浄化」を裁く』(岩波文庫)
旧ユーゴ内戦の戦争犯罪者を裁く国際掲示裁判所の判事を勤めた著者が、戦犯法廷の在り様を中心としてクロアチア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争について解説している。
国連サイドの中からの視点を提供してくれる本。
町田幸彦『コソボ紛争』(岩波ブックレット)
コソボ紛争の全体像について書かれた日本語で読める書籍が非常に少ない中で、非常にコンパクトに分かりやすく解説してくれている本。というか、冊子。
残念ながら絶版だが、古本は安価で入手可能。
木村元彦『新版 悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』(集英社文庫)
著者はサッカーを中心としたノンフィクション・ライター。
サッカー大国ユーゴスラビアの紛争をサッカーファンとして大いに嘆き、まだ情勢の落ち着かない(コソボに至ってはまだ紛争中)の1998年の旧ユーゴスラビア各国を取材し、本書を執筆。サッカーというフィルターを通して市井の人々の目から見た内戦とその後について描いている。
新版に際して2018年時点での状況などを追記している。
木村元彦『終わらぬ「民族浄化」 セルビア・モンテネグロ」(集英社新書)
コソボ紛争終結後の現地はどんな様子なのかを取材した本。まだ紛争の傷跡が生々しいままの2000年代前半のコソボ、セルビア、マケドニアの様子が生々しく伝えられている。特に、アルバニア人によるセルビア人に対する報復など、紛争は本当に終わっているのか、国連による介入は本当に機能しているのかといった問題を鋭く投げかけている。
ジャン=マリー・ゲーノ『避けられたかもしれない戦争』
著者は、国連平和維持活動局事務次長を8年間勤めたフランス出身の官僚。
本書では、コソボを含む個別具体的な国連の平和維持活動を説明しながら、それらを元に、国連の平和維持活動はどうすべきなのかを論じている。
前掲の『終わらぬ「民族浄化」』を読んで国連による平和維持活動に疑問を抱いたら、本書を読んでバランスを取るのが良い。
こんなに読んで、何が得られたのか
1冊2冊では全体像の見えてこない対象も、10冊以上読むと立体的に浮かび上がってくる。
それこそが、固め読みの効用である。
ここまでやると、大掴みではあるけれど、旧ユーゴ内戦に関して概ねイメージがつくようになった。
もっとも、旧ユーゴスラビアをいくら机上で立体的に知ったところで、僕の日常には何も関係ない。知り合いもいないし、行く予定も無い。(実はサッカーにもそんなに興味がない)
今後の人生で紛争解決にあたることもないだろうし、(おそらく)武器を手にして内戦を戦うということもないだろう(あって欲しくない)。
そういう意味では、これらの読書によって得られた知識が直接的にノウハウとして生かされるシーンは、僕の今後の人生において無いと思っている。
だが、人間、それも国家や政府という組織体(ISのような自称「国家」も含め)としての思考回路は、ある条件下においてはわりと似通ってくるものであり、旧ユーゴスラビアに限定的な話ばかりではないだろうと思う。
こういう個別のことから普遍を知り、自分の思考の幅やバリエーションを増やし、「そうか、そういうことか」という理解や納得をより多くしていくことこそが読書の意義ではないかと思う。
ちなみに、戦争当時国によるPR合戦などはその後様々な発展を遂げ、『140字の戦争』に描かれているようにソーシャルメディアを介して行われるようにもなってきている。
そのようなPR合戦は、旧ユーゴ内戦の時代も現代も日本語空間をほぼ素通りしており、ヨーロッパ言語で行われていることを理解しておかなければならず、僕のような外国語無能者にはつらい現実である。
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