伝わるのは当たり前じゃないし、世界はひとつじゃない。

人間の持っている基本機能のひとつに「発声・発語」というものがあり
それが発展して「会話」があると認識しています。

基本機能を利用した相互の情報交換・意思疎通や楽しみのための共通機能
同じ言語を使えるかどうか、同じ文化圏なのか等の問題はありますが
基本的には言語を使用できる人と人がいるならば成立すはず、でしょう


「伝わる」や「会話が成立する」が当然、と
人はつい思ってしまいがちですが

実際はそんなこと、全然ないよね……
会話が成立しないひと、めっちゃいるよね……

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聞こえてるはずなのに、言葉は耳に届いてるはずなのに全く違う意味にとられたり
訊いてることと全く違う答えしか返ってこなかったり
伝えたいことがどうしても伝わらなかったり

「会話が噛み合わない」なんてことは、よくあることですけど
ある相手とはいつもそうだ、とか、そうなる頻度がとても高い、とか
「会話が成立しにくい相手」って、大人になればなるほど増えてくるような気がします(大抵はビジネス上の会話は成り立つことが多いのですけど、それすらできない相手もいますね)


そこで、いつも私が陥っていたのが「私が悪いの……??」だ。

会話が成立しないのって、わたしの言い方が悪いのかな
わたしのやり方や理解力、力のかけ方が足りないからなのかな?
みたいな。

「私のせいかな?」って思うことは悪いことじゃない。わかってる。
そう思うことで自分のマズいところを考えて直したり、対策を講じたり
改善」するには自分の不足もしくは間違ったところを是正する必要がある

うん、今かなり気をつけて言葉えらんだ。


私が悪い」って、すごくいい方としてよくないやつだ。
今、あえて「悪い」って言い方を直して使わなくしたんだけど

悪い」じゃ言葉が強いし広すぎるんだよ。
せいぜい

・わたしのやり方がよくなかった
・ちょっとマズかった
・いい言い方じゃなかった
・もうちょっとうまくできた
・いたらなかった
・考えたりなかった

とかそんなやつだよ。
「わたし」が「悪い」って思っちゃダメなんだよね。
自分で自分の人格や根幹を否定するような言い方使っちゃそれこそダメなんだよ。

なので最近
あんまりにも会話が成り立たない人たちのことは
『違う世界の生き物か』と思って接するようにしています。

きっと向こうも同じように思っているだろうし
お互いふれないようにするのが一番エコですからね。


「この人とは合わない、みているものが違うな」と思って線を引くことって
ある意味で人間には必要な線引きであり
その「諦め」は優しさでもあると思うのです。


話は戻りまして
「会話が成立しない」なんですが

何でかなと言ったら「同じものを見ることができないから」なんじゃないかと。
思考の骨子というか、世界に対する解像度があんまりにも違ったら
「説明」や「指示」すらも全然違う風に捉えられ得てしまうんですよね

例えば、一時期有名になったじゃないですか、これ

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すごくいい解説記事を見つけちゃったぞ

これ、わたしはブルーに見えたり白に見えたり変化するんですけど
普通は青か白、どっちかにしか見えないものらしいですし
白に見えてる人だったら「あのブルーのドレス」って言ってもわからないし
青に見えてる人に「あの有名な白と金の」って言われてもわからないんですよね

相手が違う色を見てしまう人だったら「青とか白とか人によって見え方が違うドレス」と言って初めて、相手の言うことがおぼろげに「あれかも?」となって自分の中に意味を結ぶことができるようになるのです。しかも、どっちに見える人なのかって、その当人にしかわからないことなので、予測は不可能

さらに、どっちにも見えてしまうわたしなんて言うイレギュラーもいて
そのわたしは「どっちかにしか見えないのが普通」と思っているならいいんですけど、その事実を知らなければ「わたしの中では”見るたびに色が変わって見える不思議なドレスの写真”」としてしか認識してないかもしれないのです。そうしたら「人によって見え方が違う」と言われてもすぐにピンと来たりはできないかもしれません。


ヒトは、多分「言葉によってコミュニケーションを取ることができる生き物」なんじゃなくて「言葉を介してしか伝達できない」生き物なのです。


頭の中のものを、抽象的で不確かな抽出物=言葉でしか手渡しあえないのですから

「バベルの塔」の話じゃないですけど
皆が皆、頭蓋の中という孤島に閉じ込められて生きているんですよね
人々の言語を神が混乱させたって
それ以上にそれ以前に、伝わらないんですよ
「伝えようとする」「伝えようとしていることを受け取ろうとする」
この二つがきちんと噛み合わない限り


会話が可能な身体及び脳の能力が備わっている=会話機能があると言っても
その機能の性能も付帯機能も同じとは限らんもんね……

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言葉をまともに話せない小さな子供とは、意外と意志の疎通ってできたりします。
向こうは「どうしても伝えたい!」と必死だし
こっちも「何が言いたいのか」を一生懸命考えますからね。
そこには「伝わらないのが当たり前」の世界があります。
「伝わる」のが基本じゃないからこそ、伝わる率は上がるのです

そして、おチビさんは、その経験から学び、もっと伝わるようにと努力します
大人より、ずっともっと、「伝えること」に貪欲です


きっとそのうち「自分は口下手だから」とか「言語化が上手くないから」「まだ子供だから」「伝わるのは当然だろ」とか言って周りに押し付けたり頼ったりしてあぐらをかいてしまう子もいるのだろうけどさ。


きっと、子供のソレが「そもそも」で「本来」だと、思うんだ。


「伝わるのは当然じゃないけど、伝えようとしないと伝わらない」
「それでも伝わらない相手とは無理に拘る必要はない」


このふたつのことをきっちりぎっちり自分の心に刻みつけて
ままならない人生を歩んでいかねばならないのだなと、考えていましたのでした

いや、ママだけどな……
すんごい、至らないママだけどな……


よし、もうちょっとキッズの話、聞いてあげるようにしようかな
ほっとくと延々と話し続けるけどなあいつら……


はぁ……
生きよう……

サポートいただけたらムスメズに美味しいもの食べさせるか、わたしがドトります。 小躍りしながら。