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仏を見つめる、自分と会話する

先日、久しぶりに高野山へ行ってきました。
今回はその記録と感想を少し。

最後に行ったのはコロナなんて名前も聞いたこともなかった頃なので、2年以上前になりますか。
あの頃は、行けなくなるなんて想像もしませんでした。

久しぶりの高野山は涼しくて、やはり空気が違います。

先ずは伽藍にお参り。

仏様にご挨拶して、日頃の感謝を述べたら、あとはひたすら愚痴とお悩み相談。
たった10円のお賽銭とお燈明だけでどれだけ言いたい放題言うのかと呆れられている気はします。
でも、久しぶりにお参りして分かったのは、祈るということは今の自分の中にある思いや考え、感情をいい事も悪い事も取り出して見つめ直すことなんじゃないか、ということ。
普段からやっていれば良いのでしょうが、これがなかなか出来ないのです。

大塔と金堂でそれぞれひとしきり愚痴って
「そりゃお前さんの心持ち次第だよ。お前さんの行きたい方に進めば私達は後ろから支えてやるから」
と背中を押してもらったら、次は霊宝館へ。

ちょうど100周年記念展をしていて、運慶作 国宝 八大童子像など名作が数多く展示されていました。

お昼に精進料理を食べてお腹と心を満たしたら、奥の院へ。

奥の院編へつづく。

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