知性の多様性というものの存否について
この世には、あまりにも多くの人間が生息している。
世界の中ではちっぽけに見えるサイズのこの日本だけでも、一億何千万という人間が居るらしい。
その中身は、多様性で溢れている。
男も女も。
子どもも高齢者も。
明るい人も暗い人も。
病気にかかる人もかからない人も。
そして、頭の良い人も、頭の悪い人も。
多様性があるから、生物というものは、絶滅せずに済むらしい。
そうだとすれば、頭の良し悪しというものが多様である必要性は、必然性は、あるのだろうか。
みんなが頭がよければそれでいいと。
そういう進化を、何万年もかけてしてきたと。
そういうわけには、いかないのだろうか。
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私は、正直、政治に詳しくはない。
むしろ、世間の情勢にも、疎い方だ。
子どもの安全のため、テレビは撤去して別の部屋でお休みいただいている。
新聞も、読む時間がなくて、長らく休配してもらっている。
世間の状況は、専らSNSやインターネットから得ている。
だからなかなか世の中の動きを把握できていない。
きっと、情報の偏りも随分あるだろう。
しかし、そんな私でも、選挙があることくらいは、存じている。
ネット上のあちこちで、叫び声や、それに対する民衆の評価が飛び交っている。
やれ与党がどうだ、
裏金がどうだ、
コロナワクチンがなんだ、
消費税は減税だ増税だ、
外国人参政権はどうする、
マイナンバーは…とかなんとか。
私は、政治に詳しくはない。
とにかく、良くしてもらいたい。
我々日本国民が、安心して暮らせる方向に、進めてもらいたい。
それだけでいい。
誰かの私腹を肥やすとか。
一定の人だけが得をするとか。
一部の人々に偏って配分するとか。
国会議員と関係のある人の意見ばかり尊重されるとか。
本来居るべきでない人がデカい顔して悪行を働くことを見て見ぬふりするどころか、日本国民よりも著しく緩い規制の中に居て、怖いモノ無しに好き勝手させている、とか。
正直、こんなのはもう、ウンザリだ。
なぜだ。
なぜ、過去に悪いことをしたことが明らかな人が選挙に勝つのか。
なぜ、過去に暴力行為まで振るった人が、選挙に勝つのか。
なぜ、有名人だからというだけで、なんにも中身がないのに、選挙に勝つのか。
なぜ、若者が選挙に行かないと高齢者優遇して終わるぞと散々言われているのに、投票率が低迷するのか。
そして結局、「非課税世帯」という名の高齢者ばかりに給付金を出すとか言う人間や政党が、選挙に勝ってしまうのか。
本当に、わからない。
理解できない。
最悪なのは。
そうやって自分のことしか頭にない国会議員を当選させておいて。
この国の舵取りをさせておいて。
やれ不景気だ、やれ教育や子育てにまともな政策を打たないだ、やれ汚職だと騒ぎ立てる、「選んだ」人たち。
または、「選びすらしなかった」人たち。
いっそ、笑えてくる。
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「消費税を廃止します!」
「給付金どんどん配ります!」
「財源!?知りません!」
「アピール?歌ったり踊ったり、果ては暴力で妨害行為したりします!」
とか。
「親が議員だったので自分も頑張ります!」
「犯罪歴あるけど心を入れ替えて頑張ります!」
「以前テレビに出ていたのでやってみます!」
とか。
なんでこんな、頭の悪い人たちが、国を動かす立場に居るのか。
我々の代表ヅラしているのか。
もちろん、国会議員の中には、きっと日本のことを考えてくれているんだろうな、と思える人も居る。
しかし、そうではない、ただ目立ちたいだけの。
ただ利害関係人に便宜を図りたいだけの。
他国ばかり優遇しようとするだけの。
議員報酬などのお金に目が眩んでいるだけの。
単なる自己中心的なバカとしか言いようがない人たちが、大勢居る。
本当に信じられない。
悲しくなってくる。
なぜ。
簡単だ。
そのバカをバカ正直に選んで祭り上げるバカもまた、大勢居るからだ。
日本は民主主義国家だ。
民主主義とは、選挙だ。
いくら遠くから「政治家やめろ!」と叫んだところで、何の意味もない。
だって、「政治家やって!」って言った人が、その地域で一番多かったのだから。
「やめろ!」と言っている人は、形式上、少数派だからだ。
バカに選ばれたバカが、いくら外国を優遇しようと。
高齢者ばかり優先しようと。
将来の世代の年金を減らそうと。
子どもの扶養控除を無くして子育て世代をいじめようと。
選ばれてしまっている時点で、もう我々国民に出来ることは、無い。
ただそのバカが日本をバカにしていく様を、テレビやインターネットで手をこまねいて眺めていることしか、出来ない。
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政治家に、頭の良い人、頭の悪い人が、それぞれいるのだとすれば。
つまりそれは、そっくりそのまま。
我々日本国民の、頭の良さの多様性が、反映されているのだ。
財源のことも何も触れずに、消費税を無くすとか、季節ごとに給付金出すとか耳障りの良いことばかり大声で言っていれば、いいのだ。
財源のことなんか考えず、とりあえず聞こえの良い妄言ばかり都合よく信じ込むバカが、ちゃんとたくさん居るのだから。
単に与党と反対のことを言いたいがためだけにマイナンバーカード反対!と言ってもいいのだ。
反対した結果、生活保護者や外国人が現行の保険証を悪用して大量に薬を入手し売り捌くような犯罪行為を認めることになったとしても、いいのだ。
そうやって与党がただ嫌いなだけで野党に入れようとするバカや、悪用できなくなるのを恐れる悪人どもが、ちゃーーんと居るのだから。
きっと。
マトモなことを言っていても、それをマトモに受け取れる人間というのは、限られているんだ。
残念ながらそれが、「多様性」というものだから。
政治家は、とかく自分が政治家で居たいのだ。
バカのフリでもなんでもやって、バカの票を一手に引き受けることができれば、簡単に政治家で居られるわけだ。
野党が、与党よりも良い政策を出して戦おうとか、そういうマトモなことをしないのは、きっとわかってしまっているのだ。
まともなことを言うだけ損だと。
真正面から戦って、マトモなことがわかる一部の人々の票を奪い合うより、マトモじゃないことに共感するバカたちの受け皿になったほうが、楽なのだと。
絶望したくなる。
誰も彼も。
政治家でさえも。
自分のことしか考えていない。
今この瞬間をどうするかしか考えていない。
その現実に。
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私は、薄々わかっていたつもりだったが、ここにきて確信してしまった。
知性の多様性は、ある。
必要とか不要とか、そういうことではなく。
厳然として、確かに存在している。
人間を、真に人間たらしめているのは、「想像力」だと思っている。
こうしたらどうなるかな。
ああしたら相手はどう思うかな。
そういう、現実に目の前に見えているわけではないものを見る力。
それが想像力であり、知性の一側面だと思っている。
想像力を失ってしまったが最後。
目の前の利益に惹かれ。
その時の感情に流され。
物事の本質を覗こうともしない。
そういう人間が出来上がる。
知性というのは、数字が数えられることでも、文字が読めることでもない。
そこじゃない。
想像力をもって、未来を、将来を、今よりも良くしていこうとする力だ。
それが、今まさに、どんどんこの国から失われていっているのを、ひしひしと感じる。
悲しくて、怖い。
せめて子どもたちが、この国に生まれてよかったと、そう思えるように、どうかなりますように。
多様性が、本来の「生存」という役目を、果たしますように。
…ひとまず、私自身がマトモなのかどうかは、置いておいて。
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