♥: 推しの結婚
「結婚」
両性が夫婦になること。婚姻とも言われ、両性間の配偶関係の締結を意味する。
推しが結婚した。
相手は、報道のあった一般女性。
「結婚おめでとう!」
「おめでとう!幸せになってね!」
「美男美女でお似合いの夫婦!」
「えー、結婚したんだ、ショック。」
「女優の○○ちゃんとは別れてたんだ」
「どうせ、デキ婚でしょ。」
ネットでは様々な意見が飛び交う。
そんな中あるツイートが炎上していた。
「推し、結婚したらしい。ずっと応援してたのに、裏切られた気分。ファン辞めます。祝福できません。」
→「推しが幸せならそれで良くない?」
→「裏切られたって元々貴方の彼氏じゃないでしょ?」
→「ファン辞めます。って書く意味w」
→「盲目オタきめーw w w w w」
推しの結婚を祝福しない奴は悪なのか?
例えば、あなたがずっと好きだった憧れの先輩がいたとしよう。
体育の授業で他の生徒と大差をつけて1着でゴールする先輩。
全校生徒の前で、堂々とスピーチをする先輩。
サラサラヘアーの黒髪が風になびかせながら、友達と話し、笑いあっている先輩。
そんな先輩にずっと片想いしていた。
密かにずっと先輩を想っていた。
先輩がゼッケン10番をつけて、出場したサッカーの試合は全部応援しに行った。
先輩と会えるかもしれない夏祭りでは、何色の浴衣を着ようか1時間以上悩んだ。髪型は、先輩が好きと言っていた女優さんを真似た。
大好き。大好き。大好き。大好き。
今は、手の届かない存在だけどもっと可愛くなったららいつか、いつか、気づいてくれるはず。
そう思っていた。
ある日の帰り道、大好きな先輩を見つけた。
大好きな先輩を見れて幸せな気持ちでいっぱいでいたのもつかの間、目の前には先輩と同じクラスで学年1の美人で学校でもマドンナ的存在のあの人だった。
そのマドンナは、先輩の手を取り、微笑む。
それを見て先輩も微笑み返す。
唖然とした。不思議と涙も出なかった。
なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?
先輩こと好きな気持ちはあの人よりも絶対に大きいのに!私の方が絶対に先輩を幸せに出来るのに!
なんで?
私、先輩にみつけてもらう為に美味しくもない緑いっぱいのスムージー飲んだし、毎日5kmは走ったし、メイクの練習だってたくさんしたし、それに、それに、それに、、、!
私の知らない所で先輩は好きな人が出来て、恋人が出来ていた。
さて話を戻そう。
この状況になった時、貴方は先輩を祝福できるだろうか?
いろんな意見があると思うが、少なくとも私には不可能だ。
これは、「推し」に対して恋愛感情を抱いたパターンだと考える。
このように、
好きな人がいて片想いしていたが、彼女ができてしまった。→ショック
というわけだ。
次のパターンの話だ。
貴方は、付き合って数年の優しくてカッコよくて大好きな彼と夜景の見える素敵なレストランに。
三ツ星シェフの作る美味しいディナーに舌鼓を打ち、幸せに浸っていると目の前には煌めくダイヤの指輪が。
「僕と結婚してください。」
プロポーズをされて幸せの最高潮。
そんな素敵な彼と結婚し、子宝にも恵まれ、元気な赤ちゃんを出産した。
お腹を痛めて出産し初めて抱き抱えたのが昨日のことのよう。
子どもの成長は早いもので、寝返りがうてるようになったと思ったら、はいはいが出来るようになり、かと思えば立てるようになり、「ぱぁぱ」「まぁま」「いたぁきます」「ごちしょ、さまでった」と、どんどん言葉を覚えていく。
初めて幼稚園に行く時には、「ママとバイバイしたくない!」って泣き喚かれたし、
小学校に入学する前、ランドセルを選ぶ時には、10万もする高性能の物を強請られたっけ。
中学生になって初めての制服はちょっぴり大きかったけど、卒業する頃には様になっていたなあ。
高校生になって反抗期を迎え、1週間も口を聞いてくれなかった時は成長を感じながらも少し寂しかったなあ。
寝る間も惜しんで沢山勉強をした努力が実を結び、無事、志望していた大学に入学。
ママが前日に作った、「カツ丼」が効いたかなあ。なんてね。
大学のサークルにて素敵な出会いに巡り合わせる。
飲みの場で初めて会ったその人に一目惚れ。
なんと好きなバンドが同じだった事が判明し、意気投合。
何度か一緒にライブに行き、3回目のライブの帰りに、ついに告白。
その人は、微笑みながら優しく頷いた。
私が、初めてその人に会ったのは付き合って3ヶ月後だった。
大事な子どもの恋人がどんな面構えなのか一目見てやろうと強気でいたが、穏やかな笑顔と柔らかな雰囲気に思わず飲まれてしまった。
数ヶ月後、その人と私の子どもは夜景の見える素敵なレストランに。
三ツ星シェフの作る美味しいディナーに舌鼓を打ち、幸せに浸っていると目の前には煌めくダイヤの指輪が。
何処かで見た景色だ。プロポーズだ。そして、こくりと頷き、結婚指輪を指に填めた。
そう、結婚したのだ。私の子どもは、素敵なその人と結婚したのだ。
ミルクを飲むことも、オムツを変えることも1人で何も出来なかったあの子が、
買ったばかりの真っ白のTシャツをものの数分で泥だらけにして帰ってきたあの子が、
滑り台から落ちて危うく大怪我するところだったあの子が、
生まれてきた時はあんなに小さかったあの子が、
「結婚」
嬉しくて仕方なかった。大好きな子どもが、大好きな人と結婚したのだから。
おめでとう。
素敵な人と巡り会えて良かったね。
幸せになってね。
半分忘れかけていたであろうが、話を戻そう。
この状況になった時、貴方は子どもを祝福できるだろうか?
少なくとも私は、大いに祝福したいと感じる。
これは、「推し」に対して母性が芽生えた感情だと考える。
このように、
ずっと見守ってきて成長過程を知っている子どもが好きな人と結婚した。→嬉しい
というわけだ。
「推しを応援する」というワードひとつでも捉え方によっては様々であることがお分かりいただけただろうか。
ここまで長々と話してきたが結局、
「推しの結婚を祝福しない奴は悪なのか?」
という問に対しての私なりのアンサーは、
「祝福する」も「祝福しない」も善でも悪でもない。
だが、お互い応援の仕方か異なり、「推し」に対して抱いている感情も異なる。
それを理解した上で互いを尊重するべきだ。
と考える。
どんな意見にも、「正解」「不正解」で区別する必要は無いし、することが出来ない。
自分こそが正しいと思い込まず、異なる意見を持った方の気持ちを想像することが必要なのではないか。
私の意見も一つとして感じてほしい。こういう意見もあるんだなあと軽く受け流すたけで良い。
人の数だけ意見がある。想像力がある。
どうかその想像力の間違った使い方をしないで欲しいと願うだけだ。