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自己紹介|藤本シゲユキってどんな人?
はじめまして。
リアライフカウンセラーの藤本シゲユキです。
数年前からすでに有料noteを公開しているため、はじめましてと言うのはおかしいのかもしれませんが、これからこちらで定期的に記事を公開していくつもりなので、改めてご挨拶いたしました。
この記事は僕の話ばかりになり恐縮ですが、少しでも藤本シゲユキに興味を持ってくださった方は、ぜひ最後までご覧いだける嬉しいです!
藤本シゲユキってどんな人?
まず、軽く自己紹介をさせていただきます。
名前 : 藤本 シゲユキ
生年月日 : 1975年11月25日
血液型 : O型
星座 : 射手座
身長 : 175cm
出身地 : 京都
趣味:筋トレ ゲーム ドラマ鑑賞
特技:ギター
【藤本シゲユキ著書一覧紹介】
✅「本命になる技術」
WAVE出版 (2017/4/22)
✅「友達をつくるように彼氏ができる本」
大和出版 (2018/5/16)
✅「幸福のための人間のレベル論」
さくら舎 (2018/9/4)
✅「本当の彼氏のつくりかた」
廣済堂出版 (2018/11/1)
✅「しびれちゃうくらい『心底幸せ! 』な恋をする方法」
大和出版 (2019/5/15)
✅「本当の自分を取り戻して、一生ブレない幸せを手に入れる方法おしえてやんよ。」
廣済堂出版 (2020/1/30)
【藤本シゲユキ・WORK】
✅You Tubeチャンネル
✅X(旧Twitter)
✅Instagram
✅公式ブログ
✅オンラインサロン・あなたの隠れ家がびっくりするほど快適だった件
✅講談社「with class」
✅All About「31歳からの恋愛相談室」
✅マイナビウーマン・コラム
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![](https://assets.st-note.com/img/1724922584110-eGj3XBZxJA.jpg?width=1200)
✅ギター弾いてみた動画(DragonForce Through the Fire and Flames)
僕がこの仕事を始めたのは、2014年8月11日。
当時は“悲恋改善アドバイザー”という肩書で仕事をやり始め、主に恋愛相談を中心にカウンセリングを行っておりました。
日々カウンセリングをしている中で、ご相談内容が恋愛に限らず多岐に渡るようになってきたため、2018年10月から肩書を「リアライフカウンセラー」へと変更し、現在に至ります。
クライアントさんの9.5割は女性で、今でこそ人の気持ちに寄り添う仕事を生業にしていますが、元々僕はホストをしていて、自分でホストクラブを経営したこともありました。
ホストに関して、あまり良いイメージを持ってない方も多いと思いますが、それは当然だと思います。
「でも悪い仕事じゃないんやで!」なんて言うつもりはサラサラないし、何だったら、「聞いたらドン引きするようなことが沢山ある闇だらけの業界やで」と言いたいです。
なぜホストをやろうと思ったのかと言うと、別に隠してないので正直に言いますが、僕は中卒で、車もバイクも原付きの免許も、何の資格もありません。
そんな僕が生きていく方法は水商売しかないと思ったため、30歳になる目前に人生初のホストになる決意をしました。
29歳でホストを始めて
30歳でホストクラブオーナーに。
初めて働かせていただいたお店で、2ヶ月後にNo.1を獲得。
そして半年後に独立し、ホストクラブをオープンさせました。
この部分だけ見たら、ホストの申し子みたいな感じですが、僕にとってホストとは「向いているけど合わない仕事」でした。
「向いてる・向いてない」というのは、“適正の有無”です。
たとえば、「君は肩が強いから野球に向いてるかもね」「絵が上手だからイラストレーターとかいいんじゃない?」というのが、適正がある状態になります。
そして、「合う・合わない」は“感情の問題”です。
「なんか違う」「やりたくないなあ」「憂鬱だなあ」という違和感や嫌悪感が拭えないのが、合わない状態になります。
つまり僕にとって、ホストはめちゃめちゃ向いているけど好き好んではやりたくない仕事で、水商売を引退してから、夜の世界に戻りたいと思ったことは一度もありません。
「水商売を引退して昼職に就いた人は夜の世界が忘れられなくて、絶対に戻りたがる」とよく言われていましたが、ありゃ嘘だなと思いました。
とくにホストクラブを経営してからはもっと合わなくて、「店舗経営をする」「複数の従業員を教育する」ということが壊滅的に下手だということが分かりました。
冗談抜きで、本当に店舗経営が下手だったので、「今月店の家賃払えるかな」「従業員の給料払えるかな」と毎日お金の心配ばかりしていたことを記憶しています。
しかもその中で、従業員のホストが他店のホストとトラブルを起こしたり、ややこしい反社の対応しなければいけなかったり、売掛金を払わず飛んだ女性客の後始末をしなければいけなかったりで、正直つらかった思い出の方が多いです。
経営していたホストクラブは5年続きましたが、経営不振を理由に閉業。
もうその頃は、満身創痍で自信を失いまくっていたため、「これからは慎ましく生きていこう」と決意したことを覚えています。
その後すぐどん底状態を経験するのですが、この辺りの話は下記動画でお話しているので、詳しいことはそちらの方をご覧いただけると幸いです。
35歳にして生まれて初めての就活。
「もっと割が良くて安定した仕事に就かないとヤバい」と思い、生まれて初めての就活をするのですが、学歴も免許も資格も何もないから、ことごとく不採用になるわけですよ。
その中で運良く採用されたのが、とある通信関係の会社の営業職。
経歴がないない尽くしの僕にとっては、「よく入れたな」と思うほどのホワイトな会社です。
ちなみに、中卒であることを履歴書に正直に書いたら不採用になるので、あるときから「○○高校卒業」と書いて提出していたのは内緒です。
これでようやく生活の基盤が整ったと浮かれていたのもつかの間。
運悪く僕は、直属の上司に目をつけられ、パワハラされることになります。
理不尽な理由で何度も怒られるし、「明らかに嫌われてるな」というのが分かりました。
しかし、5年半の水商売経験で何度もガチ反社に目を付けられ、20代のときに働いていた風俗無料案内所では、元ヤ○ザのめちゃめちゃ怖いオーナーの元で3年間働いていたこともあるので、そのときに比べたら一般人のパワハラとか何も怖くないし余裕です。
理不尽な理由で怒られたときは、「お前いつでもやったんぞ」というオーラを出しながら言い返しまくっていたため、そのうちパワハラされなくなりました。
でも、このパワハラ上司は僕の嫌いなタイプの人間だった上に、周りの人間からも嫌われていたため、彼が従業員へのセクハラ騒動を起こしたことをきっかけに、裏で手を引いて飛ばすことに成功しました。
そのときの一部始終は、下記動画にて話しております。
そして無事、大嫌いだった上司を飛ばすことに成功し、職場には平和が訪れました。
慎ましく生きることに
飽きてきた藤本。
しかし、人間の欲望というものは、非常に業が深い。
慎ましく生きていこうと決意したはずなのに、いろいろ物足りなさすぎるし、つまらなさすぎることに気づいてしまったんです。
チェンソーマンでデンジ君が、最初はパンにジャムをいっぱい付けて食べることが幸せだったのに、そのうち飽きて「毎朝ステーキ食いたい」「彼女10人ぐらいほしい」「たくさんセッ○スしたい」と欲まみれになっていましたから、人間の欲望というものは底知れません。
![](https://assets.st-note.com/img/1724998453600-zS3kLobwtD.jpg?width=1200)
僕にとっての営業職とは、ホストと同様に「めちゃめちゃ向いているけど合わない仕事」でした。
何だったら、ホスト以上に合わない仕事だったと思います。
つまり、僕にとっての営業職は「やりたくない仕事」だったんです。
朝起きた瞬間から「もう帰りたい」と思い、「なんとか休めないかな」と画策し、結局断念して出勤するというような、やりたくない仕事に就いている人あるあるな毎日を送っていました。
水商売をしていたときの夢はまったく見ないのに、営業職をやっていたときの夢はいまだに見るし、朝起きたとき「マジで夢で良かった」と思うことが数え切れないぐらいあるので、本当に嫌だったんだと思います。
勘違いしないでいただきたいのは、僕にとって営業職が合わないだけであって、決して営業職の人を揶揄しているわけではありません。
そのときの仕事が嫌で嫌でしょうがなかったので、僕はまず転職を考えて、いくつか面接を受けに行きました。
結果は言うまでもなく、惨敗。
中卒で免許も資格もないおじさんを雇ってくれる会社は、そのとき勤務していた会社を除いてどこにもありませんでした。
「もう俺はこの会社で一生やりたくない仕事をしながら生きていかないといけないのか」と絶望したことを覚えています。
夢見る中年おじさんの
悪あがきの始まり。
それからうだうだと半ば自暴自棄になりながら、惰性の毎日を送っていたのですが、しばらくして僕はあることを決意します。
「もう一度起業して独立する」と。
どうしてもこのまま人生が終わるのが嫌だったので、「もうそれしか道はない」と思いました。
しかし、ないない尽くしの僕なわけですから、起業すると言っても、限られすぎてネタもなさすぎるわけです。
それでも「家でできる仕事がしたい」というブレない目標があったため、そこを基準に考えることにしました。
最初に考えたのは、「水商売の人や店舗対象の名刺デザインと販売」。
当時は、IllustratorとPhotoshopを軽く使えたので、真っ先にデザイン系の仕事が思い浮かびました。
でも、結構な数のデザインをしてから気づくんですよ。
「あれ?これ別に俺がやらんくてもええやつじゃない?」と。
当時はまだ、キャバ嬢やホスト向けの名刺デザインや販売はレッドオーシャンになっていなかったため、まだ参入する余地はあったのですが、近い将来、ほぼ確実に競合他社が増えることは目に見えていました。
それに、多少デザイン系のソフトを使えるとは言っても、素人に毛が生えたレベルのもの。
数ヶ月取り組んでみたものの、あえなく断念しました。
そして次に手をつけたのが、せどり。
その頃はメルカリがなく、ヤフオク!が主流だったため、オークション販売でなんとか生計を立てられないか画策しました。
でも、何個か商品を売ってから気づくんですよ。
「人の作った物を売っても何も楽しくない」と。
このとき、「自ら作った商品じゃないとやりがいがない」という自分の性質にも気づきました。
その他、2つほど起業ネタを考えては挫折していたのですが、そのときにはもう、1年以上のときが経過していました。
諦めかけた先にようやく得たもの。
「もう無理かもしれない」と半ば諦めかけていたのですが、あるとき突然ひらめいたのです。
「これだ!」と。
それが、今の仕事につながる母体だったんですね。
考えついたとき、手が震えるほど興奮していたので、よほど嬉しかったのだと思います。
1年以上、悶々とした時間を過ごしていたので、当然と言えば当然かもしれません。
それから、考えついた母体をブラッシュアップして形にし、起業してから1年4ヶ月後に独立。
そして、現在に至ります。
今の仕事は自信を持ってこう言えます。
「天職であり、天命である」と。
最初は「家でできる仕事がしたい」という安直な理由から始まりましたが、きっかけはそんなものなのかもしれませんね。
世界を股にかけるアーティストも、「あなたが楽器を始めたきっかけは?」と聞かれて「女の子にモテたかったから」と言うことがありますから、最初から「世のため人のため」という崇高な目標を掲げてる人なんて、実はいないのかもしれないと思いました。
そんなわけで。
日本中の女性がハッピーになれるような発信をするべく、これから毎週noteを更新していきますので、何卒よろしくお願いいたします!
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