なぜ自分から不幸になりたがるのか
ねねっちが以前妹さんの話を書いていた。
このときの話を振り返って「なんで自分から不幸になりたがるんだろう」とねねっちは言っていたが、私は妹さんの気持ちがわかるなあと思っていた。
確かに考えてみれば、自分がいかに不遇かをアピールしたところで自分の立場を下げるだけだ。決して本当に不幸になりたいわけではあるまい。にもかかわらず、不幸であることを人に訴えたくなるのはなぜか。
自分だったらどんなときに不幸自慢したくなるかな〜と考えると、ある状況が思い浮かんだ。
それは、相手が自身の恵まれた状況に無自覚なときである。
たとえば私は地方出身なので、立川市出身の人が「東京ですけど田舎なんで全然都会の暮らししてないですよ」とか言うのを聞いたら、「おいおいおい、言うても電車ですぐ都心いけるやろがい!夜行バスの予約とかいらんやろがい!」なんて思ってしまう(口には出さないよ)。
その人にはその人の比較対象があり、その中で発言しているのだから、田舎っぷりを張り合っても仕方ないことはわかっている。そもそもそんなに深堀りする話題でもないし。それでも、「言ったな!オレの前でそのセリフを言ったな!」とスイッチが入るのだ。
己の不幸を語るのは、本当に不幸だからでも、不幸になりたいからでもない。
より不遇な境遇の自分の前で、その話するあなたってデリカシーなくない?と相手に訴えているのだ。
「え、だとしてもそれやって何になるの?」と思ったそこのあなた!そういうとこです!正論は聞きたくないのです!
繊細チンピラという言葉がある。
「自分に欠けている何かを持っていることに無自覚な他人の発言を勝手に自慢と受け取って激昂する人」
改めて意味を調べると、まさにこれだ。
ここでは割とevilな描かれ方をしているが、つい繊細チンピラになってしまう話題とか相手とかって誰にでもある。あるはず。あるかもしれない。あるよね?
いずれにせよ、不幸自慢は不幸になりたいからではない。相手の無自覚な言動によって自分の不幸を目の当たりにさせられたことへの防御反応なのだ。
繊細チンピラ状態の人を目の前にしたら、冷たくあしらってもいいけど、ちょっと優しくしてほしい。
「なんでこっちが配慮しないといけないの?」と思ったそこのあなた!そういうとこです!
(どみの)