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仕事ができる人は「なんで」と言わない

ある日、その日参加していた会議を振り返って、上司がこんなことを話していた。

「あのチームでやっている〇〇という業務が負担になっているのは理解する。それならそれで、どう改善すればいいかという議論をすればいいのに、『しんどいのをわかってもらえていない』という感情の話しか出てこない」

私はその会議に参加はしていなかったが、チームの特定の一人がキャパオーバーになりかけていて、しかしその人は何も言わず、他のチームメンバーが〇〇さんしんどそうですよ、とかばう展開だったようだ。それについても上司は「他の人が代わりに言ってあげるのではなくて、誰もが意見をいいやすい場を作らないとだめだ」と話していた。

できない人は「なんで」という言葉をよく使う。「なんで」はただの疑問詞ではない。往々にして人を責めるニュアンスが含まれる。「なんで言ったとおりにしないの」といって他人を責めることもできるし(こういう言い方をする人は原因を知りたいとは思っていない)、「なんであんな簡単なことができなかったんだろう」といって自分を責めることもできる(この場合も原因を究明する方に気持ちは向かっていない)。

できる人は「どうしたら」という言葉を使う。「どうしたらもっと上手くやれただろう?」「どうしたら次は目標達成できるだろう?」と。どうしたら?という問いの答えは、未来に向けた建設的なアクションになる。だから「どうしたら」という言葉を使える人は、成長しやすい。

もちろん、過去の失敗を受けて「どうしたら上手くいくか?」を考えるためには「なんで上手くいかなかったか」を明らかにする必要がある。その意味で、「なんで」そのものがダメなのではなく、「なんで」で思考を止めてしまうことが問題なのである。

しかしながら、このような話をしても、「なんで」の人を「どうしたら」にするのは難しい。

思考の癖を変えるのが難しいとはいえ、「なんでわかってくれないんだろう」と考え続けてしんどくないのだろうか?と見ていて不思議だったのだが、最近その謎が解けた。

今読んでいる本がヒントになった。

この本では、「あなたのためを思って」のように、相手のことを思っているフリをしながら相手をコントロールしようとしたり、自分を正当化しようとしたりする「ずるい言葉」を取り上げ、なぜそれがずるいのか、言われたらどう対応すべきかを書いている。

下記は、「どちらの側にも問題があるんじゃないの?」という言葉のずるさを解説する一節である。

私たちは、なにかを正しいと判断するならその正しいことをすべきだ、と考えるのです。でも私たちにとって、なにかを正しいと判断することは、それをしなければならないことを認めることにもなるので、けっこう面倒です。(p.28)
でも、正しいことをせずに「正しい人」になれる方法がひとつあります。それは「あなたは正しくない」と指摘することです。そうすれば、あなたとちがって私は正しい、ということにできます。自分では特になにもせずに。(p.28)

このフレーズを読んで、納得した。「なんで」と誰かを責め続ける人にとって、「なんで」と言い続ける方がきっと合理的なのだ。だって「どうしたら」と考えると、努力と行動が必要になってめんどくさいのだ。

つまり、「なんで」と言い続ける人は、「どうしたら」と考えたほうが建設的で結果につながることを知らないから「なんで」を使うわけではなく、「どうしたら」と考えるほうがいいとわかっているからこそ(そしてそれはめんどうだとわかっているからこそ)、「なんで」を使い続けるのだ。

だとしたら、「なんで」の人に必要なのは、「どうしたら」を使う方がいいんだよという啓蒙ではなく、「どうしたら」のハードルってそんな高くないんだよという励ましかもしれない。

ということで今回は仕事ができる人とできない人の口癖について考察してみた。

それではまた。

(どみの)

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はもん
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