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家は小さい方がいいという話

プレジデントオンラインの「家は狭いほうが生活の質が高まる」という記事を読んだ。

一級建築士でYouTuberのげげ(金谷尚大)さんが書かれた記事で、題名の通り、家は小さく、狭い方が生活の質という点でメリットが大きいということが説かれている。建築のコストを抑えられるし、逆に、その浮いた分で、断熱や耐震の性能を強化することも可能だ。狭い方がエアコンもすぐ効くし、掃除も楽チンである。住居スペースを抑えることで、大きな庭を構えることも容易になる。

この記事自体は、おもに新築マイホームを検討している人たち向けに書かれたものである。僕自身はマンションの一人暮らしなので、直接の関係はない話だが、それでもいくつか思い当たるというか、自分の実感とも通ずるものがあった。


僕は、大学入学からかれこれ10年ほど一人暮らしをしているが、最近思うのが、まさに、「家は小さければ小さいほど良い」という考え方なのである。特に、「掃除がラクになる」という話は共感する。一人暮らししてみてよかったことはいくつかあるが、その中でも一番意外で、あるいは革命的だったのは「掃除が好きになった」ということである。

一人暮らしで部屋が小さいと、当たり前だが、掃除すべきスペースも小さい。掃除にかかる労力も減る。少ない労力で掃除の達成感を日々小さくも確実に得ることができるので、「じゃあついでに縁も拭いておこうか」と、プラスアルファの掃除が「誘発」されていく。一日5分やっているだけで、短いスパンで部屋の各所が一通り掃除されたことになり、労力的にコスパがいい。気持ちにも余裕ができるので、モノを減らしたり、一つにまとめたり、写真に撮って元の紙の資料を処分したりして、さらに掃除のしやすい(埃がくっつく表面積の小さい)部屋にアップデートしていくことができる。

結局、掃除とは、労働や努力やなんなら「心構え」の問題ではなく、いかに掃除することが苦にならない環境に身を置くか、いかにそういう環境を戦略的に案出できるかの問題なのではないかとすら思えてくる。掃除を好きになる、掃除がしたくなる、そんないわばインフラを整えることが、「掃除以前の掃除」なのだ。

住宅環境のインフラ性に意識を向けること。掃除は、やって「頑張ったね」と褒められるものではなく、掃除することがなんなら楽しくなるような環境づくりをするところから実は始まっていると考えてみること。この気づきは、やはり一人暮らしをしてみないと得られなかっただろうし、もし10代、20代の人が読んでくれているなら、ぜひ、「人生で一度は一人暮らしを」とおすすめしてみたい。お金がなくて狭いとこにしか住めないのは不遇ではなく、掃除を楽しむ「特権」に気づけるチャンスですよ。


ところで、気は早いが、「掃除を好きになる」というメリットに加えて、フレイルな老後への備えという観点からも、家の小ささは重要なんじゃないかと最近は考えている。

ときどき実家に帰省するのだが、そのたび、親や祖父母が弱っていくのを目の当たりにする。足腰や膝がダメになっていくので、ちょっとした坂や階段の上り下りもしんどい。歩くのが大変になると、外に出ることも億劫になり、体を満足に動かす喜びが減り、刺激も減って認知機能が落ち、体力がなくなるので病気への抵抗力も落ちていく。たった歩けないという事実ひとつとっても、そのインプリケーションは複雑で多大なものだ、と素人目ながらうっすら想像する。

若いときに建てた家なので、3、4人を想定した二階建ての「大きな」造りだ。住み慣れた我が家のはずなのに、父は階段を上がるのにも一苦労する。祖父母、父母ともに、最近はもう二階をあまり使っていない。我が家でありながら、「二階」は疎遠で苦痛をもたらす表象として現前している。使われなくなった二階も二階で、また「かわいそう」でもある。

生活の動線的には、老後、夫婦二人とか最終的にはどちらか一人とかになるのだが、これくらいの住人規模からすると、もはや二階も三階も必要ない。広いスペースを管理主宰しきれずに持て余してしまうのだ。こうなると、もう、階段のない平屋とかが分相応な住まいとなってくるのではないか。老後こそ、家は小さく狭いのが「あらまほしき」かたちとなる。


ここでも、「家は小さい方がいい」という結論になりつつある。若い人は狭い賃貸で一人暮らしした方がいいし、老後は老後で、広いスペースを持て余さないよう(マンションという選択肢も含めて)、そこそこの平屋に住み替えるのがいい。しかし問題は、20代と老後の間に、壮年期が挟まっていることだ。結婚をして、子育てをする重要な期間に、さすがに狭小なミニマル空間で満足するわけにはいかない。

つまり、思うのだが、いわゆる「マイホームの夢」みたいなのは、老後にとっておくべきものかもしれない。ふつうは、結婚して子どもが産まれて、ローンを組みつつ、晴々しく新築マイホームを建てるものなのだろうが、その時点では、むしろ郊外の安い中古物件とかにしておき、いずれ子どもが巣立って夫婦二人になったときに、はじめてマイホームを検討するという感じが、客観的にみて、持続可能性の高い落とし所なのではないか。

理想をカタチにした立派な家を建てても、30年ぐらいしたら、家の劣化以上に自分自身が「劣化」する。残酷な事実ではあるが、家ではなく、自分の方が、家に見合わない存在になっていくのだ。さらに、30代で家を建てる感じだと、そもそも都心部というのは不可能で、どうしても地方や郊外になる。子どもが大きくなると、結局、都市部で仕事をすることになる可能性が高く、そうなると、せっかく立派な家を建てても子ども夫婦と二世帯で住むという展開も期待しづらい。結局、広い家に夫婦二人取り残されるのだ。

ならば、若いうちはあまり背伸びをせず、せいぜい二級、三級のほどほどな家に住み、老後、いろいろなことが片付いて、夫婦ともに価値基準の疎通もなされたのち、マイホーム、それも平屋のこぢんまりした低予算のマイホームを建てるというのが、一般的な人生プランとしては、いちばん理想的なんじゃないか、などと思う。DIYスキルがあるとQOLは上がるし、子どものためにも、できれば外でテキトーにボール遊びしても怒られないエリアに住めるとなお良い。浮いたお金でNISAでもして、老後マイホームのための資金を形成していくのも一つだろう。


プレジデントオンラインには、これと関連するかのように、「実は賃貸に住む建築家が多い理由」という記事もある。「日本人の住まい」にプロとして真剣に向き合ってきた専門家自身が、案外、実はマイホームを建てていないという話。傾聴に値するものかもしれません。

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