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手書きは脳を活性化する…のか?

ちょっと前のものになるが、日経で《「手書き」の恩恵、科学的な根拠 「脳全体が活性化」》という記事が投稿されていた。ナショナルジオグラフィックの記事を転載したもので、無料で読める。

いわく、手書きは脳全体を活性化する。なるほど、巷でもよく実感を込めて話される話題であるし、実際、僕自身も、身の回りがかなりデジタライズされてきたとはいえ、本はやはり紙で読むし、メモも半分くらいは無地のノートに書き取っている。手書きの効用を否定するつもりはないのだが、この手の最近多い「なんだかんだアナログっすよね」系の話は、同時に、多少割り引いて受け取るべきであるようにも感じられる。とりわけこの記事のように、「科学的な根拠…」という触れ書きがついてくる場合はなおさらだ。

記事は、世界中の研究にいくつか触れながら、たとえば次のように書く。

統計的に見ると、手書きと記憶の関係をテーマにした研究のほとんど(日本、ノルウェー、米国などで行われたもの)は、コンピューターで入力するより自分の手で書いた方が、その内容をよく記憶できると示唆しています」と米国の首都ワシントンD.C.にあるアメリカン大学の言語学名誉教授ナオミ・スーザン・バロン氏は話す。

「手書き」の恩恵、科学的な根拠 「脳全体が活性化」(日経)

「タイピングより手書きの方が脳を活性化する」との主張であるが、注目したいのは「統計的に…示唆」という物言い。「示唆」という表現はなんだか微妙な表現ではなかろうか。「そうともいえるし、そうともいえないかもしれない」という村上春樹みたいな微温性。解釈によっては、タイピングと手書きの間には有意差が認められないかもしれない…ということを含んだ言い方である。まあ、そもそも「統計的に」と言っている時点で、統計のようなものを持ち出さないと検出できないくらい微細な差異を無理やり問題にしようとしている感じも否めない。


とはいえ、ある別の研究によれば、タイピングと手書きでは脳波のレベルに明確な差が出るらしい。

ファン・デル・ミーア氏は共著者のルード・ファン・デル・ウィール氏と2024年1月に学術誌「Frontiers in Psychology」に発表した研究で、大学生36人を対象に調査を行った。学生たちは表示された単語をデジタルペンで画面上に書くか、キーボードでタイプする課題を与えられ、作業中の脳波を記録した。

「最も驚いたのは、デジタルペンで手書きしているときは脳全体が活性化するのに対し、キーボードでタイピングしているときは活性化する領域がはるかに小さかったことです」とファン・デル・ミーア氏は振り返る。「この結果は、自分の手で文字を書いているときは、その作業を完了させるため、脳の大部分が使われていることを示唆しています

「手書き」の恩恵、科学的な根拠 「脳全体が活性化」(日経)

脳波を計測すると、タイピングと手書きでは有意な差が出た。手書きの方が脳が活性化されることがわかった、と。

しかしこれ、わざわざ実験して確かめるような真実なのだろうか。単純に、デジタルよりアナログの方が現実との「接触面」が大きいから、相応に脳が反応しているだけではないのだろうか。筆圧の反発や摩擦、面の感度や深度、そういった数々の変数の系列が指先を通じて知覚されているわけであるから、おのずとアナログの方が脳は活性化するわけだ。

だが、それ以上に重要なのは次のことだ。すなわち、逆説的であるが、デジタルの方が脳を使わなくていい分、同時に他のことに脳のリソースを割きやすくなるということである。

ミーア氏は「自分の手で文字を書いているときは、その作業を完了させるため、脳の大部分が使われている」と主張しているが、実践的には、むしろそれこそが問題なのではないだろうか。書くことに意識の大半を取られることで、今まさに脳内に浮かんでいるあれこれのアイデアが、十分に形にされることなく泡のように逃れていくからだ。

この研究は、「表示された単語を写し取る」という単純作業で脳の活性度を測っているようであるが、現実には、ただ「写すだけの仕事」というのはそんなに多くない。少なくとも、そういうのは知的生産的な営みとはみなされていない。私たちが脳をフルパワーで使って本気でクリエイティブな仕事をしようとするとき、書くこと自体のリソース消費をなるだけ抑えて、その分そのとき頭に浮かんでいるアイデアを可能な限り網羅的に言語化し、さらに深いところまで思考を到達させることの方が、より重要なのではなかろうか。そしてそのことを可能にするのが、パソコンやスマホといったデジタルデバイスであることは言うまでもない。

  • 散歩の最中に浮かんだアイデアをスマホのメモに片手でサクッと入力する

  • 料理をしていて手が使えないときは音声入力でアイデアを残しておく etc.

現代における記号と身体のインターフェースの進化を考えると、脳の活性化や知的生産性の議論を、「言葉を写すときどっちが脳波が強く出るか」みたいな単純な実験を根拠にして進めようとするのはあまりに惜しい。


もっとも、脳の活性化というのは曖昧な言い方で、この記事で紹介されている研究者たちは、より具体的に「記憶」や「学習」など、インプットの側面から手書きの効用を強調している。たしかに、とくに脳がまだ十分に発達しきっていない子どもたちの学習という観点でいえば、「触覚」というファクターにいま一度スポットライトを当てて、これを学習に「動員」することの意義は否定する必要もない。

しかし、そんな子どもたちほど、スマホに代表されるデジタルデバイスをふんだんに活用しているように見えるのも事実である。デジタルの方が脳を使わないということはデジタルの方が同じことをやるなら早く済むということであり、これは、時間を等しくしたとき、同じことを何回も繰り返すその回数や頻度が高まるということでもある。「手で覚える」のも大事だが、節約した時間でもう一度同じことをやれば、反復練習になって記憶にも残りやすいだろう。また、スマホがあればいつでもどこでも専用アプリやYouTube、Podcastで英語の勉強もできるわけで、しかもそこでは「耳で覚える」ということが可能になる。さらに、ChatGPTなど生成AIに添削してもらったり独自に問題を出してもらったりするようなことも、すでに今の高校生はやっているに違いない。

「アナログかデジタルか」といった話をするときは、このように、自分たちを取り巻く情報環境やインターフェースまで総合的に加味して評価しないと、本質を取り逃がすことになるように思う。

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