花美哉 ①-②
FICTION
花美哉①
薫風の皐月、青い薔薇一輪
2032年5月30日
第99回東京優駿
ダノンデサイルが先頭でターフを駆け抜けてから
8年の時が経っていた
そう
1932年4月24日
函館孫作を背にワカタカが
2分45秒でその目黒競馬場のターフを先頭で駆け抜けて100年が経っていた
1945年、1946年
太平洋戦争の影響で中止となった日本ダービー
令和14年を迎えたその日は
99回目のダービーの時だった
ハミル牧場の生産場、三歳牡馬ヒメヒコは
芝デビュー7着、2戦目も同様に7着
3戦目でダートに転じて未勝利勝ち
ダートに光明を見出し、
ヒヤシンスS3着、伏竜S優勝
ユニコーンS13着
6戦2勝
一角獣の後、放牧に入り
"静岡"ハミル牧場でその脚に暫しの自由を走らせていた
牧場主ユタタと恋人ヨウコは
15時40分テレビの前にいた
テーブルには青い薔薇が一輪、置かれていた
第99回東京優駿
皐月賞で3馬身の差を後続につけた
そばかす顔のフリクリが圧倒的1番人気に支持されていた
1.6
2分21秒のドラマは
ごくごく順当に5馬身の差を保ちながら
雀卵斑(ソバカス)が先頭でゴールを駆け抜けた
「よし」
ユタタは立ち上がって事務所の外へ出た
ヨウコも着いていく、青い薔薇を手に
一頭の白い馬体が柔らかい表情で草を食べている
「ハミヤ」
ユタタはたてがみを撫でた
「ハミヤ」
ヨウコは右手で左の頬を撫でた
馬は優しい顔つきで、手のひらに身を委ねていた
ヨウコは青い薔薇をユタタに手渡し、
ユタタは馬のタテガミにブルーローズを咲かせた
ヒヒーン
一歳牡馬、花美哉は嘶いた
青空の下
六つの目は同じ方向を向いていた
2032年東京優駿の日
富士は赤かった
#ユタタ
#ヨウコ
#ヒメヒコ
#フリクリ
#ハミヤ
#花美哉
※青薔薇 奇跡 不可能 夢が叶う
花美哉②
2032年6月上旬
さて
3歳牝馬路線である
左後脚が長く
スカイブルーの馬
キウタ
有馬記念当日のメイクデビュー
中山 芝 1,800
スカイブルーロケットを発動させ
優勝
その後、抽選を首尾よく通過して
チューリップ賞に出走する
3着
桜の切符を手にした
2戦目で桜切符を掴んだ
将来性豊かな3歳牝馬は
晴れてG1の大舞台に、
3本とスカイブルーは着地した
10番人気だった
7着
3戦目で桜花賞7着
大健闘だった
フローラS GⅡ、スイートピーSを検討したが
賞金面で除外の可能性もあり、
照準をカーネーションCに定めた
2着
優勝はチャリという牝馬だった
・
桜花賞を勝ったのは
ほっぺがぷくっとした
ポッコ
オークスを優勝したのは
紫の馬パプルだった
共に2着馬はお互いであり
2032年 3歳牝馬路線はこの2強が、
秋華賞でどう決着をつけるかということが
優駿牝馬の後の囁きであった
・
さて、キウタだが
馬主はソソス
美浦のミホー厩舎
我がハミル牧場の3歳牡馬ヒメヒコと同じである
牧場がチャチャ牧場だった
零細牧場、あゝ、どちらもである
とりわけチャチャ牧場に至っては、
キウタが走らないことには、経営が危ぶまれるほどだった
偶然、3歳牡牝が同一の馬主、厩舎ということで
ハミル牧場とチャチャ牧場は友好関係を築いていた
チャチャ牧場は北海道は日高地方に馬馬を構えていたが、
ハミル牧場は静岡を馬馬としていた
静岡のその場所は、
美浦と栗東の、丁度、ど真ん中に、あった
太平洋がもたらす気候は、海風の影響もあり
夏は割と涼しく冬は暖かいのだった
美浦、栗東、どちらからも3〜4時間ほど
交通、交通、交通である
・・・
3歳牝馬キウタ
1勝馬クラスの次走が決まった
馬主 ソソス
調教師 ミホー
牧場主 チャチャ
三者会談
その素質を見込んだ上での挑戦であった
相手が強いほど成長曲線は角度を増す
歴戦の古馬牝馬に胸を借りる
否、負かしに行く
夏の札幌 クイーンS GⅢ
除外の場合はそのまま札幌の
条件戦で3人の意思は呼応した
スカイブルーの左後ろ脚
キウタ
・・・
花美哉は静岡で嘶いた
ヒヒーン
両の眼は君の大好きな景色を捉えていた
今日の富士は
ホワイトだった
#ハミヤ
#パプル
#ポッコ
#キウタ
#ミホー
#ソソス
#チャチャ
#花美哉