「ととのう」ことに囚われることなかれ


サウナが好きになって7年。わたしなり「わかってきたこと」がある。


それは「ととのう」に囚われるとサウナを楽しめなくなること!


ちょっと前にも書いたけど、わたしはここ最近全然ととのってない。

外気浴中にぴっかーん!ぱっかーん!すっきりーー!って感覚を、もうかなりの期間味わってない。


でも変わらずサウナがすき!


サウナに向かう途中の電車の中はワクワクだし、

新しい施設にいったら「ここはこんな感じなんだー」「動線はこうで、水風呂はこれかー」って気持ち悪いくらいキョロキョロしちゃうし、

外気浴中にととのってる人みると「うんうん、わかるよわかるー最高だよね!」って心の中で会話しちゃう。


要は、サウナが好きだし、サウナ好きな人がすきだし、サウナ施設も好きだし、多分まるっと温浴業界が好きなんだと思う。(学生の頃は結構有名な施設でアルバイトしてた経験もある)


最近、至るところで「ととのう」って言葉を目にするようになった。

「ここの施設は絶対ととのう」

「ここの水風呂はととのわない」

「ととのった〜サウナ最高」

「ととのう暮らし」

「ととのう○○」

「ととのう」

「ととのう」


「ととのう」って言葉、とっても好きだけどなんだか最近ひとり歩きがすぎる気がする…。気のせい?

なんでも「ととのう」ってつければいいって思ってない?


そもそも、ととのわないといけないのだろうか?

ととのわないのは「悪」なんだろうか?



そんな風に考え出すと、急にサウナが楽しくなくなってしまう。


純粋にサウナを楽しめなくなる、と言う方が正しいかもしれない。



サウナ熱い!気持ちいい!

水風呂!つめてーーー!

外気浴、さいっこー!!!!!


この三拍子で十分なはずなんだけどなぁ…。


もちろん「ととのう」ことは最高に気持ちいいし、みんなサウナでととのえば争いなんてなくなるっていうのは真実!!!


でも「ととのう」ことだけがサウナの魅力じゃないし、楽しみ方じゃない気がする。


おっなんだかゴールに近づいてる気がするな!



結局のところ、何事も固執するのは良くないってこと。


ととのわなくても、ととのえなくなっても、サウナは最高!


サウナにまつわる全てのものを愛したくなるし、サウナ施設で働く方々には頭が上がらないし、サウナの情報発信している人も、まるっと「感謝」を伝えたい!ありがとうーーー!(誰)



だからちょっと「ととのえない」ってだけで、あそこのサウナはあーだこーだ、水風呂はあーだこーだって言わないでね。お願いだよ。



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