「FOREVER DAZE」を女子大生が考える【アルバム・LIVE】
RADWIMPSは裏切らない。
「FOREVER IN THE DAZE」は、そんなことを思わせるライブだった。
RADWIMPSがコロナ禍で何を思い、何を伝えたかったのか、
その答えを見つけられる体験だった。
今回は、アルバムとLIVEに関する見解を書き残しておこうと思う。
※LIVEのネタバレを一部含む。
※個人の解釈なので、苦手な方は注意。
RADWIMPSのこれまで
まず、過去について話していきたい。
RADWIMPSのアルバムには、バンドが置かれている環境や当時の心情(特に洋次郎の)が色濃く反映されている。アルバムごとに180度異なる空気感は彼ら最大の魅力といってもよい。
例えば「アルトコロニーの定理」や「絶体絶命」からは、世界に対する暗澹とした感情やバンド内の不穏な空気を感じ取れる。隠のアルバムだ。
一方の「人間開花」では、映画「君の名は。」の影響を色濃く反映した開放的な明るさを感じる。陽のアルバムである。
これまでのRADWIMPSは、隠と陽に振り切った極端なアルバムが多かった。
「FOREVER DAZE」は木漏れ日である
コロナ禍に産み落とされたアルバム「FOREVER DAZE」
初めて聴いたとき、私は「第三勢力の台頭」という感想を抱いた。
このアルバムは陰でも陽でも、プラスでもマイナスでも、光でも影でもない。
どちらにも形容し難い、斬新さがあった。
陽のアルバムを「日差し」、隠のアルバム「日陰」に例えるなら、「FOREVER DAZE」は「木漏れ日」といったところだろうか。
木々から差し込むかすかな光。暗がりの中で輝くそれはただ眩しいだけの太陽よりも魅力的な輝きを放つ。
一貫した二面性の説得力
「SHIWAKUCHA(feat.Awich)」「TWIWLIGHT」からは、いまを励ます明るさや未来への希望を感じる。
一方「匿名希望」では、自分と相容れない世間に対する諦めにも似た感情が歌われている。
加えてヒップホップに多大な影響を受けたサウンド。桃源郷ではボカロ的な要素も感じられた。
「FOREVER DAZE」は多様性のアルバムだ。そこにかつての思想的な強制力は存在しない。
数年前まで洋次郎理論でガチガチに武装されていた曲たちは、いまや万人を認め合う緩やかな自由を纏い始めている。RADWIMPSの音楽は時代とともに変化する。
いまこそ伝える「ロックバンドで良かった」
LIVE中盤で演奏された「トアルハルノヒ」
ライブで私が最も心打たれた曲だ。
ギターを担当する桑ちゃんの活動休止によって、4人から2人にまで減ってしまったメンバー。アルバムに収録された挑戦的なサウンドの数々。
RADWIMPSはもはやバンドという型にハマる存在ではなくなってきていた。少なくとも、世間一般がイメージするバンドとは程遠いだろう。
しかし、彼らはそんな状況であえて「ロックバンドなんていうものをやっていて良かった」と歌ってくれた。
泣いた。
中学生だった頃から神のように信じ続けていたバンドは、今もバンドそのものだった。RADWIMPSとともに歩んだ私の歴史は、いまも変わらず進行している。そんな確信を持たせてくれたようで、ただただ嬉しかった。
RADWIMPSのいま
確かなことがある。
RADWIMPSは嘘をつかない。
ライブ中、洋次郎は私たちに向かってある言葉をいってくれた。
「君たちが苦しみながら選んだ未来を、俺は必ず応援するから」
彼らはいつだって世界や私たちと正面から向き合う。今に対する不満と愛情、それらを全部ひっくるめて音楽へと昇華していく。
世界から逃げないその姿勢が私に確固たる安心を与えてくれるのだろう。
相反する二面性を見事に表現した今作。RADWIMPSがこれからどのような未来を紡いでいくのか、楽しみでならない。
これからもずっと応援し続けていく。RADWIMPSに愛を込めて。
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