やる気スイッチはあえて押さない
あえて押しません。MAIです^^
もはやボタン自体ないかもしれません。
自分のやる気スイッチを意識してしまうと、やる気がなくなったときに、そろそろスイッチを押す頃か・・・という気持ちがむくむく。
元気がでそうな本を読めばいいのか?やる気がでそうな音楽を聴けばいいのか?やる気のありそうなあの人に逢いにいってみるべきか、そうだ!SNSやネットで何か探すぞー!みたいなことをしてしまい、(多分)読みもしない自己啓発本を買う。
気づけば永遠にやる気スイッチ探しをしている。
もう、このプロセスが、とてもとても、とてもとても、めんどくさいんです。逆に負荷がかかるんです。形をかえたアドレナリン注射をうたれている気持ちになるといいましょうか。
やる気中毒状態なわけです。オラにやる気をーーー!!!と自分の中の悟空がささやくわけです。
この時のテンションを一度自分に刷り込んでしまうと、そうでない時(やる気がないと思われる時)に、
またやる気がでてこなくなっちゃった・・・どうしてこんなにやる気がでなくなっちゃうんだろう・・・あの時のモチベーションって続かないよ、、、もうやだよ、、、やめたいよ、、、自分あかんやん。って責めながらゴロゴロするんです。
違うんです。
自分があかんやん、というよりは、自分がアドレナリン注射を打ってるからめんどくさいことになっているんです(笑)
でもアドレナリン注射を打ちたくなる空気感ってあるよね、と思ってます。
やる気がある人すばらしい!とか、
努力してる人すごい!とか、
意識が高くて尊敬ですね!
という空気感って少なからずありそうですよね。というか勝手に私がそういう風に受け止めてるだけですが、たまに察知してしまうわけです。
そこから、他者との比較が発生し、焦りみたいなものもでてきた結果、
努力せねばならない!
やる気スイッチを押さなければならないのだ!
やる気スイッチを押し続けなければならないのだーーー!
と脳内変換されて、やる気スイッチを探すはめになる。
これでやる気が一瞬あがったときはいつもの自分からの解放感もあるんですが、しかしながら、やる気がない自分と出逢ったときに、なんか不自由な気持ちにさいなまれて
ちーーん。
となる。
この流れが、めんどくさいわけです。私だけですかね。
これが嫌だったので・・・
私は、自分のやる気に頼らない、と決めました。この”やる気”に教えてやる必要があります。もうオラにおめぇのことは必要ねぇのだと。
”やる気”を意識すると、そのやる気がないときに、やる気がない理由を探しはじめて、その理由で脳内が埋め尽くされて、やる気ない脳みそができあがって、動きが止まります。
なので、そもそもやる気は脳内に必要ないんです。私の人生に”やる気”は必要ないと決めるのです。
そもそもやる気を絞り出さないとできないようなことって、どんな小さいことだったとしても自分にとっては心理的ハードルが高いことなのかもしれません。
ハードルが高いことはやめて、あるいはハードルを超低くして(超細切れにして)その時に淡々と進められることしかしません。
なので、自分の周りには淡々と進められる選択肢をいくつかおいてます。
本は飽きないようにジャンルが違うものを2~3冊平行で読みます。パソコンは常時たちあげっぱなしで、書きたくなったらnote書いてます。体を動かしたくなったら散歩へ行きます。音源学習をBGMがわりに聴いてます(自分の体を動かさなくていいのでとても楽)。定期的にセミナーや人と逢う予定を入れておいてスケジュールに体を動かしてもらうこともします。ふいにシャワーを浴びます。ストレッチします。楽器弾きます。
どれも違うなってなったらもう昼寝します。
淡々と無表情でしています。これを書いている今も無表情です。(悟空のところではちょっと笑ってしまったんですけどね)
無表情でできることだけをします。
やる気スイッチは手放し、もう押さないと決めたのでした。
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