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自分自身に共感する
共感してもらえた時、共感した時、めっちゃ嬉しいです。心の中でハイタッチ。心の中で首ふりすぎて痛い。心の中で両手ガッツポーズ。
いつもこんな感情感じていたいです。
言葉にならず、はっきりしない、でも心のどこかにあったふんわりした気持ちを、こういうことでしょ?ってわかってくれた人が現れたときは、胸が撃ち抜かれます。
感情を言語化されると胸がいっぱいになります。そして新たな感情が生まれて次の瞬間、3秒前の自分が見てた世界とは、見える世界が変わった気さえします。
”共感”は世界の捉え方を変える力があるなって思ってます。
常々、この”共感する感覚”って何なんだろうな、って思います。
ハッキリしていることは、その人になりかわってその人の感情を代わりに感じることはできません。
でも、そういう感情があるんだね、こんな感情でそういう行動をしているんだね、ということを言葉や目線や呼吸や態度でもって、相手の感情と響き合ったり、関わったりすること、が共感という感覚なのかなぁと思っています。
ですので、共感が発生しているその時間、お互いの間に特別な空間があるような気がします。目に見えない繋がりでつながるようです。嬉しいのです。
その特別な空間を自分自身とつくる=自分に共感する、と自分が癒える、と思ってます。(あるいは逆のことをすると心が疲れます)
例えば、ふいに劣等感を感じてしまったときのことを思い出します。
学生時代、友だちに遊びに誘われました。
「BBQいかない?」
参加者は友だちカップルと、さらにその友だちカップルと、さらにさらにその友だちカップル、だったでしょうか。
えー、あっしは彼氏おりませんでしたので(笑)
ふいに「BBQあんまり好きじゃないから、今回は遠慮しておこうかなぁ」って返事しました。
BBQあんまり好きじゃないから。
とっさにBBQを打ち消す言動をとっています。
何の劣等感を隠したかったのかわかりますよね(笑)あの頃の私は「彼氏おらんねんから誘わんとってくれー、やめてくれー」って思ってたと思います。
自分の劣等感から出てきた言葉でしたが、気持ちのベクトルは相手の行為に向かってます。こうなると、ちょっともんもんとしちゃいます。
これを、ベクトルをまず自分へ。そして自分への共感に変えることができていたなら・・・
BBQを打ち消したのって、本当は自分を(危険?だと思われる場所から)避難させてあげて、安心させたかったんだよね。
と認めてみます。そうすると、
あぁ、私は自分を安心させたかったんだね、だからそういう言動をとったんだね、誰も悪くなさそうだね。
そういう風に認めると、心が軽くなります。ここに相手の言動は関係ないのです。
共感は人に対してだけするものではなく、自分自身に対してもしてあげることができるのです^^
自分にも共感できるのか!と思うと、ちょっとした自信や勇気が湧いてくるような気さえするのでした。
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