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嫌な感情は数値化すると客観視できる

と昔、何かの本かコラムに書いてありました、MAIです^^

昔は嫌な感情がわいてくるたびに、(隠れて)悲しむ、怒る、泣く、という一人劇場を繰り返しておりました。

普段、職場やプライベートで私を見ている方からは、おそらく想像できていなかったであろうぐらい家で泣きわめいていることもありました。

誰しも大なり小なり何かしら抱えていると思うので、こういうことは私一人だけではないだろうと思っていますが・・・。みんなあるよね落ち込むこと。ものすごい大人でもあるよね、萎えちゃうこと。

もう嫌だ、こんな感情感じたくないよぉぉぉぉぉ!なんで私なんだよぉぉぉぉぉぉという無限ループにはまったりするものです。

見事に自分の感情に振り回されていたなと思います。

こういう嫌な感情が湧いてきたときに、嫌な感情を”数値化”すると客観視できる、という一文を読んで、自分なりに試してみたことがあります。

今までの人生の中で、一番どん底だった時、最も惨めで、最も孤独だった時、それを100とするならば、今の状態は何点くらいだろう?と考えます。

あ、30点くらいか、とか、50点くらいか、と判定してみます。比較対象があると相対的に大したことではないかもしれないな、と気持ちを落ち着きの方向へもっていけました。

もっていけました(さらっ)

とか書いてますけど、そんな冷静になれないぐらいに気持ちが殴られることがあるのが人生です。無防備な思いもよらないところからの右ストレートが飛んできたりします。

枕びしょびしょですよね。

そのたびにネガティブな気持ち消えないかな~と思ったりするのですが、でも生きていく上でネガティブな感情ってあってよかった、とも思ってます。

ネガティブ(不快)な感情がないと、「感動」って起きないからです。感情が動く時、です。

もし生まれた時から、ポジティブ(快)な感情しか存在しなかったならば、気持ちがゆれることもなく、ポジティブという概念すらなかったと思います。ずっと、まったいらな気持ちです。

ネガティブがどんな感情かを知っているから、ポジティブな感情がポジティブでいれるんです。

寂しい、という気持ちを知っているから、その反対側にある、寂しくない、人がいて嬉しいと思えるのだろうなと思います。

悲しい、という気持ちを知っているから、楽しい・嬉しいが際立つのだと思います。

気持ちが上下に揺れるから、感動って起きるのだと思います。

ネガティブな感情は感動するためのトリガーだと思うと、感情があってよかったな、それを経験できてよかったな、と思えるのでした。(いつも事後的にですけどね)


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