ウルトラ自己中でいこう
そう、生活困窮者を「自業自得」と切り捨ていたら全体の消費が冷え込んでいくというわけです。「俺はそんなヘマはしない」「上手くやってる」とイキがったところで、結局消費の分母は減り、パイの奪い合いは進んでいくのです。金持ちに買ってもらえばいい?いやぁ、あの人たちは溜め込んでなかなか使わないんですよ。だいたい一人で同じ曲を何百人分、何千人分とか、代わりにストリーミング再生するなんてのは無理なわけですから。
「俺は頑張って上手くやってるのに上手くやれなかった人に何かしてやるのはズルい」と思う気持ちも解らなくはないですよ。私もコノ国で育ちましたからな。しかしね、自分で責任をとらせろと放置してもいいことは何もないんですよ。下の方にばかり矛先を向けても、ケツの穴の小さい人間の溜飲を下げるくらいしか効力がありません。だからこの自業自得を政治が肩代わりするわけです。敢えて不公平を実行するんです。これ、人類が何度も失敗を繰り返して学んできたやり方であってですね。馬鹿だろうがヘボだろうが穀潰しだろうが「一律」すくい上げるというのは、回り回って自分に返ってくる実に賢いやり方なんですよ。それを未だに理解できずに「俺は上手くやってる」「あいつらにしてやる必要はない」ってちょっとマジで引きますね。足掛け2世紀くらい前の感覚でイキがってるダッセェおっさんそのものですよ。
ト書き:校長、後ろ手を組み、肯定でサッカーをする子供達を見ながら。ややあって。
吉沢先生…、私はこう思うんです。日本人は全然「自己中度」が足りないと。自己中であれば自分が生き残るためによーく考える。そうすることで気づくんです。酸いも甘いも富をどんどん再分配してもらって社会の土台を強靱にする。顧客を増やして経済を回すことで潤していく。治安もよくなりますね。情けは人のためならずと言うじゃありませんか。結局自分ため、自分の幸せに繋がるってことをね。
吉沢先生「自己中ですか…そうだったのですね…。」
「風営業者にも外国人にも一律」とか「貧困層やフリーランスを見放すな」というのも同じです。感染拡大を抑え込む、社会の母体を維持する目的の、ごく当たり前の防御策であって、ズルいとか自業自得だとかの次元の話じゃないんです。そもそも前提がおかしいのですよ。みんなが大好きな国体の護持じゃありませんか。失敬、国家の維持でした。生活がヤバい人に向かって「自粛せんかいっ!」「周りの迷惑を考えろや!」「○○○かんだろかワレェ!」などと言ったところでどうにかなりますかね。生活を優先する人がいるのがそんなに異常なことでしょうか。そんな効果の薄い花畑みたいな非現実的な寝言ばかりホタえず、自分が一番助かる方法は何なのかというものをよーく考えたらいいんです。
吉沢先生「よくわかりました…。ですが私は…。私はどうすればいいのでしょうか?」
「金、出せ、コラ」しかないじゃありませんか。読点をふんだんに使って、単語と単語の間をなるべく空けて。さぁ、訓練しましょう。