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私は2度死んだ
1.私は2度死んだ
1度目は、
小学校2年の時、私はほぼ毎日いとこ二人と外で鬼ごっこをしたりして遊んでいた。ある日、そのいとこが血相を変えて会いに来て、私に言った。
「あなたが死ぬ夢を見た。お葬式をして、人がたくさん来て
ほんとに怖かったしすごく泣いた。
今生きているのを見て、本当に安心した。お願いだから死なないで。」
私は本当に怖くなりショックで体が固まった。思い当たることが多すぎた。
未熟児で産まれた私は病気がちで肺炎や喘息を繰り返し、たびたび風邪をひいては寝込んでいた。
心の奥底で「生きるのは苦しい。そろそろ死ぬかも」と思っていたからだ。体はガリガリで食欲もなく、お茶碗に1/3ほどしか食べれない。煮干しや梅干しなどを好んで、祖母に会うたびに「もっと食べろ」と言われた。
そして1週間もしないうちに恐ろしいことが起こった。
私も自分が死ぬ夢を見たからだ。お葬式をして、たくさんの人が来た。私は弔問に来た人が並んでいるのを見て「ああ、私は死んだんだ。まだ小さかったのに。」と思った。号泣する祖母を見て、申し訳なくなった。あんなに言われていたのに、ご飯を食べなかったから…あんなに言われたのに体力をつけなかったから…あんなに言われたのに…。
結局、私は死ぬ未来を選択しなかった。大嫌いな運動をして体力をつけることにした。スポーツ少年団に入り、気の合わない陽キャ達と一緒に運動した。運動神経が悪いから試合でもミスするし怒られる。中学校でも何度か肺炎になり、休みを批判されながら卒業した。そのころには喘息は治り、身体は標準になった。
2度目は
小学5年の時、みんなで集めたベルマークで一輪車を支給してくれていた。休み時間に遊ぶのが大好きで、放課後になっても何人かで集まり乗っていた。ある日、私は転倒した。ものすごい勢いをつけて、遊具の鉄の支柱に頭から突っ込んでいった。走馬灯のようにゆっくりと時間が流れ「これは頭を打つだけでは済まない。死ぬかも。大人を呼んでもらわないと。」と考えていた。案の定「ゴンッッ」という大きな音が響いて周りにいた友達が全員集まり、ひどく心配して声をかけてくれた。なぜか私は無傷だった。不思議なことに、音はしたのにどこも打ってなかった。意味が分からなかった。
大人になり仕事の選択をする時、思い出した原体験がこの2つだ。
「弱い体は強くして克服することができる」「死を免れた意味はあるのか」
私はリハビリの作業療法士という仕事を選択した。
2.伝えたいこと
「心の傷はいつまで引きずってもいい」
「感じてもいいし、感じないふりをしなくてもいい」 ということ。
私は今でも50歳で亡くなった恩師のことを覚えている。
全然仕事が出来ない私を鍛えてくれた。周りからヤ〇ザと言われながら(あまりのプレッシャーに話すと泣いてしまう大人が続出する)自分の意志を貫いて、県外からも患者が大勢来ていた。地元の付属大学の同期に「先生の後輩育成で県内の整形外科医の勢力図が変わってしまった」と言われるほど名医だった。
今でも時々、先生が生きていたら何と言うだろうと考えながら生きている。
影響を受けた本①「ブラックジャック」
大人になってもお勧めだし、子供にもいいと思う。第29話「ときには真珠のように」はぜひ。本間先生ッ(T_T)
影響を受けた本②「火の鳥」太陽編が好き。復活編はAIが出てくるしまた読みたい。心が震える。
中学生の時好きな漫画を友達に聞いて、これを答えたから相当びっくりした。今大学で生物の研究してるから納得。