見出し画像

ぐちゃぐちゃな性的指向。それでもパートナーがほしい。


性自認


私は女だ。その自覚はある。自認が揺れたことは一度もない。
男に生まれたかったな、は、ある。けどそれは別問題だ。

女でよかった、とも思う。だって可愛いから。化粧も楽しい。服もバリエーションが豊富。面倒なときは置いといて。

性自認がこれほどかなり固定化されていても、性的指向は26の今でも、というより今だからこそかなり不安定なままだ。


初めてのちゃんとした恋


昔、
普通に男性と恋をして、男性と付き合っていた。

8年前の18歳のときから20歳までの2年間。誰かと付き合って一番長い年数は今でも彼だ。

高校3年生の冬から付き合って、受験を終えて私たちは中距離恋愛になった。頻繁にお互いの家を行き来していた。
私は半年で大学を辞め、そのまま彼氏の真下の階の部屋を借りて同棲を始めた。

好きな人といられるのは幸せ、だった気がする。生活するために仕事で切羽詰まっていたから負の思い出も多いけど、彼は良い人だった。

この人と結婚したら間違いなく幸せになれるだろうなと、確信できるひとだった。


でも別れてしまった。私から切り出した。理由は主にふたつある。


ひとつは、彼の母親。

私が大学を辞めて彼の家に転がり込んだと知って、私を精神異常者だと罵ったそうだ。彼の母親とは面と向かって話したことはないし、それを知るまでは歓迎されていたのに、だ。
まぁ実際に私は精神異常者ではあるが、そこは置いといて。

彼はそんな母親に対して、言い返すことも怒ることもせずに、流した。所詮私を知らない他人が言ってることだからと。
彼は私にしか優しくない人間だったから、そう対処するのも理解できる。けど、大きなわだかまりになった。

もし彼と結婚したら、母親と会うのは必然で。義母として一生涯、付きまとうことになる。
私の母も友人も、この話を聞いて憤慨してくれた。私のわだかまりは間違いではないと、肯定されたようで安心したのをよく覚えてる。



もうひとつは、ツイッターでの出会いだった。
今はXだけど、個人の趣味趣向でツイッターと呼ばせてもらう。


もともと高校生のときからツイッターはしていて、いろんな人と話していた。10年以上経った今でも付き合いが続いている人がいる。

ツイッターではいろんなマイノリティが存在している。
例えば、女性だけど女性が好き、とか。

ある女性から好意をもたれたのだ。
経緯はもうあまり覚えてないけど、会ったこともない私を好きになってくれた。

その出来事は、私の中で固定観念をぶち壊すハンマーになった。

余談だが、当時私のはやりだった曲が
Neruさんの「世界を壊している」だった気がする。YouTubeのリンクを置いておくので聴いてみてほしい。


ハンマーが次々と壊してく


女も女を好きになってもいい。

今では当たり前のことに聞こえるけれど、当時はその許しを自分が受けてると思ってなかった。

当時からBLも百合も嗜んでいた。NLが無理になるくらいに。たぶん腐女子あるあるかもしれない。自分でサイトを持ってほぼ毎日小説を更新していた。黒歴史の王道すぎる。

でもそれは趣味であって、二次元であって、現実ではない。

友達の弟がリアルで恋愛対象が男だと聞いたことはあるが、それはそれでいいと思うくらいにしか思ってなかった。自分は当事者ではなかったのだ。


女性から好きと言われて、私は当事者になった。
その好意を不快に思わず、むしろ嬉しかったし、肩の荷が降りたような気さえした。


私は高校生になってから、顕著に男性恐怖症が表に出ていた。

ド田舎出身だったため、中学校までは同級生たちの面子が変わらず、高校からほとんど知らない人たちの中に放り込まれた。
そうしたら自分が男性を怖がっていることに気づいた。生理的な恐怖。彼らは力が強いから。

でも男性を好きになった。それは彼が良い人だったからで、女性が男性を好きになるのは当然だからだった。

彼に対して恐怖は感じなかったが、男性だから好きになった点も否めない。だってそれが「普通」だから。

けど、20歳で女性から好意を寄せられて気付いた。別に私も女性を好きになってもいいんじゃないか。



「普通」から外れてもいいという免罪符をもらった気持ちになった。


そうしたら、男性がもっとダメになった。吹き出るように。恐怖感と憎悪と嫌悪感が、私を蝕んだ。当然、彼のこともダメになってしまった。だって彼は可愛くないから。男性だから。


ハンマーでひとつをぶち壊されると、どんどん壊されていく。

「普通」が積みあがった積み木が崩れて、形を成せなくなる。


その歪みを、今日まで引きずっている。



それ以降、私は女性としか付き合ったことがない。といっても続いて3か月か半年、最長1年。
これは双極の恋愛の特徴だろうから、そこは置いといて。


あまり元交際相手をこきおろしたくはないが、相当ひどい人たちだった。特に金銭面において。
その結果私は借金があるのだが、その話はまた別で書きたい。なのでここも置いといて。


元カノと別れて10ヶ月が過ぎるが、これまでにないくらい心も身体も安定して驚いている。

そこで内省をしながら、やっぱり人生のパートナーはほしいと願っている。

それは愛されたいし愛したいし、自分は余生をひとりで生きれるほど強くはないと知っているから。


女性と付き合って良い目にあったことがないから、次は男性を好きになってみたい、と思った。
この6年ほどで私の男性恐怖症もかなり改善され、心の余裕も桁違いになった。


それに、「普通」への憧れがどうしても拭い切れなかった。


それでも残る憧れ



私は子どもが好きだ。
街ですれ違うたびに、健やかに滞りなく生きてくれと毎回願う。彼らの笑い声も泣き声も、すべて何の見返りもなく守られるべきだと思っている。

でも、自分が子供を持つとなると話は別になる。お金のこともそうだが、自分自身がかなり自分に手を焼いている。
子供を育てるなら、安定したメンタルと一定の生活リズムの維持は欠かせないだろう。それすら出来ない上に精神疾患と難病もちだ。
かなりの覚悟と他者への圧倒的信頼が必要だ。

そして子供を持つには、男性が必要になる。
その人と恋をして結婚し、子を成して生活して、ひとりの人間をいっしょに育て上げないといけない。


この間実家に帰った時、大好きな祖父がほろ酔いながら言った。
もう自分は死ぬだけだけど、私の旦那と子供が見たい、と。


ねぇ、じいちゃん。私、実は女性が好きで、男性は少し怖くて、子供も好きだし可愛いと思うけど、自分が育てられる自信はないんだ。って、言えたらよかったのに。でもそれを言ったあとのじいちゃんの顔を想像すると、笑うしかなかった。


私が女性が好きだということは、家族は知っている。
22歳あたりの頃に両親にカミングアウトした。
兄弟には一足先にカミングアウトしていて、ふーん程度だった。まぁあの子たちは私より6歳と8歳若いから同性愛なんて「普通」らしい。


そのじいちゃんの言葉が呪いになってるのかもしれない。でも、私の唯一の安全基地だった祖父の言葉を呪いなんかにしたくなかった。


男女という組み合わせは、周りから何の疑いもなく祝福される構図。家庭と子供は幸せの象徴。普通への憧れ。


実際に結婚して幸せになっている例は、正直周りの親戚や友人間ではほとんど見られないというより、見たことがないくらい破綻しているが、それは一部であろうと誤魔化しつつ。


私は男性を好きになる余地があるだろう、と考えている。
20歳以降は男性と付き合ったことがないにせよ、前は好きになっていたのだから。それに、男性の友人もいる。

男だから嫌い、なんて思わないのだ。


それならわざわざ女性と付き合わなくても、男性と付き合えばいいじゃないか。

そのほうが「普通」だし、男性のほうが経済的には自立しているだろうし、女性が好きな女性は母体数が少ない。だから縁も多くなる。そう、思った。


男性を好きになる試み


マッチングアプリを始めた。
赤裸々に書いた。病気のこと。それ故に子どもはかなり難しいこと。性的指向が男女どちらでもあること。など。

そうしたら、とても優しくて良いそうな人が話をしてくれた。彼も同じエンジニアで精神疾患をもちながらも、懸命に生きていた。


1ヶ月ほどアプリ内でやり取りをして、LINEに移行してから2ヶ月ほどメッセージのやり取りをした。合計3ヶ月。
その間、一度会おうという話になった。けれど、私は行けなかった。双極の症状の悪化を理由に。けれど本当はなんとなく違った。

そのあと、電話をしませんかという誘いがあった。私は仕事以外の電話がかなり苦手だ。とても仲のいい人としか受け付けない。申し訳ないと断りつつ、その月の末に会う約束をした。けれどそこまで日が長いから、やっぱり電話をしたいと誘われた。
彼も精神疾患からか不安がちな時期だった。けれど、それに応えることは出来なかった。


申し訳なさも膨らむ中、同時に私は何度も考えた。
この人は良い人だ。何の問題もない。私に真摯に向き合ってくれている。この人となら自分のペースでゆっくりとお互いを知ることができるはず。ここで彼を逃すのはもったいない。

けど、心は彼と会うことを拒否した。
彼と会う時間を作ること、お金を使うこと、なにより自分の心に彼を入れること。

ゆくゆくは彼と手をつないだり、キスをしたり、身体を重ねないといけない。明らかに苦痛だった。

それは彼だけでない。例えどれほど性格的にも外見的にも秀でても、私は性的に男性を受け入れられないだろう。そう思ってしまった。

結局、何も言わずに私はブロックのボタンを押した。申し訳なかった。



結婚は男性としたい。けれどセックスは女性としたい。これが本音だった。



歪みに歪み切ってる気がしてならない。性に囚われすぎている気もする。けど、ぐちゃぐちゃでどうしていいかわからない。

誰か他の人の意見を聞きたかった。けど、周りにそんな歪んだ性的指向の人はいない。みんな「普通」の中で生きてる。




「アセクシャル」


世界最大級のアセクシャル・コミュニティー「the Asexual Visibility and Education Network(AVEN)」は、アセクシャルを「恋愛感情の有無に関わらず、他者への性的欲求を経験しない人」と定義している。

https://eleminist.com/article/1251


私はこれが男性に対して適用されるのだろう。
相手に恋愛感情を抱くことはできるだろうが、性的欲求は抱けない。なぜかはここでは置いておく。

逆に、今は女性に対して人間的不信感があるだろうから、恋愛感情を抱けないかもしれない。それはわからない。


こういった分類があることにひどく安堵する。名前は大事だ。アイデンティティに直結する。

とはいえ性によって違うという分類は、調べても出てこない。私の調べ方が悪いのかもしれないが。


でもそういったことを深掘りしている複数の著書は出てくる。
私の答え探しは、結局本かもしれない。


こんなぐちゃぐちゃな指向と感情と思考がない交ぜになって、ずっとぼんやりと苦しい。



病気だけじゃ飽き足らず、誰にも理解されない苦しみを増やしていることが愚かに思えた。いっそどちらかに振り切ればいいのに。

普通を求めて男性にするか、性的欲求までも求めて女性にするか。

とりあえず書き出すことは良いことで、この記事を機会に思考の整理にはなった。


性的指向もだが、私は愛し愛されることへの怖さも抱えているかもしれない。まだ傷が癒えてない可能性がある。

例えば今、優良物件と言われるような人とめぐり合えても(それが男女どちらでも)私は怖気づいて踏み出せないだろう。


では、もっと奥深くの回復が必要なのだろうか。
けれどもう自分の手には負えない気がする。

もう少し時間を置くか、カウンセリングも手だとは思う。とりあえずは時間を置きたい。カウンセリングの先生も信頼しているから、話してみたいとは思うが、男性だから不快に思ったりしないだろうか。



ただ手を付けず、方法を模索することなく放置することは苦しい。傷が膿んでいく。

今回は①待つこと、②本を読むこと、③カウンセリングを受けることを自分に提案してみた。

思考が進んだ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー







ここまで読んでくださった方には感謝しかないです。ありがとうございます。

この件に関して、私は皆さんのご意見がうかがえたらと思います。なのでnoteのコメント機能をオンにしました。
note自体についてもプレミアムについても学習が未熟なので、ご不便をお掛けするかもしれませんがご了承ください。

どのようなコメントでも構いません。
記事に関する感想や考え、自分の性に関する悩みや考え方など。ただし、私を含めて誰かが傷つくようなコメントはNGです。

ツイッターのDMも開放してますので、不特定多数の方に見られたくないという方はそちらへどうぞ。
返信ができるかどうかはメンタルの調子との兼ね合いもあるのでわかりませんので、ご承知おきください。

よろしくお願いいたします。


いいなと思ったら応援しよう!