デジタルとアナログ
大量生産の時代は終わりました。そう言い切ってもいい時代でしょう。人口はどんどん減っていってます、多くの産業と市場は成熟し、同じぐらいの機能の製品が売り場を取り合うようにひしめき合っています。同じものを効率的にたくさん作る必要性は、機能性だけをもとめられる消費財に限られています。横並びのスペックを比較して、最良コスパを選ぶような行動に、買い物本来の楽しさや高揚は感じられません。
中身はほぼ同じものでも、外見のデザインやそれを買うことの意味で購入は決定されるようになってきていますよね。そんな時代にあっては、モノづくりはたんなるモノの製造ではなくなり、意味をつくりだすことに軸が移っているように感じています。
多くの種類をそれぞれ小さな個数で作ることがベースになってくると、それを製造する機械も大型量産機の出番が少なくなり、小型のオンデマンド機器が活躍するようになります。デジタル技術の進歩もあいまって、あらゆる製造現場の設備には、デジタル制御のオンデマンド機器が必ずと言っていいほど設置されています。当社でも、3Dプリンター、カッティングプロッター、レーザー加工機、CNC切削機、UV印刷機などを日常的に使っています。これらの設備はすでに珍しいものではなく、SNSにアップするほどのネタにもならなくなりました。
高い性能をもつ便利な道具を使うことで、複雑すぎてできなかった加工が、ありえないスピードで実現できるというのが、現在の製造業のありようです。たとえば3Dプリンターでしか作れない複雑なフォルムや精緻な設計というのは確かにあります。
がしかし、それでも、まずなににも先立つものは着眼と発想、アイデアです。大事なのは機械の加工表現能力ではなく、どんな意味を作るかです。(そして、意味をつくることは、モノだけでは到達できない、達成しにくいことでもあります)デジタル機器が普及しはじめてからは、アイデアを実現する手段ででしかない機械の性能だけが先立つような製品を見かけることが多くなった気がしていて、モノづくりに携わる身としては、どこかシラけるような気持ちがあります。すごい機能を備えた最新鋭の機械で、超精巧なフィギュアをつくったみた、などというのが典型的な例ですね。別にいけないということではありませんが、へーという感じです。
時代の変遷はデジタル機器の普及を広めて進化させた一方で、意外にも昔に活躍したアナログな製作方法にふたたび光を当てています。効率よく大量に作る必要性がなくなってくるのですから当然の流れかもしれません。最新のデジタル機器と昭和時代に作られた古い加工機が併存して活躍している現場をよく見かけます。それと同時に、必要なときに1個からでも制作するという時代の要求にフィットした製造方法は、じつは職人による手作業なのではないかと思います。
程よいゆらぎを含む人間の手作業は、どんな最新の機械にもマネすることができません。いずれコンピューターの計算速度が領域を超えて発達して、AIがそのような不正確さまで表現できるようになるかもしれませんが、手作業に含まれる微妙で不作為に生まれる揺らぎは、モノをたんなる物体で済ませず、愛着が生まれるきっかけの一つだと自分は考えています。
機械はあらかじめ計算したことの再現では役立ってくれますが、そのままでは無機質なアウトプットの領域を出ません。不正確さや揺らぎが入り込む余地のないことが、モノの表情やそこはかとない魅力にはほぼ貢献しないということは、モノづくりに携わっている身ですので断言できます。
じんわりと愛着を持てるモノか、たんなる技術の塊かという違いは、そういう視点でモノを視て考えだすと面白いです。デジタルで制御された機械の仕事と、人間の感性と手仕事。それぞれの役割を活かしたモノが産みだされてくることが、これから楽しみだと思っています。
22.04.03