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差異で稼ぐ
「群衆が向かっている道ではなくて、正しい道を選べ」などとも言われる。
差異で稼いでいる人間は多くの場合、群衆フォローってよりは自分なりの道の方を選んでいるという認識でいることだろう。
果たしてそうかな?
差異で稼ぐという手法はまさに群れを成して奈落の底へ一直線!!な戦略に思える。「稼げるうちは稼がせてもらうで!だってウチ違い生み出せてるやろ?」「(実際のところは大して違わんけど)違いを削り出してやるぜっ!!」「ガリゴリッガリゴリッ」「ガスッ!ドスッ!〇✖※▼◇☆ミ〜ぴーひゃらら〜」(↓のイメージ)
そう認識していないらしいところは、ゆっくりと、でも確実に、防護柵も何もない切り立った崖にゾロゾロと向かっている群衆を想起させる。
一人とかパラパラで済むならいいんだけどね。群衆だからさ。。。止めさせないかんよね。
いや。
そうでもないか。
もうまとめて落ちてもらっちゃった方がええか。
群衆っつったって差異で稼げる方が、「そういう方向でやってみちゃおっかな?」とチラッとでも思えるまあまあ恵まれた境遇の人間も含め、全人口の大多数を占めるなんてことは理屈からしてあり得んわけやし。
今観察されているとおり、少数派のはずの「差異で稼ぐ」系の人々の方が目立つし、実際いろんなリソースもより思うがままに収集・蓄積している。けれども惑わされまい。大多数の人間で大きなうねりを作り出せればきっとその方が持続性は高いはず。うねりの力の大きさということもあるけれど、ゴリゴリ違いを削り出し合ってその価値を競い合うというやり方がいつまでも続くと思えないのよね。どこまでヤセガマンが続くか?という問題かと。
どんな世の中になっても困らない王侯貴族は存在し続けるんだろうが、そりゃあくまでもごくごく少数やからね。。。「自分も!」てな甘い夢は抱かんことよ。そう思ってる時点で”有資格者”ではないことの証明やからね(王侯貴族たちはすっかり超越されていますから)。。。そういう一般庶民としては、「差異」はより多くの人間で限られたリソースを分け合えるように。そういうエナジーを生み出す方向で活用していかなね。