死んだ人の悪口は言うもんじゃない

だけど。。。

悪口ではないんだけれど。。。

ものすごく闇を感じる。

死んだ人本人の言動が、その人を取り囲む人々のことを示唆していて、そういういわゆる”同類”の中でどうするか?ということのみに精力を注入させられていることを露わにしていて。。。

勿論人間誰しも仲間というか、こういうかんじのコミュニティで生きています、という一定の範囲・区切り・目星みたいなものは必要。

しかし、そういうコミュニティと個々人との関係というのは、絶対に一方向ではない。コミュニティが個々人の考え方や行動を一方的に統御するとか、個々人が一人一人コミュニティ形成・維持・改編のパワーを行使するとか。常に双方向。概してコミュニティの圧力の方が大きい。だからといって、一人一人が一様に何もできないわけでもない。つまり、あたかも特定の人々だけはその意に沿うように生き、コミュニティ全体もそれに沿うように運営されているかのようにも見える。もっとも悩ましいのは、そこそこパワーのある人々。やろうと思えば自分だって努力次第でコントローラー側になれるのではないか?そうなるよう努めるべきではないか?と感じられる一方、明らかにそうするには厳しすぎる、という状況にも遭遇する。どうすりゃいいんだ?気合を込めて頑張り続けるのか?諦めるのか?

容易に仲間たちに助けを求めたり、弱みを見せたりはできないというコミュニティは大変だ。そういう規範がそこはかとなく流れているコミュニティって案外沢山ある。ただ、コミュニティっぽいものっていうのは、そもそも一人一人で生きていくのは無理だからあるものであって、一人一人を殺すものではない。ほんまに無理なんか?それ以上頑張ると死んじゃうのか??ってのははっきりと証拠で示すことなんてできない。とはいえ。やばい。って感じたらそれはそれとなくでも話せなければならない。

必死に考えていたんだろうとは思う。

でも。その考えていることの端々に、プライドというか。。。こっからは落ちたくないという気持ちというか。。。いや。もう私の生きるべき領域ってとりあえずここでしょ?みたいな変なこだわりが、思考の幅を狭めているのがありありと感じられてつらい。。。

結局ね。見てないんだ。自分の限界だけでなく、本当に自分がどんなコミュニティで生きているのかを。一人一人の顔がちゃんと識別できていない。なんというか。。。思い込み?「多分こんなもんだろう。」という。そういう態度だから大事なコミュニケーションが発生しない。生き死にに関わるようなところまでいかなくするようなコミュニケーション。。。

結局本当の限界かどうかなんて誰も解らないんだし。。。って皆が思っている間に誰かの中で本当に決壊が起こる。。。

誰が得をするというのだ?そんなコミュニティ。

意味をなしていないではないか。。。

私の感想は、これはかなり特別な階層の人々のお話。

広く一般に共有可能なお話ではないということ。

でもニュースになれば触れた人はその人なりに理解しようとする。

なんら悪いことではないんだけれど。。。

全く特殊な事情だから。

努力すれば東大に入れて、電通なんて就職活動でいえば、東大生の中でも成功の部類に入る会社に就職できて。そしてそういう人々に囲まれて生きていた人。

頭の良さが一般的ではないんだ。

そういう頭の良い人のコミュニティが何故困った人ひとり助けられないのか?

一般人は簡単に言うだろう。頭良いってあんま役に立たないんだね。。。

そういう一般大衆があることも全部分かっている。

だから頭良い人のコミュニティからは落ちることができない。

ね?

一般大衆。関係ないはずなのにプレッシャーかけてんですよ。変な方向に。頭良いんだから存分に私たちのために働かせてくださいっていうプレッシャーではなくてね。。。てめーらもどーせ同じなんでしょ?って言いたがっているプレッシャー。。。

妬み嫉み。

違うものは違うと言えない点では同じ。

そこが悲劇的だ。

楽な人生なんてないんだ。。。

もちっと思いやらな。。。

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