「ためらわない」ってカッコイイ?
堂々とした感じ?
キレ?
サッパリ感?
見た目そうは見えないのに案外内心ドキドキとか迷いがあったりするのって、かえって人間っぽくていい感じしません?
ああ。よくあることだからか。
「内心で色々あることを敢えて云々しない」っていう規範めいたものは。
結局見た目で勝負。
見た目が整ってないと、内心で何が起こっていようが、ダメ。
内心で起こったことをグチグチ言うのは言い訳沁みている。かっこ悪い。
まあ何にせよ、浅はかな考え方が蔓延しているという印象は拭えないな。
見た目の良さって。。。
間違いなく評価できるんだね。みんな。
ほんでもって、人々の内面で”いろんなこと”が起きていることなんてとっくに織り込み済みであると。
実際のところ大して考えてもいないくせにね。。。
えれー自信だ。
人の世を拗らせるのって、できもしてないことをあたかもできているかのように錯覚すること。
分相応という言葉がある。
こりゃ諦めっていうよりも、常にできることを正確に知ろうとすること。
背後には楽しい方がいいな、という気持ちがある。
諦めは後ろ向きだからとやたらめったら前向きな理想を語り続けたり。
結局フェアな評価って客観的事実に収斂する、と割り切って見せたり。
「世の中厳しいよね」なんて誰でも言えるし、誰も無下には否定しない。
そんなウキウキもしない会話に勤しんでいて、現実的、とか信じている。
何でもいいんだけどもわずかばかりでもできることが増えた方が楽しいんだけどなーなんて全く思いもしない。
想定通りが一番。
想定外は最悪。
そーなんかな?
全く面白くなくないか?
ろくに失敗する恥ずかしさも知らないのに、失敗を嫌がる。
もういい大人になってしまった人間ならそれでも仕方ない。
が。
これからの人間に、同じノリで関わって欲しくはない。
人生もっと楽しくなり得るからね。
ともかく無闇に先読もうとし過ぎ。
読めると思い込み過ぎ。
様々想定できるのって、計画的?段取り上手ってことで悪いことばかりであるはずがないんだけどさ。
知ったかぶりが蔓延しちゃうって面も考慮に入れとかないとね。
後付けで「やっぱりな」とかさ。余裕で言えるし。
世の中で大活躍しているように見えるのは同じような人ばかりとか。。。
めっちゃ面白くないし。。。気持ち悪いよ。
色々勉強するならさ。
ホント。
自分にできることは何か?をまず自分のために真剣に考えて欲しいよね。
「社会のため!」とか言ってのっけから常識的な(世間の)評価にお任せするんじゃなくてさ。。。