結局頭良い方がいいんでしょ?
おっきな傾向では頭は悪いより良い方がいいんでしょ?最近じゃあ「自分バカです」って言明する人も多いけど。
そう言いながら、いつまでも良い方を目指す輩を「バカだなー」って内心思っているわけだし。
問題はバカだの賢いだのではないんだよ。つまるところ。
ただ良い方がいいなーって素朴な感覚を認めればいい。
それをどのへんがどういうふうにとか議論始めたって不毛だ。
全く議題にするつもりなんてなくたって、不特定多数の人間の知性について「そんな賢くはないだろう」みたいな感じで、警鐘鳴らすつもりなんかもしれんけども、下げてしまう必要はなかろう。
そもそも色々感じちゃってそれを元に考えたり考えなかったりするのって誰も止められないし、そのやり方だってコントロールなんてできないんだから。
知性が思っているほどはうまくは機能していないってことで、よりシンプルな何かを目指すにしても、頭の使い方なんて考えないで、ただ時々刻々現れる事象、どういうわけか気になる事象。それとどう付き合うか?ってことに集中すればいい。
私も想像力について、その働かせ方に注目はしているんだけれど、あまり頭の中身の話はしたくない。だって何にも分かってないんだもの。何が起こっているのか?なんて。何が起こっているのか?を調べるのが無駄だってんではない。ただ誰もがいろんな物事に出くわしては考えたり考えなかったりするのは事実なわけだから、そういうものどもとどうやって付き合うか?を考えたいということ。
結局頭は使うんだけどね。。。
頭だけじゃないという感じ。
身体ってのも最近流行っているけれど、身体って言っちゃうと最近ではどうしても「個人のもの」ってニュアンスが強くなる。従って個人でどーにかしなさいと。。
そんなのは無理という立場。
でも、自分自身の体について、その姿カタチだけでなくて、いろんな物事への反応の仕方などをなるべくよく知ろうとすることは大事だとは考えている。
誰でもうまく処理したいとは思っている。更に、自分以外の誰かもうまくやって欲しいと思っている。
だからうまくいかなければイラッともする。
そういうのは日常茶飯事。
でも、いや、だからこそそういう「うまくいかんなー」って感覚は大事。
いろんな関係性の中で生きているって証明だから。
排他的に自分だけのものなんて無いんだよ。
一回囲ってみて、「おー。よーやったな。」って言ってみたっていい。
でも即座に「ありがとう」でしょ?
「こんなもん」ってうんこ扱いしたところで一体何が生まれるというのだろう?嘆き悲しみに怒り???諦め???
ちがうよね。。。
いくらいけないこととは知っていても、そして、「いけないこと」なんて読めてしまう能力だって自分自身ではどーにも統御できないと知っていても、、、。しゃーないじゃん。どっかの機能がうまく働いていないおかげでまともに付き合ってはいられないって人がいたって、即座に抹殺することはできない。「いけないこと」が読めてしまうのだから。。。頑張って「抹殺する」なんて抵抗を試みたところで事実は何も変わらない。「いけないこと」が読めてしまっている以上、わだかまりは残る。
今現にやっている通り、関係性におんぶにだっこでいいじゃない。
良い悪いの二元論を極めたところで事実は何も変わりはしないよ。
なんも考えてないような人だって結局良い方がいいんだからさ。。。
くれぐれも言っておくけどこれは撤退戦なんてもんじゃない。いつ負けたか?なんて誰も決められないこと。「戦い」だなんて。。。滅相もないですね。
そんなかっこいいこと考えてないで、考えられているんだったら、その事実に思いっきりこれでもかっ!!ってぐらい感謝することよ。
全くもって、記号使いは因果なもんだ。
どうひっくり返ったって責任転嫁に陥らざるを得ない。
記号使わないで生きれたらいいのにね。。。
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