知的好奇心vs.お念仏
試みとして音声配信を始めてみて約4週間が経ちました。
内容がない。
のは十分承知で、録音してみて、聞いてみて、結構聞けたので始めたのですが、やっぱり、知的好奇心というか、勉学への意欲を掻き立てるものがないなー、というのは否めません。
そもそもYoutubeを訪れて、音声のコンテンツを聞こう!という人って、ゴシップ(情報番組系)をダラダラって場合もあるのだろうけれど、私のように真面目っぽい話なら、何かを学んだ感触って味わいたいはず。少なくとも「そっか!じゃあちょっと話に出ていた人或は分野の本でも読んでみるか!」ぐらいの刺激は受けたいはず。そういった勉学への手掛かりのようなものがほぼない。
あえてそうしているから当たり前と言えば当たり前。知的好奇心旺盛な人の期待には応えられませんm(__)m
何故って?
多くの人が勉強したくなるというならそれはよいことなのですが、勉強のイメージが堅苦しいのがイヤでやっていることだから。。。
堅苦しいのもイヤだけど、それを頑張って学んだ場合、その成果を競うような流れになりやすい気がして、それがさらにイヤ。
じゃあ私が配信しているものって何なの?と考えたんですが、 #お念仏 じゃあダメなのかな?ということ。
さぁーっと聞き流して全く意味が分からない、ということはなるべく起こらないように気を付けているつもりではあるのですが、私が何を伝えたいか?というようなことはほとんど何もないように感じられるのではないか?と考えています。
説明しようと思えばできると思うのですが、そうなると著名な先人達やその著作・理論などなどを紹介しなければ、コンパクトにはまとまらない。沢山著名人の名前や著作のタイトルなどなどを入れるというやり方はどうも新味がない。まあ無名の私が話すことに、著名人達の考えなどが簡潔に紹介されてないんであれば、学ぶべきことはほぼないに等しいのですが。
でも。
別に勉強してもらいたいってわけじゃないんですよね。勿論勉強するな!なんてことは言いませんけども。
目指しているのは「やさしい社会」ですから。
「人間」っていうもののイメージを変えていった方がいいとは思っています。ですから、「人間」と合わせ、「世界の見方(世界観)」の代替案提示に焦点を合わせようかな?と考え始めています。
具体的には、「始まりの定義(宇宙の始まりとか)には拘らない」、「確かに起きたと言えるものや現に目にしているもの・感知しているものは、ただ考えているだけであっても、全て存在する(した)ものとして正しく理解しようとする」。そんな世界の見方です。
今って、現にあるものだって疑って見るべきだ!という風潮が強いと思いませんか?
それが絶対的に悪いこととは思いませんが、そういう疑いって、疑ったまんまで流していくのはよくない。頭いい人たちはそれなりに証拠見つけたり、レポート書いたりして一応のケリは付けられるけれど、世の多くの人々は疑うことにだけ専心してしまう。。。でもそのうち忘れちゃうから世界観とかは何も変わらない。。。
存在を疑うのは、あくまでも、現にあるものを別の見方で見るため。そうすることで、存在するものの価値をより認められるようにならないか?という上位目標がなければなりません。
勉強が堅苦しくなるわけです。
で。
勉強が堅苦しいものならば、勉強じゃなくてもいいんじゃないか?やさしくなるためには。
お念仏を唱えるのに近い。
それを唱えたからといって賢くなるわけでもない。社会が変わるかどうかも分からない。
ただ、言葉の効能として、私は、音声にして発する、という行為には、癒しの効果があると考えています。お念仏です。ナンマイダー。ラーイラーハイラッラー。
発するだけでなく、自分で聞いてみて、確信しました。
もしも自分だけのペースでしゃべり続けることができるなら、それが与えてくれるプラスの効果は相当なものです。3分でも5分でも。
ポイントは「続ける」こと。
これって思っているほど簡単ではありません。
昔からのお念仏でもいいのですが、飽きるじゃない?同じ文句だけだと。
それよりも、もしも一人一人が自分だけのお念仏を開発することができるとすると???
そんな悟りのようなものが誰にも訪れるなんてことがあるのか?
あると思います。日々起こっていることですらあると私は信じています。言葉を使えているわけですから。
私の場合は3と生まれ変わりです。
3つの要素で円環を描くイメージだとどん詰まらない。多少もがくこともありますが、回り(回し)続けられます。常に真新しいことを思いつかなくてもいい。似たようなことを何度も繰り返し問うてもいい。
そうしながら私たちは常に生まれ変わり続けているのです。
でもこれは私だけの悟り。お念仏のタネ。
他の人にもそのまま活用できるとは考えられません。
お念仏は実践なので。
ともかく私はしゃべり続けたいと思います。